第17輪 世界を作るにはすべてが必要

 わたしがヒーリングしなかったら、とっくに死んでたんだから

          ――ゼラニウム

 エジプト植物界。
 アロマ連合本部のとある一室。

 おごそかな雰囲気のなか、緑のソファにすわる4人の精霊がいた。
 2人は植物の精霊で、黒いローブに身をつつんだ黒髪の青年と、白い着物を着た銀髪の青年。反対側のソファには、こわもてのライオンとサイの精霊がいた。
 ピリピリと緊張した空気は一触即発だった。

「どう責任を取られるおつもりか、『真の薫香』どの? わが動物界のUFOを盗んだばかりか、ブタの精霊たちがあなたのところのナイトに殺されている。これはゆゆしき事態ですぞ! くわえてエッフェル塔へのたび重なる破壊行為。人間界への影響はさけられない」

 ライオンが大きく目を見開き、すごむ。

 黒髪の青年は「ううむ。そうだのう」すこし間をおいたのち「今回の一件は、我々にもわからないことが多い。どう対処しようか」

「動物界はいつでも戦争する準備ができていますよ。あなたの持つ地球代表の神としての管理権限を手に入れるために」

 ライオンは圧力をかけてきた。外交なれしている。こうやって自分に有利な要求をするのだろう。

「ワッハッハ、若さにはかなわんの。しかし、ときとしてそれはもろ刃のつるぎとなる。わしには次の銀河会議で、動物界がバジリコにUFOを渡していたことを報告する準備があるよ」

「ぐっ、わかった。こっちの負けだ。だが、私にも立場がある。このまま何も手に入れずには帰れない。ブタたちを殺したあのナイトを渡してほしい」

「ああ、彼か」

「そうだ。あのオレンジの精霊だ」

 『真の薫香』は困った顔をした。

「残念だのう。彼はこの事件が起きる前に、退職してしまった」そして、とびっきりの笑顔を見せる。「つまり、今回の一件はアロマ連合とは何の関係もないのだ。悪いのう」

 ライオンとサイは顔を見あわせた。
 立ちあがり、別れのあいさつもせず部屋を出ようとする。

「おや? 茶ぐらい飲んで行けばよいのに」

「植物至上主義者の横行を止めなければ、いつかあなた自身が破滅しますよ」

 廊下を歩くサイはいった。
「おい、なんて報告するんだ?」
「……いま考えてる」
「あれが長老たちがうわさする地球の覇者オリバナムか。てごわい男だ」

 動物界の使者が去ったあと、応接室に残った2輪は笑った。
 銀髪の頭から狐耳をはやした、女性より美しい顔立ちの青年はいった。

「我々の勝利だ。オリバー」

「銀……痛いことをいわれてしまった。我々には問題が山積みだ」

「いまに始まったことじゃない。それよりバジリコと動物界がつながっていたとは。こうなることがわかっていたのか?」

「ああ。だからオレンジをはずしたのだ。弟子を守るのが師匠のつとめだ」

「彼はどうするんだ?」

「もちろんもどってもらう。彼は優秀なナイトだ。やってもらわねばならんことが、まだまだたくさんある」

「まさか、お前と私の弟子がアトランティスの亡霊を倒すとは」

「昔の自分たちを見てるようだ。さて、わしは仕事にもどるとしよう」

「私も日本に帰らねば。ひさしぶりにエジプトにもどったのに」

「来月はあれか?」

「ああ、神無月だ。日本中の神を招集し、マウント・フジで株主総会をひらく。お前ほどじゃないが、日本代表も忙しいのさ。はやく準備しないとサカキがうるさいんでな」

 

 アロマ連合の事情聴取を終えたとき、すでに日付は変わって、次の日の午後2時になっていた。
 精霊界の病院に運ばれたティーツリーをのぞいて、オレとペパーミントとラベンダーは、こってりと事件についてあれこれ聞かれ、服はよれよれ、体もくたくたになってた。
 たまりきった疲労でねむりそうになると、おっさんにたたき起こされるんだ。
 ペパーはブタたちを殺したのはオレンジだっていい張るし――ま、冥界の皇子という立場を考えてのことだろう。外交問題に発展することをおそれたんだ。1つ貸しといてやった――ラベンダーなんか危なかった。封霊ビンを持って階段を走る姿をUFOから目撃されてたから。だけど、あれはバジリコが変身した姿ということで、なんとか納得してもらった。
 ほんとうは、もっと詳細な状況確認のため1週間は拘束される予定だったんだけど、元師匠の『真の薫香』――偉大なグランド・マスターさまの粋なはからいで、1日で解放された。
 ラベンダーはどこへ行ったか知らんが、冥界に帰るペパーミントに別れをつげて、オレにはすぐ確認しなきゃならないことがあった。

 リヨンの隔離病棟にて。
 ガトフォセは、むくりと起き上がった。
 のどや胸にあった重たい痛みがなくなっている。体が若返ったように軽い。長く続いたゆううつな雨が、晴れたかのようなさわやかさ。
 それから、あることに気づいた。四六時中ずっと耳をなやませていた咳の音が聞こえない。病室はしずかで、あたたかな午後の陽射しが差しこんでいた。
 ふと入り口を見ると、壁によりかかるオレさまがいた。

「オレンジ……おまえが助けてくれたのか?」

「いや、オレはただ旅行してただけだ。デトロイトサラゴサ、パリをな」

「なんでデトロイトに?」

 オレはとなりのベッドにこしかける。

「最新型の車に興味があってな」

「どんな車だった?」

「そうだな。エッフェル塔を破壊できるくらいがんじょうだな」

「アッハッハ、なんだそりゃ。でも、あの醜悪なバベルの塔を破壊してくれるなら、アメリカの車も買ってみる価値はあるな」

「あれ、おまえもエッフェル塔ダメなの?」

「うん。でも今回の大戦で活躍してくれたみたいだし、1度のぼってみてもいいかもしれんな」

「それなら、オレがガイドしてやろう。最上階は絶景だぞ。パリ市内がすべて見わたせる」

「おお、心強いな」

 それから雑談なんかして、オレはひさしぶりにガトフォセと笑いあった。やっぱりこいつと話すのが大好きだ。地球のこと。宇宙のこと。人間のこと。いろんなことを忘れられるから。生きててくれてよかった。しょうじきいって、もうダメなんじゃないかと思ってたけど。

(ルネ=モーリス・ガトフォセ。香料および化粧品の研究者、経営者。アロマテラピーという言葉を作った精油の第一人者。享年69歳。1937年に出版した〝アロマテラピー〟はなかなか好評だったが、オレの影響をうけて書いたSF小説は、ちょっとばかし時代がはやかったようだ。多趣味でユーモアある最高の人間。なお、21世紀初頭、ガトフォセ社はまだ続いているのを確認)

 

 その後、1918年11月11日。
 ドイツと連合国が休戦協定を結び、世界大戦は終結した。
 この戦争で2人の兄を亡くしたガトフォセは、腐ることなく必死に働いた。そのかいあって、ガトフォセ社はなんとか経営を建てなおした。
 世界で5000万人以上の死者を出したスペイン風邪の影響で、さすがのフランス人たちもいまの衛生状況はマズいと気づいたようだ。
 香料も香水も飛ぶように売れ、ガトフォセ社の売りあげは右肩上がり。絶好調だった。

 だけど、物語はまだ終わりじゃなかった。

 オレは世界を救ったけど、もうひとり救わないといけないやつがいる。そいつを救わなきゃオレは2次元から解放されない。

(このせまっ苦しい空間にも、いいかげん飽きてきた。こんな次元じゃオレさまのみやびな香りもだいなし。作者にたのまれたからやったが、もう2度とこんなことしたくない。文字になる気分がきみにわかるか? 心底ごめんだね)

 顔はいいけど、いじっぱりでいじわるでガンコですききらいのはげしいこまったお子さま。これからもきっと、伝説や祝日を作っていくんだろう。
 あの戦いから半年以上たったいまでも、ラベンダーには会えてない。
 オレはガトフォセ社のオフィスで、ガトフォセたちといっしょに働いていた。ガトフォセが勧めてくれたおかげで、会社のみんなもオレンジの果実が好きになっていた。
 一生けんめい指示を出すガトフォセの横で、日課の1時間のクレーム――ゼンマイ仕掛けの騎士団と特ダネへの苦情――の電話をし終えると、待ちあわせ場所のカフェへ向かう。
 やつらの行動にも困ったもんだ。ヒトを犯罪者あつかいしといて謝罪のひとっこともない。社会人なんだから、もうちょっと責任ある行動を取ってほしいもんだね。性格や精神に異常をきたしてるとしか思えない。番組司会者の小倉はだんまりを決めこんでるし、ソルトなんて先週やっと電話に出たかと思えば――しかも、電話の女の子が「今日も捜査で外出してるわ」といってる最中に電話をうばって――「ま、まいにちまいにち電話しやがって、こっちはヒトをうたがうのが仕事なんだ、ノージンジャー‼︎」電話を切られた。
 ま、オレも連合のナイトだったから、気持ちはわからなくもない。謝罪の言葉はなかったが、ゆるしてやろうと思う。それにいいこともあった。半年以上ずっとクレームし続けたおかげで、騎士団の女の子となかよくなった。今度デートに行くんだ。
 そうそう、ジジイからアロマ連合にもどってほしいとたのまれてるんだが、ことわり続けてる。
 せっかく自由の身になれたんだ。人生をまんきつしたいし、組織に使われるのはもううんざり。
 行くあてはないが、動物界に興味がある。向こうの女の子はめちゃくちゃかわいいんだ。
 約束の時間にきっちり15分おくれて行くと、ロンドン時代からの古い友だちは、すでに席についていた。友だちというよりお姉さんのようで、家族に近いかもしれない。
 石だたみのテラス席にすわる。

「おそかったね」

「え、もしかして、待たせた?」

「うん」

「……わるい。フランスだとおくれて行くのがマナーなんだ」

「ウフフ、あんなに人間をきらってたあなたが、人間のまねをするなんて」

「こっちじゃみんなやってる!」

 オレはコーヒーを飲みながら、かわいらしいピンクの髪の、ふんわりした女の子としゃべった。フランスに来てから会ってなかったから、ずいぶん会話がはずんだ。

「それで、宇宙で1番強い力って?」

「若気のいたりだ。それでゼラ、オレはいったんだ。この能力は若者の特権なんだって」

「ウフフ、オーレったら、あなたらしい」

「お、もう夕方か。それで、あれはわかった?」

「ヴェルダンにいる。そこで1週間前から香りを持った天使が目撃されてる」

「ありがとう」

「これから行くの?」

「ああ。おっと、忘れるとこだった。これがこっちのあいさつ」

 オレはビズをした。パリ風に2回。左右のほっぺをゼラニウムにくっつけキスをする。

「ウッフ、人間界もわるくない」

「チャオ、良い香りを」

 

 1919年。6月28日の今日。
 ヴェルサイユ条約が調印された。
 人間たちはおめでたいムードだった。でも、この風景を見ると、なんだかなあ。
 世界大戦が残したつめあとは大きかった。
 激戦地ヴェルダン。
 ドイツ軍とフランス軍あわせて70万人以上の死者を出したこの場所は、のちにこう呼ばれた。

 ――ゾーン・ルージュ

 銃弾のなまりと砲弾の有毒ガスによる壊滅的な汚染。おびただしい数の兵士の遺骸と不発弾が残った危険地帯。
 今回の戦いで、このようなゾーン・ルージュがフランスにいくつも生まれた。土壌と水は汚染され、生き物が住むのに適さないエリアにもかかわらず、多くのゾーン・ルージュは大急ぎで農地や農業施設に変えられた。
 人々と政府が汚染問題を認識して、一般人の立ち入りや農地としての利用がきびしく制限されたのは、ずっとあとのことだった。
 1970年代なかばまで、除染作業はテキトーで、ただ何万という科学爆弾を破壊して処理していた。不発弾の中身がもれ出して土壌や水を汚染するということは考えずに。
 微生物は、なまり、あえん、水銀を分解できない。1万年以上は土壌にとどまってしまうだろう。復興は絶望的だった。

 砲撃の作った無数のくぼみ。

 おびただしいやっきょうの山。

 焼かれた草木。焦土と化した大地。

 血と鉄と火薬、それからくさった肉の匂い。

 あの自然ゆたかなヴェルダンはもう、どこにもなかった。

 香りをたどり、居場所はすぐわかった。

「よぉ。エッフェル塔以来だな。ずいぶん探したぞ」

 オレがほおを出すと、ためらいながら、ラベンダーもほおを出す。オルレアン流の4回のビズ。ラベンダーとのビズは、せつなく、つらく、くるしかった。ほおとほおが触れたとき、ラベンダーの感情の情報がオレのなかに流れこんできたからだ。

 喪失――孤独――後悔――絶望――憎しみ。

 夕陽が天使を照らす。ブロンドの髪が美しく反射してまぶしい。

「なんの用?」

「用がないと会ったらいけないのか?」

「どっか行って」

「いつまで落ちこんでるんだ?」

「おまえのせいだ。ニンゲンを根絶やしにできなかった。もう顔も見たくない」

「ちょっと話をしよう」

「この雑草! はやくわたしの前から消え失せろ! 植物の裏切り者! ニンゲンの味方!」

「ニンゲンを憎んでるのが、おまえだけだと思うなよ‼︎」

 ラベンダーはおどろいて、びくっとふるえた。さけび声が焼け野原のヴェルダンに響く。

「オレだってヤツらが大嫌いだ! 自分のことしか考えてない! ドイツ人もフランス人もイギリス人も、オレから見りゃみんなアメリカ人だ! おまえが留学してたジャパンのヤツらだって! ヤツらは自分たちの生活が1番大切で、地球のことなんかどうでもいいんだ。そうだろ? 遊ぶか歌うか、仕事するか、そうでなけりゃ殺して食うことしか考えてない‼︎ ラベンダー、おまえだけが、おまえだけがニンゲンを嫌いだと思うなよ‼︎」

 気まずい空気がただよう。

 こんなこというために、ここに来たわけじゃないのに。

「どうしてそこまで人間をきらうんだ?」

 ラベンダーは何も答えなかった。ただ、うつむくばかりだ。

「『洗い草』。あなたがどうしてエグザゴンヌにこだわるのか、ぼくが当ててみせよう。どうか聞いてほしい」

 ラベンダーは沈黙していた。

「あなたは変身術が苦手だ。大人にもなれない。でも、ゆいいつなれるものがある。その天使の姿だ。天使は変身術のなかでも高難易度なのに」

 ラベンダーは顔をそむけた。触れられたくない過去でもあるのか。

「あなたがその姿を取得するのに、100年の歳月をようしたと聞いておどろいた。ぼくが見るかぎりあなたは、心理学的に何かに集中できるヒトではない。そのあなたが100年以上も。そうまでして、その姿を手に入れなければならなかった理由は何なのか?」

 肩がふるえているのがわかった。表情は見えない。

「ぼくが思うに、それは友だちの姿では? 友だちを失うことがどれほどつらくかなしいものか、あなたは知ってる。だから今回、ガトフォセを救うことに協力してくれた」

 ラベンダーは、聞いているのかよくわからない。ただ、かなしい香りをただよわせている。

「ぼくの調査では、あなたがその姿をするようになったのが、【百年戦争】から100年たったあたりから。つまり、【百年戦争】の時代にイングランド人に殺されたフランス人のだれか。仮にそうだとすると、人間ぎらいのあなたが、エグザゴンヌには特別な感情を持ってるのに、数ある国のなかでとりわけイングランドを敵視する説明がつく」

 ラベンダーの心が読める。やめてと強くうったえている。人生にはやめていいときと、そうではならないときがある。いまは後者。

「その姿の持ち主の名前は――」

「ジャンヌ、ジャンヌよ! わたしの親友だった‼︎」

 振り向いてさけんだラベンダーは、泣いていた。かんだかくうわずった声。いつもの自信と野心に満ちあふれたラベンダーは、どこにもいなかった。ただそこには、通りすがりのニンゲンたちに踏みつぶされてしまいそうな、よわよわしい花が1輪。咲いていた。

「いっしょに戦った。エグザゴンヌをよろしくっていわれた。わたしは最後まであきらめないで走ったのに、あの子は、もうちょっとで間に合ったのに、あの子は、わたしを裏切った! わたしとの契約を解除して、悪魔の大群にかこまれたわたしを、わたしだけを――うぇぇぇぇん」

 オレは強く抱きしめた。ラベンダーの香りがふわりと響く。なんて美しいんだろう。こんなにもすきとおる香りがあるなんて。魂の汚れがぜんぶ洗い流される感覚。

「ずっとずっと、がんばってきたんだな。耐えてきたんだな。もういいんだよ。自分を責めなくていいんだよ。ゆっくりおやすみ」

「あ、じ、自分は燃やされてるのに、わ、わたしっだけ、助かっても、意味ないんだよぉぉぉ」

「そうだよな。助けたかったよな」

「あ、あんな悪魔たち、やっつけられたのに、どうして、どうして飛ばしたんだよぉぉぉ」

 オレとラベンダーの香りはまざりあい、空へのぼっていった。よく晴れた夜空のカーテンには満天の星がちりばめられ、オレンジとラベンダーの香りのブレンドを吸った星たちは、きらきらとごきげんにかがやいていた。
 背中で泣き続けるラベンダーをささえて、ずっと立っていた。ラベンダーは一夜中泣き続け、声を耳にした周囲の人間たちは、世界大戦の亡霊がさまよっているとうわさした。
 ようやく朝日が顔にさしこむと、泣くのをやめた。
 オレはフランスのことわざを、ラベンダーにプレゼントした。フランスの言葉なら、ラベンダーも納得してくれるはずだ。

「Il faut de tout pour faire un monde(世界を作るにはすべてが必要)植物がいて、動物がいて、人間がいて。それで地球ができている。これで納得してもらえないだろうか?」

「ずるいヒト。ほんとうにずるいヒト」

 ラベンダーはオレの胸をたたいた。何度も何度もたたいた。

「1つ気になることがあるんだが、いいか?」

「なに?」

「ジャンヌの髪は、黒に近い茶髪だと聞いていたんだが、どうして金髪なんだ?」

「な、わ、わたしがまちがえるわけないでしょ⁉︎ いっしょにいたのよ、うたがってるの⁉︎」

「そうだよな。気のせいだ、忘れてくれ」

「オレンジ。ありがとう」

 キスをされた。ビズではなく、ほんとうのキスをくちびるに。天使ではなく、もとの姿で。
 あまいあまい、3次元の花では決して味わえない、本物のラベンダーの香り。

「おぇっ、ひどい匂いだぞ。泥をあびたほうがいい」

「どうして泥をあびるのよ? ほんとに馬花《foolower》なんだから」

第16輪 スウィングしなけりゃ意味ねえぜ ( It don't mean a thing if it ain't got that swing )

 そこをどけ!
 俺たちはゼンマイ仕掛けの騎士団だぞ!
 
          ――ソルト

 やっちまった。
 こっちの次元でこれだけの被害があったんだ。修復しても間に合わない。人間界のエッフェル塔にも影響が出るだろう。

(今回の事故のせいで、エッフェル塔は予定よりはやく倒れることになるんだが、それはまたべつのお話)

 ティーツリーが重傷だ、全身血だらけで意識がない、一刻もはやく治療しないと。
 無茶な役を引き受けてくれたティーツリーには、ありがとうしかいえない。
 階段をおりようとしたとき、後ろから不穏な音が聞こえた。ふり返る。
 展望台のUFOが吹き飛ばされ、アロマ連合の艦隊につっこんだ。いくつかのUFOが巻きぞえをくらい墜落する。
 思考が止まった。
 なんでまだ生きてるんだ?
 黒くあわだったカタマリがもぞもぞ動いてるのが視えると、身の毛がよだった。あれがバジリコのほんとうの姿……。固まる前の核燃料デブリか、プルトニウムのカタマリみたいにドロドロしていて、近くの鉄骨を腐らせていく。見てるだけで魂がおかしくなりそうだ。あれで生きてるといえるのだろうか。
 気づくと歯がふるえてた。周囲の空気が急激に冷たくなっていく。吐息は白く、気温が0度より低くなっていた。
 低く反響した声が聞こえる。

「ガキドモ ユルサンゾ ガキノクセニ ガキノブンザイデ」

 オレは動かなかった。

「何やってんの、はやく!」恐怖でいっぱいのラベンダーがさけんだ。「はやく逃げないと!」

「いや、それはできない」

「は?」

「ここであいつを倒す」

「オレンジ、おまえどうかしてるぞ! 勝てるわけないだろ、もうスペイン風邪は手に入れたんだ、はやく行くぞ!」

 ペパーミントも説得してくるが、断固として自分の意見をのべた。

「あいつは、決していってはいけないことをいった。オレたちをガキだといったんだ。わかるか? ラベンダー。オレたちは大人に成長するために必死に訓練してきた。おまえなんて、紀元前からずっと修行してきたのに、それをやつは笑った」

「そんなことどうでもいい、アンタ、命よりプライドのほうが大事なの⁉︎」

「それに地上を見てくれ。ゼンマイ仕掛けの騎士団だ。ここでバジリコを捕まえて無実を証明できなければ、オレたちはオーストラリア送りか、タルタロスに入ることになる」

 ラベンダーは恐怖でガタガタふるえていた。

「あ、む、ムリ、わたし、はもう、ムリ!」

 オレは背負ってたティーツリーをペパーミントに強引にあずけると、ラベンダーを抱きしめた。自分の香りをかがせる。

「この星で1番おそろしいものは? せーの――」

「「セーヌ川」」

 オレたちは声をそろえた。ラベンダーのふるえが止まる。

「それにくらべれば、あんなの宝石さ」

(親切なオレさまが、なんでセーヌ川がおそろしいか説明してやろう。え? トイレの話はもういいって?)

 仲間たちに作戦を伝えた。

「オレがヤツを誘いこむ。ペパー、あれは持ってきてるな?」

「ああ、携帯空間にはいってる」

「ラベンダー、ていねいに描けよ」

「指図しないで」

「それじゃあ作戦実行だ」

 

「ヨォ、お困りのようだな。俺が助けてやろうか?」

 バジリコは声をあらげた。

「その声はタバコか⁉︎ 殺してやる、姿を見せろ」

「おォ、怖いねェ。ひさしぶりに会った友人にいう言葉がそれかい?」

「だまれ、この植物の恥さらしが! よくもぬけぬけと私の前に出てこられたな! 姿を見せろ、おまえから枯らしてやる!」

「俺っちはなァ、たよられんのが大好きなのよ。困ってるやつを見るとほっとけないタチでなァ。そうやってどんどんヒトが依存してくのを見るのが、プハァ~、趣味なのさ」

「ゲホッ、ゲホ、き、さま……香りをとめろ」

「あぁ、そうそう。いい忘れてたんだが、どうして軍事拠点なのに重要なエレベーターが壊れてたか、知ってっか?」

「?」

「俺が壊したのよ」

「オノレェェェェェェェェ‼︎‼︎」

 

 階段をおりていく3人を見おくったあと、バジリコを見た。
 ラベンダーの話によると、あいつの師匠の銀狐のしわざらしい。霊視すると魂にキズがはいってるのが見える。うわさ以上の残酷さだ。
 黒いカタマリからは怒りと怨念のエネルギーがあふれ出ており、カタマリから出た何十本という手が無差別に鉄骨や展望台を破壊していた。

「ドコダ、ドコダ、ドコォォダ」

 異常だ。1人でしゃべってる。ダメージで幻覚でも見てるんだろうか? オレをさがしてるみたいだが、ここにいるのが見えないのか?
 エッフェル塔を包囲しているアロマ連合の艦隊は、ただ様子を見ていた。あんな異形のモンスターがいたら、だれだってたじろぐ。
 わが組織ながらなさけない。
 あれを、おびきよせないといけないのか。ラベンダーたちはうまくやってるだろうか? 頃あいをみて近づいたオレは、勇気を出して声をかけてみた。

「やあバジリコ、調子はどうだい?」

「シネェエェえェええェエエエエ‼︎」

 大絶叫。
 必死で階段を駆けおりる。恐怖で足がすくんで何度も転びそうになった。うしろから邪悪なカタマリが追いかけてくる。何十本も足首をはやした邪悪なカタマリが。フェンスや鉄骨を破壊しながら不穏な速度で。
 バジリコには同情するよ。
 あれが地球のために1万年以上生きた精霊の末路とは。いってみりゃバジリコだって、人間の被害者なのに。世のなかってのはいつも、正直者がバカを見る。得するのはずるがしこいやつらだけ。ちょうど人間みたいにな。おまえらのつくった法律は、おまえらしか守らない。
 のびてくる黒い手に捕まりそうになりながら、階段を駆けおりた。このまま行けばゴールだ。
 そう思った瞬間、何十本もの黒い手が何十本もの鉄骨を投げるのが目にはいった。考えてるヒマはなかった。鉄の雨が降りそそぐ前に、手すりに手をかけ階段を飛びおりた。
 後悔するよりはやく、重力がオレを捕まえた。
 第1展望台は近いと思ったが、じっさいそんなことはなく、高さはまだかなりあった。
 地面に強くたたきつけられると、肺と内臓が圧迫され、衝撃で鼻血が出た。とてつもない激痛が走り、目玉も飛び出そうだ。
 階段からまがまがしいカタマリがジャンプしたのと、降りそそぐ鉄骨の雨が見える。体がマヒして動けない。
 ラベンダーがオレを引きずった。
 バジリコが着地する直前、ペパーミントが光学迷彩シート――透明マントとも。冥府の科学班が作ったもので、ロンドンでの修行時代、これでよくペパーと遊んだ――を取った。するとペンタクルがあらわれる。古代イスラエルの時代に流行ってた封印のペンタクルで、六芒星や図形が描かれている。
 黒いカタマリは落下した衝撃であぶらぎった蒸気になり、その場をただよった。

 オレたちは礼名詠唱した。

「『カビキラー』の名において命ず――」

「『社交の草』の名において命ず――」

「『天界の果実』の名において命ず――」

 ――閉じこめよ

 宇宙のエネルギーが流れこむと、ペンタクルは黄金にかがやきバジリコを閉じこめた。
 オレは得意げになった。

「地の利を得たぞ」

 ペンタクルのなかは霊視しても何も見えなかったが、バジリコは確実に閉じこめられていた。

「バジリコ、おまえの負けだ。あきらめろ」

 ペンタクルのなかの反応はなかった。
 ため息をつく。

「このままだとあなたは、オーストラリア送りにされて殺される。だから提案がある。オレのもとで働かないか? あなたはひじょうに有能な人材だ。精油計画を手伝ってほしい。そうすれば保護を約束しよう」

 ラベンダーが顔をゆがめる。

「冗談でしょ⁉︎ こんなヤツをガトフォセ家に招きいれるつもり⁉︎」

 ムシした。

「オレたちの出会いは最悪だった。そう思わないか? 水に流して、もう1度自己紹介から始めよう。同じ花の精霊なんだ。きっとなかよくなれるはず」

 空気がうずまきヒトの形を作ると、健常だった頃の女性姿のバジリコがあらわれた。

「紹介しよう。こちら、バジリコ。伝説の至上主義者だ。ミス・バジリコ、GFS(Gattefossé Fragrance Shop ガトフォセ香料店)の面々だ」

 バジリコは見た。ティーツリーを。ペパーミントを。ラベンダーを。

「こんなちっぽけなペンタクルで、私を閉じこめたつもりか? おまえたちの礼名詠唱なんて、たかが知れてる」

「それで答えは?」

 バジリコは憎しみに満ちた目でオレを見たあと、ツバを吐いた。親指を下に向ける。

「話にならないな。面接不合格。とっととお帰りいただこう」

「返せ、それは私のスペイン風邪だ!」

「そうだった。ほら、返してやるぜ」

 封霊ビンのコルクを抜く。出現した巨大な赤い鳥と小さな鳥の大群がバジリコをおそった。

「ギャアアアアアアアアス‼︎」

 バジリコは逃げることもできず、スペイン風邪のえじきになった。「やめろ――魂に傷を負ってなかったら――礼名詠唱さえできればおまえたちなんか――」全身の骨を折られ、肉を食いちぎられ血だらけになり、虫の息となった頃。

 ラベンダーが礼名詠唱する。

「『洗い草』の名において命ず――封印せよ」

 スパフはふたたび、ビンに閉じこめられた。

 お、おわった。全身から力が抜けた。その場にへたりとすわりこむ。
 何も考えられない。
 礼名詠唱したせいで、エネルギーがすっからかん。急に眠気がおそってきたが、オレにはまだ最後の仕事が残っていた。
 スパフの処分だ。

「ラベンダー、それをこっちへ」

「オクソライト 閃け」

 紫の電流がオレの体をこがした。意識がもうろうとするなか、ラベンダーの逃げる音が頭のかたすみで聞こえた。気絶しかけて倒れそうになったとき、だれかに抱きしめられる。ティーツリーだ。

「オレンジ、アタシの香りをかげ。エネルギーをぜんぶくれてやる。あのバカを止めてくれ。たぶんだが、おまえならあいつを救ってやれる気がする」

「……おまえのおっぱい気持ちいいな」――バチン!「アボリジニの言葉では、ありがとうってなんていうんだ?」

「ありがとうを意味する言葉はない。だから感謝はいらない」

「それはかなしくないか?」

「いや、アタシたちは満たされてるから礼はいらないんだ。そのかわり、地球へ還元してくれ」

「OK」

 そのとき、ソルト率いるゼンマイ仕掛けの騎士団が第1展望台に上がってきた。
 バジリコを見たソルトは驚愕した。

「どうやら俺たちァ、とんでもないあやまちをしてたらしい。手のひらでいいように転がされてたってわけか」

「説明はたのんだぞ」

 オレは階段を駆けあがった。

 もう体のふしぶしが痛い。痛くないところがない。めまいはひどいし、気持ちわるくてのどまで胃液がこみあげてくる。足は重たすぎてうまく動いちゃくれないし、何度も転んで階段に顔面をぶつけた。それでも激痛――階段を1段のぼるごとに感じるあばらやおなかの痛み――をガマンし、オレは走らなければならなかった。
 まったく、あいつは二酸化炭素ばかり出しやがる。せっかく黒幕を倒してハッピーエンドをむかえようとしてたのに。
 柑橘系の精霊に生まれたからよかったものの、そうじゃなけりゃとっくにくたばってたとこだ。 
 第2展望台を超えて、長い長い階段を走る。
 いつのまにか腕時計はなくなっていて、時間は確認できなかった。最悪の結末ばかり想像してしまう。
 エッフェル塔は完全にアロマ連合のUFOに包囲されていた。下では大勢の連合関係者たちが、エッフェル塔にはいってくるのが見える。

 ラベンダー……ラヴァー。

 なぜだ。

 なぜおまえは、協力してくれたのに、また裏切るんだ?

 いっしょにバジリコと戦ってくれたのに。

 理由は人間だと思うが、バジリコにしてもラベンダーにしても、こんなことになるくらいなら、もう地球なんていらない。人間に渡してほかの星に住みたいよ。それじゃダメなのか?

(いまのは心の声だ。口がさけてもぜったいにいってはいけない。精霊として精神をうたがわれる。自分の国を捨てられるやつなんて、けっきょくいないのさ)

 1350段の長い階段を走りおえ、とうとう第3展望台にたどり着いた。パリ全体が見わたせる高さ。風の勢いが強い。しかし、ラベンダーの姿はどこにも見あたらなかった。

 どこへ行ったんだ?

 ここにいなかったとしたら、ほかにどこへ……?

 そういえばエッフェル塔の頂上には、エッフェルの私室があると聞いたことがある。
 ようやくその部屋を発見してなかへはいると、ラベンダーはいた。落ちついたブラウンのこぢんまりした部屋だ。
 ここなら、スペイン風邪をばらまいてもアロマ連合から見えない。計算高い行動だ。

「よぉ、調子はどうだい?」

 時限爆弾を解除するように、慎重を心がけた。
 ラベンダーは何も答えなかった。ただ、児童文学ではぜったいにしてはいけない残忍な笑みを見せた。顔に暗い影を落としている。

「これでやっと、ニンゲンを根絶やしにできる」

「待て。はやまるな」

 コルクに手をかけたラベンダーと見つめあう。時間がとまる。ピアノを弾いてるときみたいに、世界にオレたちしかいないみたいだ。

「待つことなら、もうずっとしてきた。十分すぎるほどに」

 ふるえた声に空気が波打つ。

「なぜだ。理由を教えてくれ」

 ラベンダーは涙をながした。きれいなしずくが、ほおをつたっていく。こんな美しい香りはかいだことがない。

「なぜだかわからない……なぜだかわからないの。でも、どうしてもやらなきゃって。なんでわたしはこんなことしてるんだろう……?」

「落ちついてよく考えよう。オレたち友だちだろ? 相談してくれなきゃ――待て待て‼︎」

「あなた、わたしにこれ以上待てっていうの? いつ終わるかもわからない人生で。いつになったら地球は平和になるの?」

 慎重に言葉をえらんでる時間はない。もう核爆発寸前だ。

「それをすれば、愛するエグザゴンヌも滅ぶぞ」

「できれば最後にしたかったけど、おそかれはやかれ滅ぶ運命にはちがいないわ。ほんとはドイツでぶちまけたかったけど、連合に包囲されたいま、しょうがない」

「バジリコをいっしょに倒したじゃないか」

「こんなことになるなら、向こうの味方になるべきだった……断られたけど」

 あのラベンダーが、オレに協力してくれただけでも奇跡だったんだ。最初からバジリコに味方していても、おかしくはなかった。
 ラベンダーが手に力をこめる。
 オレにはもうエネルギーがない。念力も魔法も使えない。立っているのもやっと。考えろ、考えろ、頭を使え!

「出でよスペイン風邪

「おまえの友だちはどう思う?」
「――!」

 それは当てずっぽうだったが、効果があった。

「人間ぎらいのおまえが、エグザゴンヌにこだわり続ける理由をずっと考えてたんだ。人間の友だちがいたんじゃないか? だから、オレが最初におまえを説得したとき、協力してくれた。ちがうか?」

「……」

「ほんとうにエグザゴンヌを滅ぼしていいのか? 思い出もなくなるぞ。思い出がなくなったら、おまえはおまえでいられるのか?」

「うっ、うっ、ぁ」

 ラベンダーはかっとうしていた。目も当てられないくらい苦しんでるのに、それでもまだ手に力を入れてる。
 もうひと押しだ。混乱してるいまがチャンス。
 オレはとどめをさした。

「ゲームをおぼえてるか? ガトフォセの家のキッチンでの」

「?」

「勝ったほうが、相手のいうことをなんでも聞く。さあ、それを渡せ」

「……」

 ラベンダーは、ふだんのあいつならぜったいにしないことをした。感情が乱れてることもあって流されたんだろう。ビンを投げた。
 受け取ると、スパフと目があう。
 そんな顔しないでくれ。オレだって好きでこんなことするわけじゃない。
 スパフは、自分の運命がわかってたんだろう。これから出荷されるヒツジみたいにおとなしくちぢこまってる。
 自分の命を燃やし強引にエネルギーを作ると、オレは手から浄化の炎を出した。

「ぴぎゃぁぁぁ!」

「ごめんな」

 涙で顔を赤くしたラベンダーが自分の重大なミスに気づいたとき、すでにスパフはこの次元を去っていた。

「ちょっと待って、あのとき食器を多くかたづけたのは、わたしでしょ!」

「そうだったかな? 昔のことは忘れた」

「ヒドい男! そうやってたくさんの女の子を泣かせてきたのね」

 オレは悪びれる様子もなく答えた。
「ああ。そうだ」

第15輪 ロックンロールが大好き ( I Love Rock'n Roll )


 お、なんかおもしろそうなことやってるねェ~
 壊しとくか、エレベーター

          ――タバコ

 必死のかいあってラベンダーを説得したオレは、いっしょに2階の第2展望台を超えて、さらに階段をのぼった。
 もうバジリコは頂上へ行ったんじゃないかと思ったが、ちょっと階段をのぼったところで、息ぎれを起こしていた。

「オレンジ大佐、迷子のババアを発見しました」

「ヘヘ、年寄りは体力がないんだから無茶すんなよな、変身が解けてるじゃないか。ばあさん、地球のことはオレたちにまかせて、おとなしく家に帰れよ。帰り道はわかるか?」

「はぁ、はぁ、おまえたち……」

 ラベンダーは残酷な笑みをうかべた。

「大丈夫、安心して。ニンゲンはわたしが滅ぼしといてあげるから。アトランティスムー大陸みたいに、ぜんぶ海に沈めればいいんでしょ? 楽勝すぎて草はえるわ~。海に沈んだら草はえないけど」

(草がはえる。植物界の昔ながらのスラング。笑ってることを意味する)

「おい、それじゃオレたちの植物も沈んじまうじゃねえか」

「ギャッハッハ‼︎ ウケるんだけど!」

「ウケねえよ」

 バジリコは見るからに不快な香りを出していた。ラベンダーの下品な笑い声は、オレにもひじょうに耳ざわりだったが、バジリコに考えるよゆうをあたえなかった。

「スパシーバ 貫突せよ」

 階段が見えないヤリにつらぬかれたが、オレたちは例のごとく、距離をあけて1つ下の踊り場で身を守っていた。

「馬花な若者め! 地球のことを何も考えていない。おまえたちみたいな若者がいるから、地球がどんどんダメになっていく」

 ラベンダーと打ちあわせた挑発作戦は、ひとまず成功した。
 バジリコはペースを乱しつつある、このままこっちのペースに引きずりこもう。
 オレは提案する。

「バジリコ、オレはゲームを持ってる。おまえのために」

スペイン風邪を手に入れたいま、つきあう理由はない」

 バジリコは背を向けた。

「『真の薫香』と『銀の狐』の弟子が2輪。人質にすれば良い交渉材料になると思うんだがな」

 動きが止まった。オレは続ける。

「いまならおまけに、ハーデスの孫のペパーミント皇子もついてくる。さあ、どうする?」

「まるで同窓会だな。地球大混乱時代の。ハーデス、銀狐、オリバナム、ヤツらは殺しても殺し足りない」

「ルールはかんたんだ。逃げるオレたちを捕まえればいい」

「私が乗ると思っているのか?」

 ……ふつうに考えて乗るわけないよな。だけど、ここで追いかけてきてくれなきゃ作戦失敗だ。
 どうしようか考えてたそのとき、ラベンダーがあまりにも失礼なことをいった。

「ねえ雑草、師匠から聞いてるよ。おまえ、うちの師匠にこてんぱんにやられたんだって? もしかしてそのニンゲンみたいなみじめで気持ち悪い体、師匠にやられたの? かっわいそ~、魂にそんな障害持ってたら、もう精霊には転生できないね。次に生まれ変わるとしたら、ニンゲンじゃん。あ、いっけない、わたしったら、あなたのこと雑草呼ばわりしちゃってた。ごめんさない、これからは花じゃなくて、ニンゲンだもんね。ニンゲンさん!」

 ラベンダーのせいで、悪寒がぞわっと背筋を走った。周囲の空気が、ぞっとするほど冷たい。バジリコのまわりには異常なエネルギーが集中していた。それなのに、ラベンダーはまだバジリコを挑発している。

「もうやめろ、ラベンダー」

「ねえニンゲン、アンタってとんでもない負け組よね。アマテラスたちを地球に呼びよせ率いたうちの師匠――地球を代表する大神霊の『銀の狐』には、いまのニンゲンの文明をつくられるし、アトランティス原発や核戦争を止められなかったんでしょ? 負け組じゃん。しかも仲間だったマスター・ポテトには裏切られて、アッハッハ、だめ、笑っちゃう、コメディかよ、伝説の精霊とかいわれてるけど、ほんとは大したことないんじゃない? すごい魔法や霊能力なんてじつは使えないんでしょ? だってニンゲンだもんね。ローマ帝国では愛の女神として君臨し、聖ヴァレンチノとともに地球にバレンタインデーを作ったこのラベンダーさまが、おまえに愛という名の伐採をあたえてやろう」

 バジリコは維管束が煮えくりかえった顔をしていた。怒りでわれを忘れている。

「スパシーバ、スパシーバ、スパシーバスパシーバスパシーバスパシーバスパシーバスパシーバスパシーバスパシーバ‼︎」

 目に見えない空気のヤリの雨が、エッフェル塔に降りそそいだ。バジリコはさけんだ。

「アロマ連合はもうおしまいだ‼︎ おまえたちも殺してやる‼︎」

 いまだに挑発を続けるラベンダーをかばいながら、集合場所の第2展望台をめざした。階段をいっきに駆けおりる。

「昔わたしがやった【エルサレムの大悲劇】みてェに悪魔を大量召喚して、バジリコ、てめェをブッ殺してやる!」

 オレは歴史の真実を知った。「サイテー」

(【エルサレムの大悲劇】。ソロモン王の時代、だれかが悪魔を大量召喚したんだ。犯人は見つからなかったが、そのせいで悪魔たちの帝国ができあがり、エルサレムはあらそいの絶えない土地になってしまった。いま、未解決事件が1つ解決した)

 第2展望台に到着したとき、ちょうどサージェント・ペパー(ペパー軍曹)が向こうからやってきた。

「何あの波動⁉︎ きみたちいったい、何やったんだ?」

「話はあとだ、おっかない校長先生が来る」

 後ろから背筋がこおる冷たい波動を感じる。姿の見えない何かがせまってくる恐怖が、オレの体を支配しようとした。ひざがふるえる。

「こっちだ」2人を手まねきした。

 セーヌ川が見えるほうへ行き、真ん中まで移動する。自分たちの居場所が外から目立つように。
 バジリコの火薬みたいな刺激的な香りを感じるのに、姿が見えない。目をほそめて注意深く霊視すると、湯気がたってるかのようにゆらめく姿のバジリコがやってくる。けむりみたいに安定しない姿で、しかし確実にこちらにやってくる。
 まだ距離はあると安心してたが、バジリコが手をあげると、それはとつぜんやってきた。呪文をとなえるヒマはなく、とっさにみんなで念力の防御膜を作る。空気のヤリの暴雨だ。耳鳴りするくらいはげしい音と衝撃が、手からつたわる。
 1分——2分……3分……も、もうたえられない、ペパーミントもエネルギーを消耗させられ、子ども姿になっていた。
 やっと雨がやんでバリアを解くと、バジリコは目の前にいた。

「うぁ⁉︎」金縛りだ、動けない、首をしめられる。

「ガキどもめ、大人を怒らせたらどうなるか教えてやろう」

 完全に自由をうばわれるまえに、オレは先生に問題を出した。

「この世で1番強いものは、何かわかるか?」

 声帯がしぼみ、圧迫されてのどが苦しい。息ができない。
 とうとう窒息死しかけた頃。

「……なんだ?」

 バジリコはオレだけ金縛りをゆるめた。

「ぜっ、はぁ、はぁ、っは」まだだ。どうにかしてバジリコの注意をこっちに向け続けないと。だけどペパーとラベンダーの顔色を見るかぎり、そう時間はかけられない。2人の顔はすでに青い紫色になっていた。「ヒントは、全宇宙で1番強い力だ」

「ビビデバビデブか? パピポピプラか?」

「いや、《強制転生》の魔法じゃない。文明が消滅するときに発生する怨念の集合霊でもない」

「じゃあなんだ!」

「落ちついて。その能力がないから、あなたはいままで負け続けてきたんだ。オリバナムたちに勝ちたいんだろう? ん?」

「……エネルギーか?」

「それは核エネルギーでもマイナデスコールでもない。霊能力や超能力でもね」

「やけにもったいぶるじゃないか。まあいい。私には使えるか?」

「いや、大人には使えないんだ」

「?」

「ところで、1人たりないと思わないか?」

「……ティーツリーはどこだ? ――‼︎」

 気づいたときにはもう手おくれだった。
 オレさまは、きわめて紳士的にいった。

「では、宇宙最強の能力をとくとご覧あれ」

 オレは仲間の2輪をかばった。
 アロマ連合の艦隊をひきつれてきたチリチリバンバンはうなりをあげて、エッフェル塔に激突した。鉄骨は激しくひしゃげ、バジリコはしたじきになった。

「答えは若気のいたりだ。わるいなバジリコ、この能力は若者の特権なんだ」

 バジリコが落とした封霊ビンを、念力でひろいあげる。やっと取り返した。
 大爆発のなか、ひんしの子どもティーツリーを救出し、オレたちは階段へ向かった。

第14輪 エッフェル塔の嫌いな奴はエッフェル塔に行け

 よくも、よくもやったな!
 自然を愛する、良い人間たちだったのに!

          ――ティーツリー

 間に合ってくれ。
 まだ間に合うはず。
 命がけの戦いになるだろう。
 不安でいっぱいだ。
 なにもバジリコを倒す必要はない。
 そんなことできっこないんだから。
 ヤツからスパフを取りもどし、処分すればミッション完了だ。
 花を咲かせるより楽勝。
 Bob's your uncle.

(きみのおじさんはボブ。イングランド英語のスラング。かんたん、問題ない、大丈夫といった意味)

 それで世界もガトフォセも救われる。
 すべてハッピーエンドになる。
 どんよりくもったフランスの空。まだ9月だというのに――きっと日付をかんちがいしたんだろう――今日は11月の寒さが訪れていた。
 これからバジリコと対決する。
 そうなったらもう、あともどりできない。
 聖母ピラール大聖堂で感じたバジリコの怖さを思い出し、不安で押しつぶされそうになる。緊張と恐怖で内臓をギュッとつかまれた気がした。
 いまならガトフォセの命をあきらめれば、自分はぜったい助かる。
 ああもう、気をまぎらわせたい!
 オレとペパーはUFOのなかで肩を組んで、ちょっと気のはやいエピニーキアを歌った。エピニーキアとは祝勝歌――つまり、勝利を祝って歌う歌だ。

 Oh, Oh, オレたちはチリチリバンバン大好き
 Ah, Ah, きれいなバンバンチリチリ大好きよ
 Hi, Hi, どこへ行こうと おまえがたより
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく

 夢おいかけて空へはばたく 世界一の車
 魔法使いのおまえはいつも ステキ おりこう 強い

 オレたちはきれいなバンバンチリチリバンバン大好き
 あっちもこっちが大好きだってチリチリ愛してる
 のぼれおりろどこへ行こうと おまえがたより
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく

 歌を歌ってるからって、よゆうそうだと思わないでくれ。せっぱつまってるから、いまのうちに少しでも緊張と不安を解きほぐさないと、いざというとき致命的なミスをする。
 時間は有効に使わなきゃいけない。
 だけどなぜか、ラベンダーとティーツリーは、戦争で負けた国みたいに顔をゆがめて不機嫌だった。かえって不安をあおったようだ。
 パリの上空には、アロマ連合の船が飛んでいた。いまのところ6隻は確認できた。見えないだけでもっといるかもしれない。
 いまだに真犯人がバジリコだとわからず、オレをさがしているようだ。

「ペパー元帥、あの包囲をかいくぐれるか?」

「おまかせを陛下」

 UFOはAUのセンサーに見つからないように、しかしヘビのようにうねり、すばやい動きでエッフェル塔のあるシャン・ド・マルス公園に着陸した。

「作戦実行だ」ナポレオンはいう。

「名前はどうする?」

 ティーツリーの言葉に、しばしなやんだあと、ナポレオンは顔を上げた。

「フランスの悪臭を浄化せよ」

「ハハ、よくわからんが、カッコイイなそれ。気にいった」

「無事を祈る」

「おまえらもな、死ぬんじゃねえぞ!」

 ラベンダーはオルレアン流のビズを4回かわしたあと、ティーツリーとハグをした。
ティー、気をつけて」

「行ってバジリコのやろうをぶちのめしてこい」

「わたしの女神は微笑んでる」

 オレとペパーとラベンダーは、エッフェル塔へ向かった。軍人の姿で。なぜかラベンダーは変身せず、通りを歩く軍人から服をうばって変装した。
 エッフェル塔は軍事拠点の1つとして使われているから、この姿のほうが自然だ。公園内でもフランス軍の兵士がちらほら歩いていた。
 鳥に変身して一気に塔の頂上まで行ければラクだが、鳥は霊視のターゲットになりやすい。どこにAUのナイトやマスターがひそんでいるかわからない上に、逃げ場のない空でねらい撃ちされたら一巻の終わりだ。
 オレたちを人間とかんちがいした悪霊が、憑依しようと近づいてきた。黒い人影をオレはなぐった。

「調子にのるなよ。皿も割れねえ悪霊が」

 シャン・ド・マルス公園の並木道を走りながら、ラベンダーはいう。

「おぇっ、サイアク。わたしいま、エッフェル塔見ながら走ってる」

「おまえ、エッフェル塔アレルギーだっけ?」

「あの鉄骨の野蛮なカタマリのせいで、パリの景観はぶちこわし!」

「あの塔の独自の美しさがわからないなんて。建築学的に見て、すごい建物なんだぞ。風圧への抵抗とか、頂上へ続く4つの曲線美なんて、力強さすら感じる」

「アンタは若いから、流行りに流されてるだけでしょ! なにあの高さ? ニンゲン風情が、神にでもなろうとしてるのかしら? 悪魔の建物め」

「おまえの故郷のエジプトでは、絶賛されてる」

「あそこのニンゲンには、美的センスってもんがないから」

「口じゃなく足を動かせ!」ペパーはどなった。

 空ではティーツリーの操縦するUFOが、AUのUFOから逃げていくのが見えた。

「はやくも作戦失敗ね」ラベンダーはいった。

 いまのは見なかったことにしよう。
 それにしても、木々の多い公園のなかでさえひどい匂いだ。フランス人はその国民性ゆえ霊を信じないやつが多いけど、それはしょうがないかもしれない。
 これだけクサかったら、精霊だって近づくわけないんだから。
 その点、ジャパンはなんであんな霊が多いんだろうな? 人間の霊だけじゃなく宇宙人とか、異世界とか異次元とか、そういうたぐいのやつらが多い。不思議だ。あの島国は、上の次元では非常にグローバル化が進んでいる。

(ああ、そうそう。上から――というか作者からお達しがあって、どうしても伝えなきゃいけないことがあったんだった。21世紀初頭のジャパンでは〝異世界転生モノ〟というファンタジーのジャンルが確立してるが、おまえたち、地球の問題を解決せずに、そうかんたんにラクなほうに転生できると思うなよ? 宿題をやってこなかった生徒には、あたりまえだが重い罰が待ってる。
 それに異世界人もいってるぞ。
「ありがとう、ぼくたちの世界を救ってくれて。でも、どうしてきみたちは自分の星を救わないの? 何か理由があるんでしょ?」ってな。
 地球をなんとかするために転生してきたのに、なにやってんだ? え? 不倫すんな! 2次元ばっか見てないで、地球を見やがれ‼︎)

 エッフェル塔の入り口にはアロマ連合のナイトが2人いたので、ひと芝居打つことにした。

「よォ! ちょっとそこをどいてもらおうか」

「――おまえ、オレンジだな⁉︎」すらっとした女が答える。

「おっと、手を出すなよ? 少しでもおかしなことをしてみろ、こいつの頭がふっとぶぞ! こいつがだれだかわかるよな?」

 子ども姿のペパーミントを見せ、鉄砲の形を作った指を頭に押し当てる。

「た、助けてくれ」

「ペパー皇子⁉︎ きさま、植物のくせに恥ずかしくないのか!」

「さあ、はやくエレベーターを使わせろ。さもないと――」

「わかった、はやまるな、いうとおりにするから。ただ、あー、ちょっといまメンテナンス中で、稼働させるから待っててくれ」

「ねえアイリス、エレベーターっていまぜんぶ壊れてるから、階段しか使えないって話でしょ?」

 チビの女がいった。

「ユリのパセリ!」

 アイリスは怒った。

「ほう、なるほどな。そいつはありがとう。おかげでだまされるとこだった。いいか、もし追いかけてきてみろ! ペパーミント皇子の命はねえからな!」

 階段をのぼりやつらから見えなくなったところで、オレたちはハイファイブ(ハイタッチ)した。

「持つべきは親友だな」

「ぼくたちはツイてた。もしエレベーターが使えてたら、とっくにスペイン風邪をばらまかれてた」

 急いで階段を駆け上がる。

 

 アイリスはあわてた。

「大変だ、パリ班に伝えないと」

 エアリスをひらいたところで、両手でパンッと、とじられた。

「安心して。わたしがヤツらを捕まえる」

「『洗い草』さま! え、さっき上に――」

 ラベンダーは考えるヒマをあたえず、まくしたてた。

「いい作戦があるの、わたしがヤツらを捕まえる。集中したいしジャマされたくないから、報告は待って。あの柑橘やろうはスペイン風邪を持ってる、だから慎重にならないといけない。もしジャマが入ってスペイン風邪をばらまかれでもしたら……わかるでしょ? あなたはここでだれも入らないよう、見張ってて。30分待ってわたしが出てこなければ、応援を呼んで。わかった?」

「い、イエス

 駆け上がっていくラベンダーを見て、アイリスは思った。カッコイイ。

「持つべきは権力ね」

 ラベンダーは先を急いだ。

 

 時計を見る。あと18分しか時間がない。
 いつ戦闘になってもいいよう変身を解いたオレとペパーは、息をつまらせながら全速力で階段をのぼった。猛ダッシュだ。
 せまい階段だ。オレとペパーがならんで走ったらもう、ぶつかりそうになる。
 鉄製の階段がけたたましく鳴り響き、階段をのぼっていた軍人が振り返る――あまりに力を入れて走ってたからか、音が次元を超えて3次元近くまでとどいたようだ――霊感があるらしい。だれもいないのに、どんどん音だけが近づいてくるから恐怖で顔が青ざめている。かわいそうに。かまえられた腕と体をすり抜けて上をめざす。一般公開されていたときには、あんなに観光客でにぎわっていたのに、いまじゃ不気味なくらい物静かだ。

 ――間に合ってくれ!

 ラベンダーに変身したということは、バジリコも鳥に変身する危険性をわかってるはずだ。アロマ連合に怪しまれないように、ラベンダーの姿で階段をのぼってるはず。頂上までは300メートルもあるんだ、間に合うはずだ。

(いま人間界は、国家の威信をかけた高層建築ブームの真っ盛りで、どの国が1番高い建物を建てられるか競い合っていた。
 1位はフランスのエッフェル塔――300メートル。2位はアメリカのワシントン記念塔――169メートル。そして3位がドイツのケルン大聖堂――157メートル。
 精霊界からみたら、うーん、おおげさにいって、よくがんばってるほうかな。次元がちがうから精霊界の建物とは比較できないな。
 あといまさらだが、オレたちの次元は霊界とかあの世とか、天界、神界、人間からいろんな呼びかたをされてる。でもだいたいの霊は精霊界とカジュアルに呼んでる。非物質界はフォーマルないいかた。演説とか会議では、こっちの言葉がよく使われる)

 ベージュがかった茶色の鉄骨の間から、シャン・ド・マルス公園全体と陸軍士官学校――当時ナポレオンが通っていた――が反対側に見えた。なつかしい日々を思い出す。あいつが応援してくれてるようだ。
 いまは高層ビルで、10階ほどの高さだろうか?
 どこを見ても鉄骨しかないが、その計算されて組み立てられた鉄骨の織りなすカッコよさ。
 男心をくすぐられる。
 幾何学的に組み立てられたほそい鉄骨は、まるでレース細工だ。刺繍を想像させる。少女のようなやわらかさがあるのに、華奢な感じはなく、むしろ鉄骨と曲線美の女性的な魅力のおかげで、こざっぱりとシャレた力強さがある。
 パリジェンヌとは何かと訊かれたら、オレはエッフェル塔だと答えるね。
 この細部の美しさが、外からエッフェル塔全体を見たときの優美さを演出してるんだろう。
 ラベンダーみたいにケチつける連中もかなり多いが、それでもエッフェル塔は1889年の一般公開第1週目だけで、すでに2万8922人が階段で塔にのぼったんだ。
 その役割はたんなる観光名所だけにとどまらず、塔の頂上には気象観測所が設置されたり、空気力学、電信、物理実験など、さまざまな科学分野で研究や実験に使われていた。
 エッフェル塔は軍事においても活躍した。頂上に軍事用無線アンテナを設置することで、この世界大戦ではドイツ帝国の無線を傍受して侵攻を阻止したり、ジャミングして通信を妨害したり、ドイツの悩みの種となっていた。
 自由の女神――アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスが贈った――とエッフェル塔は、いってみれば姉妹だ。どちらもパリで完成してるし、ギュスターヴ・エッフェル始め、多くのフランス人が設計、建設に関わってる。
 エッフェル塔は、フランスにとっての自由の女神。どうか、ドイツのブタどもからフランスを守ってくれ。
 精霊のオレが、人間の造ったものに祈るなんて不思議な気分だが、いまはカエルにもてつだってもらいたくなるくらいよゆうがない。だれでもいいからすがりたい気分。おぼれたとき、ついワラでもつかんでしまうように。
 ふとオレは止まった。音がない。振り返るとペパーミントは、1つ下の踊り場で立ち止まっていた。

「なにしてる?」

「……オーレ、もう手おくれじゃないか?(このままバジリコが、ニンゲンを滅ぼしてくれたほうが……)」

「Bob's your uncle!」
「Bob's your uncle」
「Hades's your grandad!」
「Hades's my grandad!」

 オレは弱気なペパーミントを、おまえのおじいちゃんはハーデスだから大丈夫だと元気づけた。

「全身全霊で走れ! 突撃、突撃! オレに続け! おまえのことはオレが守る、ぜったいに枯らしはしねえからな!」

「フッ、ぼくはもう大人だよ、オーレ」

 

 バジリコはいった。

「ウフッ、じつに至福……。この階段を一段のぼるごとに、ニンゲンどもの消滅を味わっている気分になる。気がはやいかしら?」

 骨頭で紫色の体のブタがいう。

「ナンドモキイタ。ハヤクイク」

「待って、レオンハート。このよろこびをたっぷり味わいたい。あなたにわかる? 1万年もずっと、この瞬間を待っていたのよ? オリバナムにも銀狐にもずっとずっとジャマをされ、ポテトには裏切られ……ニンゲンを存続させたアロマ連合のヤツらが地球の代表ヅラしてるのが許せない!」

「カテバカングン」

 ピンクのブタはいう。

「ねぇ、それよりアタシおなかへってきちゃった。この仕事が終わったら、ニンゲンの霊をいっぱい食べたいわ」

「聞いてるの? ゾフィア」

「もうその話は何度も聞いたわ、バジー。ニンゲンを消滅させたいんでしょ? ならはやく行きましょう」

「あなたたちは、おいしいものがあったら何度もかんで味わいたいと思わないの?」

「イケメンとなら、ずっとズッコンバッコンしてたいわ。1万年やり続けるのもいいかも」

「マルノミスル」

「……アトランティスが滅んで、やっとニンゲンが絶滅すると思ったのに、あの雑草たちは正気のさたじゃない、ニンゲンを存続させるなんて! 私はもうクローン奴隷、原発汚染、核戦争なんて嫌だ‼︎ なのに! 歴史はまた繰り返そうとしてる!」

 ゾフィアはあきれた。

「だったら走りましょうよ」

 バジリコは自分の感情をおさえきれず、ヒステリックにわめきだした。

「どうしてわからないの? いままでたくさんのいろんなことがあった。だから、自分の気持ちを整理したいの。すぐに滅ぼしてしまったら、きっと私が私でなくなってしまう。いつもアロマ連合に出し抜かれてきた! この日のために、ニンゲンを根絶やしにするためだけに、休むヒマなく1万年もの間、死に物ぐるいでずっとずっと動いてきた! タラゴンさま亡きあと、地球中の植物至上主義者たちをまとめようと努力した! 連合の目を盗んでほかの星に救援を求めてきた! すべてはニンゲンを根絶やしにするために‼︎ たとえ銀狐に魂を破壊されようと! だから、これは自分へのごほうび。勝利を味わわせて。走るなんてもったいない。私はいま、達成感で満たされてる。こんな心地よい感覚、ひさしぶり。長いこと忘れてた気がする。子どもの頃にもどったみたい」

 ゾフィアとレオンハートは、だまった。いまのバジリコには、きっと何をいってもムダだろう。1万年。その長さを自分たちは想像もできない。転生することなく、また、とほうもない時間を休むことすらできず、つねに命をねらわれながら、バジリコは生き抜いてきたのだ。ニンゲンを地球から追い出すために。
 その信念と勤勉さにひかれ、ゾフィアとレオンハートはバジリコについていくことを決めたのだった。バジリコが自分たちを、いつか捨てるとわかっていながら。
 自分たちにはバジリコのような正義感はないが、バジリコについていけば、確実にニンゲンに復讐できる。
 ゾフィアは、階段にいるフランス軍の兵士を見た。

「ねえレオン、あのニンゲンのガイド(守護霊)、おいしそう」

「オトコカ……オンナ、オレモラウ」

 バジリコはスペイン風邪のビンを取り出した。

アメリカ政府を使って強化したまでは良かったけど、強化しすぎて脱走されるとは思わなかった」バジリコはビンにキスをした。「またもどって来てくれてうれしい」

 そのとき、下からけたたましく階段を上がる音が聞こえてきた。

 

 ラベンダー姿のバジリコたちがいた!

「オラ・グラシアス 燃えよ!」

「チッ……(あいつら、信じられない。何をもたもたしてるんだ?)」

「わっ⁉︎ ヤバッ」おどろいたバジリコは、あやうくビンを落としそうになる。「やつらを止めろ!」走って逃げる。

「マカセロ」

「きゃああ! ミントのイケメン、アタシに会いに来てくれたのね!」

 ペパーミントは顔を引きつらせた。

「殺す!」

 ブタたちは逃げながら、《仔牛の解体》をとなえた。

 ドナドナ 解体せよ
                       
   ドナドナ 解体せよ
                      ドナドナ 解体せよ
                              ドナドナ 解体せよ
            ドナドナ 解体せよ

      ドナドナ 解体せよ     ドナドナ 解体せよ
   ドナドナ 解体せよ
 ドナドナ 解体せよ         ドナドナ 解体せよ
            ドナドナ 解体せよ    ドナドナ 解体せよ

                           ドナドナ 解体せよ
   ドナドナ 解体せよ
                 ドナドナ 解体せよ    ドナドナ 解体せよ
       
 ドナドナ 解体せよ   ドナドナ 解体せよ   ドナドナ 解体せよ

         
     ドナドナ 解体せよ
             ドナドナ 解体せよ

 エッフェル塔を構成する鉄骨がつぎつぎにはずれ、階段に落ちてくる。うぉっ、なんだこのドナドナ戦法は⁉︎ ひきょうにもほどがある! この魔法にこんな使いかたがあるとは。

「やめろ、きちょうな文化遺産なのに!」

「アタシたちには関係ない」

「あぶない!」

 ペパーミントがオレをかばってくれた。さっきまで立っていた場所に鉄骨がつき刺さる。

「サンキュー」

「はやく大人に変身しろ!」

「いや、大人になるにはまだはやい。相手はバジリコだ、体力を温存しとかないと」

 逃げ場のない階段でうまく鉄骨の雨をかわしながら走り、ようやく1階にたどりつく。第一展望台だ。

(フランスのフロアの数え方は英国と同じだ。地上階の1つ上が1階。2階ではなく1階。次の階が2階となる)

 階段から出ようとしたところで――ピュン、ビームだ――顔を引っこめる。ピュンピュン飛んでくるビームのせいで、階段から出られない。
 あのブタ、待ちぶせとは淑女のすることじゃない。どこまでひきょうなんだ。もうソーセージにするしかないな。

「アマテラ・アラメダ 銀河の遊歩道」

 《天叢雲剣》を出したペパーミントはビームを打ち返した。ペパーミントの後ろで、姿の見えないもう一体の骨顔のブタが来ないか、気をくばりながら進む。

「あのブタたちの目的は時間かせぎだ、ここはぼくにまかせろ、先へ行け」

「恩にきる」

 〝ブタにミント〟ってことわざを広めようと思ったのは、このときだった。
 オレは2階への階段を駆け上がる。
 とたん、上からビームを撃たれた。踊り場の下へ逃げる。

「シネヒツジ」

 骨顔のブタだ。皮膚のない顔は見るからに凶悪で、犯罪者らしい。

「オレンジだ」

 ヤツはビームを撃ちながら、しかしせめては来ず、じりじりと後退して、オレと一定の距離をたもち続けた。
 マズい、これじゃ先へ進めない。バジリコを追いかけられない。

「オラ・グラシアス 燃えよ」

 階段がジャマで魔法も当てられない。

「まるで獣だ、男らしくない。どうどうと戦ったらどうだ? それともこわいか?」

「キョーミナイ」

 挑発にも乗ってこない。くそっ、こんなせこい手口でフランスが滅ぼされるなんて。
 困っていると、いきなりレオンハートが階段から転がってきた。新しい戦いかたかと思ったが、蹴られただけらしい。踊り場に倒れたレオンハートには残酷な運命が待っていた。

「ドイツのブタめ、オクソライト 閃け」

 電撃で穴があき、レオンハートは地上へ落下した。ガンガン鉄骨にぶつかって、大きかった体は最後は点になった。
 オレはただ、ぼうぜんとそれをながめていた。穴をヒョッと飛びこえ、ラベンダーに近づく。

「どうやって上に行ったんだ?」

 ラベンダーは微笑んだあと、オレを蹴り飛ばした。

「ぐッ⁉︎」

 体が宙をまい、階段の外へ出た。エッフェル塔の1番外側の鉄骨に叩きつけられる。なんとか鉄骨をつかみ落下はまぬがれたが、死に直面して心臓の鼓動が一瞬とまる。パリの街並みが視界にはいる高さ。

「ハハ、そのまま死ね!」

 ラベンダー姿のバジリコが念力で、オレの足をつかんだ。下へひっぱられる。レオンハートの最期が頭をよぎった。内臓が痛い。全力で走ってきたせいで変身する体力なんてない。落ちたら終わりだ。
 念力の力がどんどん強まってくる。
 もう——限界だ。

「シャーペクト・シルヴァーナ 神風よ吹き滅ぼせ」

 下のほうから飛んできたするどい風の刃が、階段を切り落とした。切り取るというより、空間を丸ごと消滅させるのに近い。
 バジリコはすんでのところでのがれた。あわい紫の髪がひとすじ、宙に散る。
 ラベンダーが階段を上がってくる。たぶん、こっちが本物。

「その魔法――おまえ!」

「ヒッ——あっ、あなた、その姿⁉︎」

 バジリコはラベンダーの顔で憎らしげな顔をすると、すばやく階段を駆けのぼっていった。

「助かった。おい、ここだ」

 下からやってきたラベンダーに、オレはいった。

「…………」

 ラベンダーは、オレを助けることをためらっていた。しばらくの間、とまってしんけんに考えている。
 もう手が限界なんだ、はやいとこ地に足つけたい。

「オレを助けないと、エグザゴンヌは滅ぶぞ」

 この言葉が効いたらしい。

「飛んで」

「は?」

「いいから。わたしを信じて」

「地球で1番信じられない言葉だ」

「ほかに方法ある?」

 なんでいつも、あいつのほうが立場が上なんだろうな?

「だましたら承知しないぞ」

「いいから」

 どう考えたって階段にはとどかない。下を見ればブタの死体。

「ガトフォセの命がなくなるまで、あと何分かしら?」

 オレには選択肢がなかった。体勢がキツかろうが体力がなかろうが、近くの鉄骨の壁をけってムリにでもジャンプする。
 カエルみたいなあわれなジャンプは、思ったよりすぐ落下を始めた。重力がオレを殺そうとする。
 しかし地球の引力とはべつに、もう1つオレをひっぱる力があった。ラベンダーの念力だ。
 なんとか、オレの体は階段に転がり落ちた。

「ふう、枯れるかと思った。メルシー(ありがとう)。ペパーはどうした?」

「まだ下でブタと戦ってる」

「そうか、でもおまえが来てくれて助かった。ペパーがいないのは心ぼそいが、おまえさえいてくれればなんとかなる」

「はやく追いかけよう!」

「だけどそのまえに、ラベンダー、大人になれ」

「ふんッ、バジリコなんて、わざわざ大人にならなくてもよゆうだね。子どものままで十分」

「威勢がいいのはありがたいが、ヤツはアトランティス経験者だ。出し惜しみしてる場合じゃないぞ、はやく大人になれ」

「……大人になったって、あいつには勝てないよ」

「おい、さっきまでの威勢はどうした?」

「あ、アンタ、わからないの? さっきあいつのほんとの姿が視えた、あの黒いカタマリは、ヤバいなんてもんじゃない、ば、バケモノよ! 魂があんなグチャグチャになってて、生きてるのが不思議。もうムリ、ふるえが止まらない、近づけないよ」

 オレは香りを出して勇気づけた。

「いいか、『洗い草』? おまえはエジプトやイスラエルだけじゃなく、ローマ帝国でも活躍してきた由緒ある花だ。大ペストを浄化したおまえを、いまや地球中が注目してる。自信を持て。おまえが大人になってくれさえすれば、勝機はかならずある。倒さなくていい、スパフを取り返すだけでいいんだ」

「……」

「さあ、はやく!」

「……わたし、大人に成長できない」

「は……?」

「だから、大人になれないんだってば!」

「おい、ふざけてる場合じゃ――」

「ほんとだってば! わたし、大人になれないの。いつもよゆうぶってるのは、大人になれないのをかくしてるからなの」

「大人になれないのに、どうしてアロマ連合のマスターになれたんだ? じゃあ、ペストを浄化したってのはうそだったのか?」

「ペストの話はほんとう。あのときの1回きりしか、大人になれなかったの。そのあといくらがんばっても、大人にはなれなかった」

「天使に変身できるのに、なんで大人になれないんだ?」

「あれは、100年以上練習したから。ほんとは変身術も苦手で、あれ以外には変身できない」

「うそだろ……ふつうとまるっきり逆だ」

「アンタこそ、さっさと大人になりなさいよ!」

「……オレもだ」

「え?」

「大人になれない」

「ちょっとかんべんしてよ⁉︎ 大人になれないやつが、どうしてアロマ連合のナイトになれんのよ!」

「うるさい、師匠のコネだ。それに、おまえとちがってオレは変身は得意だ」

「さいっあく! サイアクよ! 子どもが2人で、どうやって大人を倒すのよ⁉︎ 相手は伝説の精霊なのよ、アトランティスを経験してる!」

「ラベンダー、落ちつけ、いいか、よく聞け。おまえはまぐれでも、1度は大人になってるんだ。つまり、必死になりゃできるはずだ、ここで大人になれなけりゃ、オレたちはおしまいだ」

 白いワンピースの少女は目をつむり、神経を研ぎすませた。ラベンダーの香りとエネルギーが活性化し、周囲の空気は表情を変える。

 ――そして、ラベンダーは目をあけた。

「そうかんたんに大人になれたら、みんな苦労しないわ」

第13輪 お困りならシャーロック・ホームズ先生に

 ぼく、しってるよ
 ちちうえは、もうかえってこないんでしょ?
 おばあさまも、どうしてみんないなくなっちゃうの?
 ねえ、ははうえ

          ――ペパーミント

「何してる、グリム! どういうことだ⁉︎」

 リーダーはいった。

「ナポレオン、ぼくはもう、復讐はこりごりだ! こんなことやめて、みんなで暮らそう」

「この裏切り者がァ!」

「おい、うそだろ? おまえ、ナポレオンっていうのか⁉︎」

 オレはひさしぶりにナポレオン・ボナパルドの姿に変身した。
 完全にコピーすると気持ちわるい中年になっちまうし、本人も美化されるのが大好きだったから、あの有名な【ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルド】の姿になった。

(だれでも1度は、この絵画を目にしたことがあるだろう。だが、あれは理想化されていて実際はラバに乗ってたんだ。愛馬のマレンゴには乗っていない。マレンゴはパグのフォーチュンとちがってイイやつだった。軍隊においていかれたナポレオンは、ガイドに案内されながら、けわしい山道をトコトコ移動していた。ま、そのガイドってのはオレだが)

「ブタのクセに余《よ》の名を語るとは、無礼千万《ぶれいせんばん》! 不敬《ふけい》である。余自ら引導《いんどう》を渡してやろう!」

「オレンジ、ぼくを止めるなよ」

 ペパーミントは上着を脱ぎすて、ネクタイとワイシャツ姿になる。
 ニセモノのナポレオンは――オレもニセモノではあるが――さけんだ。

「捕まえろ、バジリコに知られたら八《や》つ裂《ざ》きにされる、最悪殺してもかまわん‼︎」

 ブラスターのビームが怒涛《どとう》の勢いで飛んできた。

 ヴジュンゥンゥン、ヴジュンゥンゥン
 チュチュン、チュンチュン
 チュチュチュチュチュチュチュチュン
 ドガシャァァァァン
 
 光の群れが突進してくる。
 本物のナポレオンは会衆席《かいしゅうせき》を駆けぬけ、巨大な柱のかげにすべりこんだ。
 ラベンダーもどこかへ消えた。
 大人に成長した2人――ペパーミントとティーツリーは、ビームのなかにいた。

「アマテラ・アラメダ 銀河の遊歩道《ゆうほどう》」低く暗い声はとなえた。

 ペパーミントが両手でヒツジの印を組むと、まっすぐ立てた左手の人差し指と中指から、青色にかがやく光の刃が出てきた。
 《天叢雲剣《あまのむらくものつるぎ》》だ。
 自業自得《じごうじとく》とはいえ、オレはブタたちに同情した。ペパーミントは本気で殺すつもりだ。光速で振動する光刃から、ヴォンヴォンと危ない音が出る。
 ペパーミントは《天叢雲剣》を華麗に振りまわし、ブラスターを打ち返した。
 ペパーミントがブタたちとの距離をつめるのに、まだ時間がかかりそうだったが、ティーツリーは、すでに相手のふところに入っていた。
 肉弾戦《にくだんせん》。鬼神《きしん》のごときその巧《たく》みな戦闘技術で、素手のみで相手を戦闘不能にしていく。

 ジャブ、ジャブ、ジャブ――ストレート。ボディブロー、ワンツーパンチ。アッパーカット、顔面パンチ。 
 鉄槌《てっつい》、鉄槌、エルボードロップ、膝蹴《ひざげ》り、ひじ打ち、貫手突《ぬきてづ》き。リバーブローガゼルパンチデンプシーロール――蓮華大脚《れんげたいきゃく》。
 気根脚《きこんきゃく》――回し蹴り。飛び膝蹴り、蹴り、乱れ突き。回転鉄槌、平手打ち。前蹴り、横蹴り――気孔突《きこうづ》き。狐拳《こけん》、掌底打《しょうていう》ち、ビンタ、ビンタ、ビンタ、ビンタ――秘孔突《ひこうづ》き、コークスクリュー・ブロー。
 蹴り上げ、上からドン。毒霧《どくきり》、魔怒女《マドンナ》、大地の極《きわ》み……

 オーストラリアが誇る戦闘部族は、つぎつぎに敵をダウンさせていった。なさけ容赦《ようしゃ》はみじんもない。
 オレは思った。
 掃除がうまいってのは、ホントらしい。
 今後、ティーツリーをからかうのはやめよう。
 ティーツリーはあぶなくなると、敵の腕を利用してブラスターを背後の敵に当てたり、たまにペパーミントに向けて撃ち、それを打ち返したペパーミントが、どんどんブタを倒していった。

「チッ、そのまま死ねばよかったのに」

「きみと仲なおりするまで、ぼくは死ねない」

「気持ちわるい‼︎‼︎」

 ティーツリーは敵からブラスターをもぎ取ると、ペパーミントに連射した。「シネェェェェライミィィィィ‼︎」「ライムじゃなくて、ペパーミントですが」「やめよ! いまは仲間同士で争っている場合ではない!」ナポレオンの忠告も聞かず、部下たちは派閥《はばつ》争いを起こした。

 この戦いが終わったら、キツくお説教しなければならない。
 ペパーミントとティーツリーにかなわないと思ったブタたちは、こっちにやってきた。
 ナポレオンはあせった。
 魔法を使うエネルギーも、念力を使う体力もない。絶体絶命のピンチ。
 そのとき、運よく落ちてる爆弾を発見した。こりゃツイてる! 不発弾《ふはつだん》だったみたいなので、エネルギーを流しこみ活性化させる。投げて耳をふさいだ。
 ドバァァァン! 
 教会の柱が1つくずれ、ブタたちを巻きこんだ。手向《たむ》けの花として、2輪も巻きこまれる。だがこれで、20人近くいたブタたちも、残りわずかとなった。
 そういえば、余《よ》のニセモノはどこへ行ったのだろうか?
 チャキ。背後から音が聞こえた。
 居場所はわかった。どうやら、最悪な場所にいるらしい。
 ナポレオンは瞬時に角を曲がり柱の反対側にまわったが、ゴブリンみたいな顔面も偶然そこに来ていた。

「ボ、ボンジュームッシュー(やあ、紳士)」

「死ね!」ヴジュンゥンゥン。

 ナポレオンは、バラのように赤いマントをひるがえし逃げた。

「紳士らしくない言葉だ。ここは上品に、枯れろというべきではないか?」

 柱の角に立ち、両側の角から不敬者が出てこないか見張る。これこそ最強の陣形。
 さあ、どっちから来る?
 しばらく間があった。このまま時間が止まればいいのに。柱で見えないが、向こうからブタたちの悲鳴と、光速で振動する光刃の音が聞こえた。見ないほうがよさそうだ。わるいときほど時間は止まらない。
 右の角からブラスターがあらわれたら左へ、左から来れば右へ、ナポレオンは走った。

「ひきょうものめ! こそこそしないで出てこい。おまえはいつも、ひきょうな戦い方をする」

「こういうのは、頭がいいというのだ。戦術を知らぬわかぞうよ」

「ハハァ! いつまでそうしていられるかな? こうしてる間にも、フランス全土をスペイン風邪がおそっている。急がなくていいのか? フランス人は全滅だ」

 天才ナポレオンは、ただ待っていた。遠くに過ぎ去《さ》りし日々を見つめながら。
 生まれ故郷《こきょう》のコルシカ島のこと。皇帝から失脚《しっきゃく》したあと、島流しにされたセントヘレナ島でのこと。

「人生はいろいろある。余はおおいにおどろいている。人が空を飛び、よもや爆弾を落とせる時代が来ようとは思わなかった。あと百年早く電報《でんぽう》や電話が生まれていたら、どれほどのことができたであろうか。世界中に友を作ることだってできただろう。もちろん、世界共通語をフランス語にしたあとで。だが1番のおどろきは、ソーセージが言葉を話す時代が来たことだ」

「だまれ! この手でマーマレードにしてやる――グァ⁉︎」骨が折れる音と、床にブラスターが落ちる固い音が響いた。

 ナポレオンは少しだけ迷ってから、おそるおそる顔を出した。すると、ブタのナポレオンがひざをついていた。
 前には金色の髪の天使が立っていたが、ブタのナポレオンの顔は、お祈りって顔でも懺悔《ざんげ》って顔でもなかった。どっちかっていうと、異教徒に改宗《かいしゅう》をせまるキリスト教徒みたいな顔だ。
「グァア、おまえ、よくも――カハッ、もうフランスはおしまいだ、いまごろバジリコたちが、うまくやってるだろう。おまえたちが大好きなフランスも――ヴフッ……」

「うるせェんだよグチグチよォ」天使は凶暴なパンチを腹にねじりこんだあと、腕をかつぐと「フランスじゃなくてよう――エグザゴンヌ(六角形)だろうがァ!」会衆席めがけて背負い投げた。盛大な音をたてて横長のイスがちらばる。ボウリングならストライクだ。

 こっちはかたづいた。
 視線を向けると、ペパーミントが最後の1匹にとどめを刺そうとしていた。腰を抜かしたブタは、必死に命ごいしている。

「し、おれは、しょ、植物の精霊に恨みはない。ナポレオンに命令されただけだ」
「植物じゃなくて、花の精霊だろ? おまえたちのせいで、また地球の発展がおくれた」

(花の精霊。植物の精霊を敬《うやま》ったていねいな言葉)

「ああいつには、逆らえない、し、しょうがなかったんだ」

「香らざる者め。死をもってつぐなえ」

(香らざる者。植物以外の精霊に対する、どぎつい差別用語

 ティーツリーはなぜ止めない?
 どこかと思えば、柱のがれきに埋もれていた。あ。

「ゆ、ゆるしてくれ、たのむ」

「おじいさまによろしくな」

 えげつない冗談をいうと、ペパーミントは《天叢雲剣《あまのむらくものつるぎ》》を大きく振り下げ――

「オラ・グラシアス 燃えよ」

 ――ブタは丸焼きになり、倒れた。
 ペパーミントが、こっちを見る。

「ぼくがやろうとしてたのに」

「もう十分やったろ、オレにもやらせろ。やつらにはむかつくぜ」

 これで殺さずにすんだ。一生障害を持ったり、あるいは体は不自由になるだろうが、生きていくことはできるはずだ。その他のブタに関してはノージンジャー。
 やっとかたづいたな。
 ラベンダーは火だるまになったブタをしばらく見たあと、念力でがれきをどかし、ティーツリーを助けていた。いまちょうど顔が見えてきたところだ。
 ペパーミントも戦闘態勢を解き、《天叢雲剣》を消した。こっちへ来る。

「陛下、バジリコたちを追いましょう」

「だが、どこに行ったかわからん」

「何か思い当たる場所は?」

「うむ、ないな」

「役に立たないナポレオンだな」

「余は皇帝だ。そういうのは探偵《たんてい》にまかせるべきであろう? ――あ。そうだ、あのお方なら!」

 オレは大英帝国が誇るカリスマ探偵、シャーロック・ホームズ先生に変身しようとした。

「ブォオォォォォオ‼︎」

 チュチュチュチュチュヂュン。
 
 一同《いちどう》は完全に油断《ゆだん》していた。
 
 変身中は、ほかのことができない。オレの目の前にはもう残酷な光がせまっていたし、ペパーミントも背中を向けていた。
 ラベンダーは、がれきをどかすことに集中していたので、とつぜん撃たれたビームに対応できなかった。
 オレは人生の最後に、選択をあやまった。
 その行動は、自分でも意外だった。
 力まかせに変身をやめると、念力でラベンダーに当たろうとしていたビームの軌道《きどう》をそらした。自分にもビームがせまっているというのに。
 だから、その、なんというか、オレンジ伝説はここで幕《まく》をとじることになった。

「ガァ! ア! ァッ」

 そのとき――いきなり反対側の会衆席《かいしゅうせき》のほうから、大きなかたまりが飛び出してきたかと思うと、みじかい悲鳴が聞こえた。見えたのは大きな背中だった。ビームの集中砲火をくらったグリムは、倒れた。

「キャァァァァァァ⁉︎」

 かなきり声のほうを見ると、人間の形をした泥が列柱廊《れっちゅうろう》に立っていた。力なくたれた手には、ブラスターを持ってる。
 異形のモンスターの正体に気づいたオレは、そいつがペパーミントに殺される前に――なかなかの距離を疾走《しっそう》して――一瞬で背後にまわった。首に会心《かいしん》の一撃をあたえる。

「ウッ――」

 泥人間は気絶した。倒れた衝撃で顔の泥パックが落ちる。
 正体はやはり、クララだった。
 オレのすぐとなりに来ていたペパーミントは、笑っていた。大人の足の速さには、イヤになるね。

「やさしいんだな」

「おまえほどじゃないさ」オレはイヤミをいった。

「ノージンジャー」

「ノージンジャー」

 グリムに近づき、霊視してみる。
 体には小さな穴がいくつもあいてるし、全身血まみれの大やけどだ。
 かすれ声が聞こえる。

「……オレンジ、きみの、授業は、おもしろかった……」

「しゃべるな、助からなくなるぞ!」

「もう、死ぬんだ……またぼくに、授業してくれ……」

 正直いって、助かる見こみはなかったが、考えてるヒマはない。事態は1分1秒をあらそう。

「だれか、ヒーリングを手伝ってくれ!」

 ラベンダーもペパーミントも、そっぽを向いた。

「グリムがいなかったら、オレたちはあのボールから出られなかったんだぞ! 保護するって約束したんだ」

 反応はなし。こっちを見もしない。

「ラベンダー」

「……」

「ラベンダー!」

「絶対イヤ‼︎」

「こっちを見ろ、ラベンダー‼︎」

「オレンジ、私が手伝う。ラベンダーは、いえばいうほどガンコになる」

 がれきから脱出したティーツリーが、手を貸してくれた。
 ティーツリーの的確な指示のおかげで、オレは大手術を成しとげることができた。ティーツリーはどうも、この手のことに慣れてるらしい。
 オレがまちがったことをしようとすると、そうじゃないと、ていねいに教えてくれた。流すエネルギーの量とか、こまかい位置、かがせる香りの種類とか。オレの香りの特性を考え、瞬時にアドバイスしてくれた。
 おかげでグリムは、なんとか一命を取りとめた。永眠《えいみん》している仲間たちの横で、おだやかに寝息をたてている。
 せっかくエネルギーがたまってきていたのに、まったく、とんだむだづかいだ。また、すっからかん。

「ごめんな、ティーツリー」

「そこはおまえ、ありがとうだろ。それより早く、バジリコを追わないと」

 オレは今度こそ、シャーロック・ホームズ先生に変身した。

シャーロック・ホームズというのは、アーサー・コナン・ドイルが書いた小説に登場する名探偵で、このシリーズは第七文明史上初のラノベ小説といわれてる。あともう少しだけ世に出るのがおそかったら、もっとハチャメチャな設定になっていたことは、よういに想像できる。
 たとえば、ホームズに恨みを持つ者に異世界転生させられたが、そこで事件を解決し、転生して人間界にもどってくるとか。ジャパンの格闘技バリツを使い、ドラゴンと素手で戦い生きのびるとか。犯人をさがしていたら、たどり着いたのが宇宙で、じまんの推理と武術で地球侵略を止めるとか。アベンジャーズの一員とか。最終話で、じつは人間じゃなかったことが明かされるとか。もう推理《すいり》しなくても、犯人がわかっちゃう能力があるとか。
 ホームズはやっぱり、この時代に生まれてよかったな)

 頭には鹿撃《しかう》ち帽《ぼう》。ヤニのしみた古いクレイパイプをくゆらせながら、ホームズ先生は敬虔《けいけん》なクリスチャンのように、会衆席に深く腰かけた。

「バジリコとスペイン風邪。この件《けん》は迅速《じんそく》に動かねばなるまい」

 ティーツリーは、けげんな顔をした。

「その格好《かっこう》は? シカでも狩るのか? 何をするつもりなんだ?」

 子供の文化を保護者は理解できないのだ。これがだれだか、わからないなんて。ティーツリーには、ほんとにこれがハンターに見えるのか?

「煙草《タバコ》を吸《す》うんだ」ホームズ先生はいった。「パイプでたっぷり三服《さんぷく》ほどの問題だな。悪いが五十分ほど話しかけないでくれたまえ」ホームズは椅子《いす》のなかで身体を丸め、鷹《たか》を思わせるとがった鼻の先へやせた膝《ひざ》を持ち上げて、黒いクレイパイプを怪鳥のくちばしのように口から突き出して目を閉じた。彼はねむった。人間の姿というものは、前世のヒツジより寝心地がいい。

「オレンジ」

「……」

「オレンジ!」

「……――ふぐっ⁉︎」

 とつじょとして頭にゲンコツが落とされた。

「起きろ、ふざけてる時間はないぞ! あと、ここは禁煙だ、人間界の教会ではよくても、精霊界ではダメだからな!」

 痛《いた》ッ、ティーツリーの馬鹿力め!

「信ずべからざる低脳《ていのう》さだ。ちょうどゼンマイ仕掛けの騎士団ぐらいにな」

「何かいったか?」こぶしを振りあげるティーツリー。

 頭をおさえながら、ホームズ先生はいった。

「バジリコのゆくえを知るためにも、まずは諸君の話を聞こう。何か手がかりはあるか? 気がついたことでもいい」

 1人の精霊が手をあげる。

「答えたまえ、ワトスン君《くん》」

「ワトスンじゃなくて、ペパーミントです。先生」

「そうだったのか。僕《ぼく》はワトスンだと思うがね」

「バジリコは、フランスを滅ぼすといってました。だからきっと、フランスにいるはずです」

「それはもっともらしい考えだが、フランスのどこにいるかが問題だ」

「フッフッフ。そんなこともわからぬとは、ちょっと見ない間に耄碌《もうろく》したな。ホームズ君」

 しわがれた低い声。キツネを思わせる老獪《ろうかい》さ。ワトスンの様子がおかしい。

「君はワトスンじゃないな? 何者だ」

 ワトスンは変身を解き、正体をあらわした。

「私だよハニー」

 すこぶる高い長身。長年の研究で曲がった背。
 あらわれた老人は、宿敵ジェームズ・モリアーティ教授だった。

「お前《まえ》……な、なんだって――生きていたのか⁉︎」ホームズ先生は歓喜した――いや、興奮をかくしきれなかった。これで事件が起こるぜ!「スイスにあるライヘンバッハの滝《たき》で、死んだはずだ」

「格式《かくしき》あるバリツを扱えるのが、君だけかと思ったかね?」

「なんだって⁉︎」

 モリアーティ教授は爬虫類《はちゅうるい》のように奇妙《きみょう》に、ゆらゆらと左右《さゆう》に動いていた。

「言《い》ったはずだ。私は決して君に打ちのめされない。君にもし私を破滅させるだけの知力があるならば、私にもまた君を破滅させるだけの知力があるのだ」

 オレはこの展開に、非常にわくわくした。
 だけど、女たちは腕を組んでつまらなそうな顔をしていた。ラベンダーなんか貧乏《びんぼう》ゆすりしてる。「なんかドラマ始まった。ティー、ここ」2人はイスにすわった。

「ペパ――ワトスンはどうした?」

「彼には死んでもらったよ」

「僕《ぼく》の友達《ともだち》といえば彼しかいないのに」

「どうやらお困りのようだね。犯罪界のナポレオンとまで言われたこの私が手を貸してあげよう」

「どこだよ犯罪界って」

「人間界の別名だ。どうかね。私の知恵《ちえ》が必要だろう?」

「何を企《たくら》んでいる?」

「今後《こんご》私がおこなう全ての犯罪に関わらないこと。それを保証してくれたら、バジリコの居場所《いばしょ》を教えてしんぜよう」

「できるわけないだろう、そんなこと!」

 ホームズ先生は立ち上がり、こぶしをにぎりしめた。

「では、1人で頑張《がんば》りたまえ」

 バジリコはフランスのどこへ行ったんだ? フランスを滅ぼすには、どこへ行けばいいんだ? ドイツ軍にスペイン風邪を流行《はや》らせるのか?

「……」

「手を借りたくなったらいつでも言ってくれ」

「窮地《きゅうち》を脱《だっ》するには、気力あるのみだ」

「そうかね」

「……………………」

「バジリコを捕まえなければ世界は滅ぶ。しかし私を捕まえなくても世界は滅ばない」

「……ぐっ、いいだろう。話してみろ」

 モリアーティは狡猾《こうかつ》に微笑《ほほえ》んだ。

「君ならそう言うと思っていた」

「どこにいるんだ?」

「そもそも彼女は何故《なぜ》ラベンダーに変身したかわかるかね?」

「いや、わからん」

「ホームズ君。君は今ホームズなのだから、もっと頭を働かせたまえ。君がいつも変装する時はどういう時だ?」

「……あ、潜入《せんにゅう》したい時。だから、アロマ連合か? フランスを滅ぼすって言ったのは嘘《うそ》だったのか! 連合に潜入したのか」

「それは良い推理《すいり》とは言えない。彼女が言ったことは恐《おそ》らく本当だ。今フランスにはAU(Aroma Union アロマ連合)が来ているだろう? 君を逮捕するために。だから彼女も身を隠《かく》す必要があった」

「……そうか。なるほど。じゃあ、オレの生活拠点《せいかつきょてん》のリヨンにいるのか」

「それもちがう。残念だよ。私の知る稀代《きたい》の名探偵はもうどこにもいないようだ」教授はため息をついた。「君はどうやら隠居《いんきょ》生活が長かったせいで勘《かん》を失っているらしい。田舎《いなか》でミツバチと暮らしているのがお似合《にあ》いだ」

「なんだって⁉︎」

「彼女は今、スペイン風邪を持っているのだぞ。もし私がスペイン風邪をばらまくとしたら、フランス全土《ぜんど》に影響《えいきょう》を及《およ》ぼせる場所を選ぶね。同時に政府も陥落《かんらく》できて、レピュブリク・フランセーズ(フランス共和国)の機能の全てを破壊できる場所」

「あ」わかった。

 シャーロック・ホームズは、この快感が忘れられなくてきっと、探偵になったのだろう。

「どこかね?」

「パリだ」

「何故そうだと考える?」

「あそこには、エッフェル塔がある。いま、世界でもっとも高い塔が。あそこからばらまけば政府をつぶせるし、フランス全土にだってスペイン風邪を感染《かんせん》させられる」

「Mint, Brilliant(いいね、優秀だ)」

 変身を解いたオレとペパーは、抱きあった。ペパーは子ども姿になってくれた。

「もう時間がない、急ごう!」オレはいった。

「待て。ラベンダーはおいていくべきだ」ティーツリーはいった。「ラベンダーは人間への恨みが強すぎる。また裏切るぞ」

 天使は自分のことをいわれてるのに、他人事のように柱やレリーフ、天井をながめていた。

「ニンゲンはきらいだけど、ねらわれてるのがエグザゴンヌだもん。協力するよ」

 なぜかこいつは、フランスに強いこだわりを持ってる。故郷のエジプトではなく、フランスに。
 いろんな言語を使えるのに、ぜったいフランス語でしか話さないし、価値観もまるっきりフランス人。
 人間をきらっていて、あわよくば復讐さえしようとしているのに、どうしてフランスについてしゃべるときは、いつもきげんがいいのだろうか? 
 フランス人が戦争に勝ったら、まるで自分の応援しているフットボールチームが勝ったみたいに、よろこぶんだ。
 不思議《ふしぎ》な女だ。
 ラベンダーという女について、考えれば考えるほど、わからないことが増えてくる。

「いや、バジリコはアトランティス経験者だ。ラベンダーが欠《か》けたら、ぜったいに倒せない」

「だが――」ティーツリーは、しぶい顔をする。

「それに、パリではAUの追っ手がオレをさがしてるはずだ。いい考えがある」

ティーツリー、彼はミント(すばらしい)だから心配いらない」ペパーミントはいう。

「何いってる? オレンジはミントじゃないだろ」

「そういう意味じゃないんだけど」

 まじめなティーツリーはオレを見た。

「アタシは、おまえがいいのならそれでいい。さあ急ごう! 近くにブタたちのUFOの気配を感じる」

「あ、ちょっと待ってくれ」

 オレは寝ているグリムのそばへ行き、名刺《めいし》を胸《むね》においた。これでよし。
 オレたちは出口をめざした。ドームとアーチ状《じょう》の天井《てんじょう》が交互《こうご》に続く、長い列柱廊《れっちゅうろう》を走った。

「これでパリにいなかったら、おもしろいよね」

 ラベンダーが、よけいなことをいってくる。

「いまは聞きたくない」

「そういえば、ここってどこの教会なんだろ?」

「ここは、カテドラル―バシリカ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール・デ・サラゴサ――聖母《せいぼ》ピラール大聖堂《だいせいどう》だ」

「え⁉︎」

 ラベンダーは、急に来た通路を引き返していった。

「お、おい⁉︎ 何やってんだ、時間がないっていってんだろ! 2人とも、先に行っててくれ!」

 聡明《そうめい》なペパーは危険を察知《さっち》した。

「ぼくがラヴァーを連れもどす!」

 引き返そうとした子ども姿のペパーは、背中をティーツリーにつかまれ宙《ちゅう》に浮いた。

「待て。おまえがいないとUFOの離陸準備《りりくじゅんび》ができない」

 ペパーミントは、おそろしい部族に誘拐《ゆうかい》された。

「た、たすけて」

 オレはペパーに同情しながら、ラベンダーを追いかけた。
 自分勝手にもほどがある! 団体行動って言葉を知らないのか?
 やっと列柱廊を抜けて、さっきの礼拝堂《れいはいどう》までもどると、ラベンダーは天井をながめていた。

「おい、何やってるんだ!」

 肩をつかむと――

「ジャマしないで‼︎」

 ――怒られた。

「一刻《いっこく》をあらそうんだぞ!」

「……美しい」

「は?」

「あれは、ゴヤの描いたフレスコ画《が》よ。ゴヤはああいうふうに描いてたんだ」

 イカれてる。空気が読めないとか、そういうレベルじゃない。頭がおかしい。

「いいかげんにしろ! そんなのいつだって見れるだろ!」

「うるさい! アンタには、あの価値がわかんないの⁉︎ いまは世界大戦中なのよ! もし爆弾が空から降ってきたら、もう2度と見れないかもしれない! スペインは中立国だけど、何があるかわかんないでしょ!」

「人の命がかかってるんだぞ!」

「柑橘《かんきつ》、アンタがさっき投げた爆弾のこと、ティーにいうわよ。ちょっとだけだから」

 これにはだまるしかなかった。
 ティーツリーはこわい。
 天使は羽ばたくと、ドーム型の天井に近づき、じっくり絵画を観察し始めた。
 信じられない。
 せっかくバジリコの居場所がわかったっていうのに、こんなことで時間をロスするハメになるとは。
 オレは、戦闘で破壊された礼拝堂を見わたした。文化的に見ても価値が高いのに、ひどいありさまだ。早く修復しないと、3次元にも影響が出るな。
 バサッと、ラベンダーが降りてきた。

「もういいのか?」

 1分もたってないぞ。

「見る部分は決まってたし、記憶したから」

「じゃあ、早く行くぞ」

 列柱廊を走りながら、ラベンダーはイヤなことをいってきた。

「アンタが爆弾投げたこと、ティーにいっちゃおっかな~」

「ふざけんな、ぶっとばすぞ!」

「アンタしだいね」

「そもそも、なんで爆弾が落ちてたんだ? 不思議だ」

「わたしの記憶が正しければ、あれはエグザゴンヌ製の爆弾ね。【サラゴサ包囲】のときのじゃない? スペイン人が不発弾を記念に飾りたがる習性《しゅうせい》で、よかったね」

「そんな習性はじめて聞いた」

 ティーツリーの香りを追いかけて、オレたちは動物界製のUFOに乗りこんだ。
 腕時計も携帯空間もケータイもエアリスも、ぜんぶそこにあった。
 ガトフォセ死亡ルート確定への午後2時まで、もう30分をきってる。

「動物界のUFOは、操作がむずかしいな。勝手がわからない」

 操縦席にすわるペパーミントが、文句をいった。

 上昇するUFOのなかから、オレはあの、ピラール広場にあった地球のモニュメントが目に入った。 
 かくれるのに、役に立たない物体。
 オレの心を読んだラベンダーが、教えてくれた。

「あのオブジェ? あれはたしか、クリストファー・コロンブスが、地球を丸いと信じて航海したのを記念して、造られたんだよ」

「地球が丸いなんて、あたりまえなのにな」

 なるほど。そいつはいいアイディアだ。
 この戦いが終わったら、オレさまも記念にパリの大通りに【栄光をつかみとるオレンジ像】を建てよう。
 ちょうどピラール広場には、ゼンマイ仕掛けの騎士団員たちが到着した。
 オレはUFOのなかから、こっちを見るソルト少将に、いやらしく満面の笑みを浮かべた。おまけに手だって振ってやった。やつの霊視なら、こっちの様子が見えてるかもしれない。

「やつらときたら、信ずべからざる低脳さだ」

 パリにはすぐ到着するだろう。
 バジリコと戦うのを想像すると、恐怖で心がくじけそうになる。
 オレは、バジリコの言葉を思い出していた。

 非常に高貴、王家に忠実、英雄的、敬虔《けいけん》なる、常に英雄的かつ永久不変《えいきゅうふへん》

 サラゴサ市の紋章《もんしょう》に記《しる》された言葉。
 フランス軍の包囲《ほうい》を耐《た》え抜いた、サラゴサ住民に贈《おく》られた称号《しょうごう》。
 どういうつもりでその言葉をいったか知らないが、そっちがその気なら、こっちはフランス代表として戦ってやる。
 オレは自分を奮《ふる》い立たせるため、ナポレオンに変身した――無敵のナポレオンよ、力を貸してくれ――心と体に、たちまち勇気と自信がみなぎった。

(わるいな、スペインのみんな!
 それにドイツのみんなも!
 気分がわるくなっちまったら、あやまるが、ナポレオンは古い友だちなんだ。ゆるしてくれ。
 いつかは、きみたちの国の精霊チームの一員として、活躍してみたいと思ってる。そのときは、よろしくな)

 フランスを守るため復活をとげた悪友ナポレオンは、勝利を祈った。

 どうか、落とし穴だけはありませんように。

第12輪 フランス人は豚をナポレオンとは呼ばないが、トイレにはローマ皇帝の名前をつける

 早く、楽になりたい
 し、死なせてくれ! 咳で背骨がはがれる!

          ――ガトフォセ

 飼い主が去ったあと。ペットのブタたちは気が抜けたのか、見張りを2匹残して礼拝堂から出ていった。

「仲間が死んだ」

「でも、あいつはしょうがない。ニンゲンの味方をしたんだ」

「バジリコに従えば、ニンゲンを滅ぼしてくれる」

「でも過激すぎる。バジリコを信用していいのか?」

「恩人になんてこというんだ! 俺たちはバジリコがいなかったら、処分されたときの恐怖で、知性のない悪霊になってたんだぞ。恩を返さないやつはニンゲンだ」

「せめて、クズっていって」

「レオンハートはかわいそうだ。あいつの障害は重い」

「それよりパーティしようぜ。3年もがんばって働いたんだ」

「馬鹿、気が早えよ。でもそうだな、バジリコはなかなか休ませてくれない。ちょっとぐらいならいいよな」

「ブヒィィィィィィイ!(いぇぇぇぇぃ!)」

「おいグリム、クララ! ちゃんと見張っとけよ!」

「いっつもぼくばっかり」

「いいじゃない。2匹のほうが落ちつくわ」

 これはチャンスだ。ブタたちははなれたところで、なかよくおしゃべりを始めた。
 こっちに注意してない。しめしめだ。
 オレは、ペパーミントとティーツリーを見た。ラベンダーもなかなかだが、こっちもかなり衰弱してる。きっと、ひどい拷問を受けたにちがいない。

「2輪とも、大丈夫か?」

「…………」

 反応がない。
 いまはほっとこう。
 今度はラベンダーに話しかけてみる。

「おい、ラベンダー……大丈夫か?」

「大丈夫に見える?」

 ドスのきいた声でにらみつけてくる――顔のケガもあって、よけいに怖かった――これはキゲンが最悪なときに使うトーンだ。
 生理痛とか、なんとなく虫のいどころがわるいときとか、ようはいつもの声だな。
 信じられないかもしれないが、こういうとき、ラベンダーとはまともに会話できない。ここから脱出する天才的作戦を話し合おうとしても、ケンカになる――いまは時間が惜しい、一刻も早くバジリコを追わなきゃならない――だから、まずは世間話で、心をケアしてやる必要がある。

「ミンテのことは、残念だったな」

「ふんッ」

 かわいくない女。オレはめげなかった。

「認めたくないよな。自分の師匠が死んだなんて」

「は? なにか勘違いしてない? ミンテはわたしの師匠じゃない」ぽかんとするオレに、続けていう。「育ての親よ。わたしの師匠は『銀の狐』」

「……すまん。もう1回、いってくれ」

「だから、『銀の狐』だってば」

「『銀の狐』⁉︎ あの残虐非道な! アロマ連合のナンバー2だぞ、『真の薫香』の次に偉い。ほんとに『銀の狐』が師匠なのか?」

 オレは理解した。だからこいつ、こんなに性格ねじ曲がってるんだ。

「ミンテが師匠って、だれから聞いたの? どうせネットの情報でしょ。好き勝手書かれてもうウンザリ!」

「すごい奇跡だな。いや、運命か? アロマ連合のトップ2人の弟子たちが、ここにいる」

「それと、ミンテは生きてる」

「そうだな、生きてるって信じたいよな」

「ちがう、ほんとに生きてる! 見たんだから」

「もし生きてるとしたら、あれだけ活躍してた大神霊が、どうして表に出てこない? 【エルサレムの大悲劇】、【百年戦争】、【魔女狩り】、【世界大戦】。どうして人間界に関与してこない?」

(ミンテ。礼名は『征服の草』。ミントの原種の精霊。ミント一族の始祖にして、ペパーミントのおばあさん)

「知らないわよ。自分勝手に生きる花だから。ところで、アンタには失望よ。赤点。わたしがアカデミーの先生なら、退学させる。最悪。なんで捕まってんの? 信じられない」

「口は災いの元だぞ!」

「これが『黄金のリンゴ』さまだったら、かっこよく助けてくれんのに」

「柑橘イジメはやめてもらおうか!」

「あーあ、わたしたちって、いっつもこうよね、最悪」

「うるさい! こっから大逆転が始まるんだ! 見とけよ小娘」

「ウフフ、ぜひとも楽しませてもらいたいものね」この皮肉は、オレの神経を逆なでした。

 ラベンダーは手を顔の前で振ると、お得意の手品でケガをなくした。
 野心的な顔を取りもどすと、お手並み拝見という表情で挑発してきた。
 ストレス! ラベンダーに相談するのはやめた。時間のムダだ。いまは何時だ? イライラする。もう1人で作戦を考えよう!
 集中しろ、集中。……おい、その表情をやめろベンダー! こっから出られないと、おまえも困るんだぞ! オレは自分の香りをたっぷり吸った。
 だんだんと、心が、落ちつきを取りもどす。いろんなアイディアが、オレの頭の中をかけめぐる。
 すると、神経が研ぎすまされたせいか、まぬけな会話が聞こえてきた。

「ねえ、ちょっとグリム。あなた、ひどい匂いよ、泥をあびてきたほうがいいんじゃない?」

「え? でもクララ、きみのほうこそ、体が汚れてるよ。先にあびてきなよ」

 ティーツリーが、力なくたずねる。

「なあライミー、なんで体が汚れたら、泥をあびるんだ? スラングはよくわからん。おまえ、くわしいだろ」

「……いや、わからない…………ライムじゃなくて、ペパーミントですが」

 オレは集中した。考えろ、脱出する方法を。
 クララと呼ばれた女の精霊は、グリムにいった。

「だって、わたしたちは見張ってないといけないでしょ?」

「あいつらはどうせ、ボールから出られない。ぼくが見張っておくから、あびてきなよ」

「でも、そんなのわるいわ」

「きみは女性だ。ガマンしてるの知ってるんだよ。強がっても、ほんとうは、あびたくてたまらないって顔してる」

 耐えろ、耐えろオレさま、集中しろ!

「わかった。じゃあ、すぐもどってくるから。ありがとう」

「ゆっくりあびといで」

 クララがうきうきしながら礼拝堂から出ていったのを見て、もうガマンの限界だった。

「ふはははは! ふっ、や、やっぱり、あびるんじゃないか、泥を! おまえらは泥をあびるのが大好きなんだ、あっふ、っはっはっは!」

 まったく笑わせてくれる。
 グリムの顔は怒りで真っ赤だった。

「お、おまえ、笑ったな! 笑ったな! 差別するな! ブタが泥をあびて、何がいけないんだ⁉︎」

「いや、すまん。気をわるくしたなら、あやまる。シャワーをあびるみたいにいうもんだから、つい。差別したんじゃないんだ。ごめんな」

「だから植物の精霊はきらいなんだ! 自分たちが動物霊より、優れてると思ってる」

 ひらめいた。いいアイディアが降ってきた。

「ほんとにわるかった。どうか愚かなオレを許してくれ。おまえがそこまで傷つくとは、思わなかったんだ。反省してる。どうしたらオレは、自分の罪をつぐなえる?」

 オレは二重の意味をこめて、あやまった。もう1つの意味は何かって? もちろん、利用させてもらうことに対して。

「そこまでいうなら、もういいよ」

「それはよかった。なあ、ちょっと話さないか? オレはオレンジ、愛称はオーレ。好きに呼んでくれ」

「なんだ? ボールからは出してやれないぞ」

 疑わしい視線を向けてくる。ま、最初はみんなこんなもんだ。だが、オレにはヒトと仲良しになる才能がある。ちょっと見てろよ。

「そうじゃない。見たところ、このボールはとても頑丈だし、それにもうすぐ殺されるんだ。だから、世間話でもいいから、残りわずかな人生を楽しみたいのさ」

「ふうん。納得してるんだ?」

「おまえらといっしょさ。どうあがいても、長生きはむずかしい」

「……そうだね」

「グリムはまだ、いってみりゃ新人の精霊だろ? オレは200年以上も生きてるから、精霊界での生き方を、少しはアドバイスしてやれるぞ」

「いらない。知りたいことは、バジリコがぜんぶ教えてくれる。話はおしまいだ」

 グリムはぶっきらぼうにいうと、くるりと向きを変えてはなれていく。遠のくグリムの背中に、オレはいった。

「バジリコは、恋愛の仕方も教えてくれるか? グリム? おまえはクララにほれてるんだろう?」やつは立ち止まる。「おまえはどうも、バジリコを信用してないように見える。それにまわりにも、相談できるやつがいない。オレはもうすぐ死ぬから、相談するならいまだぞ」

 グリムはのしのし歩いてきた。迫力がある。ブラスターをかまえた。ヤバッ、怒らせたみたいだ。「待て、話せばわかる!」オレの顔と同じくらい大きな鼻とブラスターを、ボールに押しつけた。あらい鼻息がシューッと音をたてる。

「だましたら、承知しないぞ‼︎」

 オレたちは身の上話をして、ある程度信頼をきずいた。
 さ、ここからは次のステップ。トイレの話をして、ボールから出してもらう。

(なんの話をしたかの説明がないって? オレはただ、物語を先に進めようとしただけだ。
 おたがいのおかれた状況だったり、スポーツとか食べ物の話だな。クレープを食べたことがないらしく、いつか本場のクレープを食べてみたいといってた。グリムはキノコやどんぐり探しが趣味で、詩を書くことも好きなんだ。人魚界にも、旅行に行きたいらしい。人魚界には、かわいい女の子がいっぱいいるからなといったら、グリムは首を横にふり、泳ぐために行きたいといった。
 だが、人魚界は海のなかに発電所を造っちまって、危ないから、フランスのニースをおすすめしといた。人間界ではまだ、原子力発電所は造られてないから安全だ)

「オーレ、そろそろモテる方法を教えてよ」

「ああ、いいだろう。モテる方法、それはな……」

「それは……?」

 ゴゴゴという擬音が聞こえてきそうなくらい、グリムは真剣な表情だ。オレは笑わないよう努力した。そして、いう。

「トイレだ」

「なに? トイレ? あのトイレ? なんで?」

「おまえ、トイレしたことはあるか?」

「霊がトイレなんてするわけないだろ! 馬鹿にしてるのか? ふざけるな!」

「おい、オレはまじめにいってんだ! もし霊がトイレしないって本気でいってるんだったら、おまえは大馬鹿やろうだ! 道理でクサいと思ったら!」

(ま、実際しないんだけどな)

「おまえ、ぼくのことを、クサいっていったのか⁉︎ いま、クサいっていったな!」

「落ちついて聞け、おい、グリム、落ちつけって――ブラスターをおろせ! 危ないだろ!」

「だって、だだ、だって! ぼ、ぼくは――」

「おまえは霊になって、まだ3年だ。だから、自分の体のことがぜんぜんわかってないんだ。いいか? おまえの体にはいま、3年間分のウンコがたまってる。そのせいで体から、強烈な悪臭が出てるんだ。この匂いじゃ、どれだけがんばっても女は振り向かない」

「そんな。だって、みんながトイレしてるのなんて、見たことない」

「ナイショにされてたのか。もしかして、イジめられてるんじゃないか?」

「……自分でもうすうす、そうじゃないかって、思ってたんだ。でも、どうしてクララも、教えてくれなかったんだろう?」

「馬鹿やろう! トイレの話なんて、女性からいえるわけないだろうが! だから、ほら、さっきも暗にいわれてただろ? 泥をあびてきたほうがいいって」

「あれは、そういう意味だったのか……」

「女性の真意に気づける男こそ、真のモテ男ってもんだ」

「オレンジ先生、ぼく、クララと付き合いたいんです! お願いします、ぼくにトイレの何たるかを教えてください!」

 トイレに興味を持った精霊は、こいつが初めてだ。オレはこのブタのジェントルマンに、トイレという人間界至高の文化を教えてやらねばならない。

 ――ガトフォセ、すまない。時間がかかりそうだ

「もちろんだ。だが、実践編の前にまずは、歴史を学ぶ必要がある。オレはきびしいぞ! ついてこれるか?」

「がんばります!」

 ラベンダーは冷ややかな視線で、オレたちを見ていた。

 オレは講義していた。
 グリムは一生けんめいノートをとっている。

「14世紀にパリで最初のトイレが生まれても、当時は富裕層しか使えず、街もセーヌ川もウンコだらけだったんだ。当時の状況を、シャルル6世は1404年の王令で、こういってる。〝セーヌ川は、泥、汚物、腐敗物、ゴミなどでいっぱいであり、見るだけで恐ろしく、かつ、吐き気をもよおす状態で、人々はこの川の水を飲んだり、体にあびたりして、どのように死や不治の病などから身を守っているのだろうか、もし神の奇跡でないとしたら、まったく驚くべきことである〟」

「先生、質問です。トイレはフランス語で、何と呼ばれてたんでしょうか?」

「16世紀になっても、トイレって言葉自体がフランス語にはなかった。だから〝秘密の部屋〟とか、〝宮殿風の部屋〟って上品に呼ばれていた。何を気取ってるんだろうな? でも当時は、この呼び方が流行りだったんだ。

(ちなみに〝ハリーポッターと秘密の部屋〟という児童書があるが、つまりは、そういうことだ。あれはちょっとしたシャレなんだ――トイレと秘密の部屋をかけた)

 17世紀。そろそろ改善されるだろうと思ったか? いやまったく! あいかわらず街はウンコだらけで、安全に歩くことすらできなかった。ヴェルサイユ宮殿にさえ、1つしか便器がなかったんだから。王令や法律で、いくら家にトイレ設置を呼びかけても、みんな守らない。街中で平気でウンコしてたんだ。この生活に支障をきたすレベルのパリの悪臭に、ついに1人の賢明な市民が立ち上がった。公衆トイレ設置を呼びかける請願書を作成し、政府にうったえたんだが、その意見は採用されなかった。時代が早かったんだろうな。市民は非力だ。ただ、フランス社会の流れにしたがうしかない。

(え? またトイレの話してるって? 講義中だ、私語はつつしめ)

 18世紀。さすがにそろそろきれいになってるだろうと、ふつうは思う。オレだって、そう思った。これで何のアクションもなかったら、フランス人の神経を疑う。パリで最初のトイレが設置されて、4世紀もたってるんだ。ケータイなんか1年でもう新しいのが出るんだから、トイレもさぞハイテクになってることだろう。だが、だいたい予想はついてるな?」

「まさか……そんなことって…………」グリムは、成長しない人間たちを哀れんだ。

「18世紀になっても! パリの悪臭は消えないんだこのやろう‼︎ トイレにしても人々の衛生環境、衛生観念にしても、たいした変化はなかった。幾度となく猛威を振るったペストのおそろしさも忘れて、街はあいかわらずウンコまみれ。というか、積もりに積もってさらに環境汚染が悪化していた。人々は違和感を感じても、これがあたりまえだと思って毎日生きていた。当時をパラティーヌ女王は、次のようにいってる。〝パリは恐ろしい。臭い、とても暑いところだ。街路は堪えがたい悪臭に満ちている。極度の暑さは多くの肉や魚を腐らせる。さらに加えて、大勢の人々が街路で小便をする。これが吐き気をもよおすような臭気を引き起こしている。これには打つべき手がない〟」

「うへぇえぇえ、信じられない」

「だがほんとだ。そして19世紀! ついに、ついに1841年、歴史に名を残す公衆トイレ、ヴェスパジェンヌが登場! これこそ真のフランス革命! 地球上のありとあらゆる不潔なものを集めても、かなわないといわれる大気汚染都市・魔界パリに、光をもたらした。パリ初の本格的な公衆トイレ、ヴェスパジェンヌ(男性用)は、パリ市内に400基以上も作られ、見た目はともかく、多くの市民から賞賛された。
 ちなみに、ヴェスパジェンヌの名前は、ローマ帝国の皇帝ヴェスパジアヌスが由来だ。フランス人は、ブタをナポレオンと呼んだらいけない法律を作るくせに、トイレにはローマ皇帝の名前をつけるんだから、おもしろいよな」

「は~、なるほど。勉強がこんなに楽しいなんて、思いませんでした。とってもためになります」

「それでだ、グリムくん。きみの3年分の欲求を満たすには、ふつうのトイレでは小さすぎる。この革新的トイレ、ヴェスパジェンヌを使うことが妥当だと考えられる」

「……つまり、何がいいたい?」

 グリムと、目と目があう。場の空気が張りつめたように感じる。オレは勇気を振りしぼった。

「次は、実践編だ。オレをこのボールから出してくれ。そうすれば、極上の快感へと案内してやれる」

 グリムはのけぞり、かわいた笑い声をあげた。「おまえ、やっぱり、ぼくのこと馬鹿だと思ってるだろ。霊がウンコなんてするわけないんだから」

 怒りがふくまれた声。事実、そのとおりだったがオレはごまかした。だまして脱出する作戦から、良心にうったえる作戦に方針転換する。

「ちがう! おまえらのリーダーが仲間を撃ったとき、イヤそうな顔してた。なぜだ?」

「ミヒャエルは、ともだちだったんだ。生きてた頃からずっと」

「グリム。きみは、やさしい心を持ってる。復讐は似合わない。たのむ、ここから出してくれ」

「あっはっはっはっは」グリムの笑い声には、疲れが感じられた。目を細め、やるせなくほほえんだ。「もう、疲れたよ。ドイツ人に復讐しようとしたせいで、みんなヒトが変わってしまったし、ともだちも失っちゃった。世界なんて変えなくていい。ぼくはただ、仲間とまた出会えただけで、うれしかったのに」

 グリムは、かなしそうだった。

「グリム、オレもだ。ともだちがいる。助けたいともだちが。お願いだ、手を貸してくれ」

「いいよ。復讐はもう……疲れた。その代わり条件がある」

「なんだ?」

「オーレ、きみはアロマ連合のナイトだろう? ぼくとクララを見逃してくれ。バジリコは動物界とつながりを持ってる。だから、動物界からも保護してくれ」

「お安いごようだ」

 もどってきたリーダーたちは、おどろいた。
 ちょうどグリムがブラスターで、ボールを破壊してたからだ。
 そこには、自由を取りもどした4輪の花がいた。

第11輪 あなたの服も、ちゃんと用意されている

 ナンダ、フルーツダッタノカ

          ――レオンハート

 目をさますと、そこは赤いボールのなかだった。
 オレは元の少年姿にもどっていた。
 急いで時間を確認しようとしたが、腕時計は取られていた。携帯空間も取りあげられており、武器を使うことはできなかった。
 ブタの霊たちが近くにいたが、ペパーミントとティーツリーも近くにいる。
 子ども姿の2人は、長時間ずっと閉じこめられているせいで、憔悴しきっている。ぐったりと背中は丸まり、力なく頭をたれ、死人みたいに目はうつろだ。危険な状態であることは明白だ。早く助けないと。
 そしてオレのとなりには、例の性格のわるい紫の花がいた。もっと性格の悪い緑の霊もいっしょにいる。
 ラベンダーとバジリコだ。
 バジリコは、ヒョウの顔がプリントされた黒いワンピースを着ていた。アメリカンなファッションからは自信があふれ出ており、いかにもよゆうそうだ。何もかも自分の思いどおりにいってるから、楽しいんだろう。
 バジリコはなぜか、ずっとラベンダーの香りをかいでいた。
 そう遠くない古代。1万年以上は前。
 優れた核技術と霊能力で、自然やほかの民族を搾取し続けたアトランティス文明が滅び、地球はついに平和になるはずだった。
 精霊界中が、このまま人間を根絶やしにして、人間の魂もろとも地球から追放しようという流れになっていた。
 しかし、それに異をとなえる世界があった。
 植物界だ。
 いや、正確にいえば、植物界出身の7輪の精霊だ。いまでは神格化されている、地球を代表する大神霊。
 オリバナム、ミルラ、ミンテ、カモミール、シナモン、サンダルウッド、ユーカリ
 地球に住む精霊のだれもが、平和になる、そう思っていた。両手をあげてさけび、歓喜していたのに。
 むかえたのは地球史上類を見ない暗黒時代。
 地球大混乱時代。
 地球人類を滅ぼそうとするグループと、存続させようとするグループに分かれての超戦争。おまけに、この混乱に乗じて、外から地球を侵略しようとする敵性宇宙人まであらわれた。
 だが最終的には、覇権をにぎったのは植物界だった。地球の代表世界として、天の川銀河のほかの惑星から認められたのも植物界。
 そして。
 地球人類は第七文明期に突入。現在にいたる。
 オレはバジリコを見た。
 人間を滅ぼしたい。その一心で、ずっとずっと暗躍してきたんだ。その野望がついに叶う。さぞうれしいだろうな。
 人間界は世界大戦で疲弊。スパフも手に入れた。人間を滅ぼす絶好のチャンスだ。
 バジリコはラベンダーの髪をさわり、顔を近づけ、香りを堪能していた。

「ウゥ~んっ、はぁッ、芳醇な香り。まだ若いのに、あなた、どうしてこんなステキな香りをお持ちなの? あと何千年かしたら、もっと熟成して、私好みのヴィンテージワインになるのに。殺すなんてもったいない」

 やけにテンションの高い声。
 ラベンダーは、赤いボールには閉じこめられていなかった。
 その代わり、床に転がっていた。強力な金縛りをかけられており、たよりなくあいた口元からは、よだれをたらしてる。白目をむいてた。
 なさけない姿だ、見ちゃいられない。おまえは、オレのあこがれの花なんだ! いつもみたいに、よゆうを見せてくれ。

「はっはっは! おもしろい顔だなラベンダー。今度のかくし芸大会の練習か? おまえのブサイクなツラを見れば、人間は笑いすぎて世界大戦どころじゃないぞ。平和になる」

 オレは、わざとらしく大笑いした。
 バジリコは不快そうだった。

「なんて下品な。その口を、つぐめ!」

「ほがっ⁉︎」バジリコがジッパーをしめる仕草をすると、オレの口は閉じてしまった。「もがっもはふ」

 しかし、効果はあったようだ。意識を取りもどしたラベンダーは口を開いた。

「わた、しも、至上主義者、よ、ニンゲン、が、憎い、殺したい。だか、ら、あなたの、あなたの弟子にして」

「王子さまの声で目覚めるなんて、ロマンティックね」

 いまの発言は、ラベンダーの木にさわった。怒りのパワーが炸裂し、口だけだが、ラベンダーは自由を取りもどした。

「わたしを弟子にしろ、有望株だぞ。オリバナムやミンテみたいな精霊になれる。もちろんバジリコ、あなたにその気があればだけど。アロマ連合の機密情報だって知ってる。いいスパイになる」

「アハッハ~! おもしろい提案ね。興味ある」

「もげもぉおぉ‼︎(やめろ)」

 ラベンダーはニヤリと笑った。「交渉成立?」

「でも、けっこう」

「なんで? ニンゲンを追放して、この地球に、ふたたび黄金時代を取りもどしたいと思わないの?」

「スパイならもう間に合ってる。あなたよりもっと優秀なね。それに、スペイン風邪を手に入れたいま、私の夢は達成されたも同然」

「陛下、うまくいくとは思えません。そのスパイはほんとうに信頼できるのでしょうか? アロマ連合を甘く見てはいけません。オリバナムやカモミール、シナモン、それに、特に銀狐は油断できません。仲間を増やすべきです。わたしは植物界の最高意思決定機関、『日の昇る評議会』にも出席しております。どうか、ご検討を」

 ラベンダーは必死に、バジリコに取り入ろうとしていた。本気かどうかわからない。
 しかし先方は、横に首をふった。

「ダ~メ!」

「なぜ?」

「おまえはアロマ連合のマスター。それにミンテの弟子。信用できない」

「そ、それなら、わたしの心を読んでください、そうすればきっと、本心がわかるはず!」

「ハッ、だまそうとしたってムダよ、おチビちゃん! 私はそれで痛い目を見た。自分の心を見せようとするやつは、気持ちや精神状態をコントロールするのがうまい」

「そんな……ほんとなのに」

「それに、自分より才能のある若い芽は、摘み取ることにしてるの」

「…………」

 演技してだまそうとしてたのか。でもなぜか、ラベンダーは意気消沈していた。

「もういいわ」バジリコは立ち上がると、変身した。その姿を見て、オレは息をのむ。

 あわい紫の髪に、野心的でクールな顔立ち。すらっとした手足。

「ウフ~フ、完璧なコピーね。4時間も吸い続けた甲斐があった。この姿なら、アロマ連合にもバレない」

 ラベンダーがもうひとり。魂の周波数や香り、口調、邪悪な笑みまでそっくりだ。霊視しても見破れない。
 床に転がるラベンダーはたずねた。

「教えて、ミンテとはどういう関係なの? ミンテがどこにいるか知ってるの?」

 もうひとりのラベンダーは目を丸くして、きょとんとした。どこか怯えた様子だ。

「恐ろしいことをいうんじゃねえよ、愚草! ミンテが生きてるわけねえだろ、紀元前に死んだんだ!」

「ぜったい生きてる! だって、ペストと戦ってるとき見たんだから」

「……まさか。『征服の草』が生きてるって⁉︎」

「あの花が、そうかんたんに死ぬと思う?」

「いや、だって、そんなばかな!」

 ラベンダーとラベンダーが言い争ってる。
 この光景は、ちょっとおもしろかった。
 バジリコが動揺してくれたおかげで、オレの口を閉じていた念力は弱まった。
 バジリコにはやられてばっかだったし、ヤツのいばった態度にもそろそろ飽きてきたオレは、ちょっかいを出した。

「そうだ。ラベンダーは知らないが、『征服の草』にはオレから連絡してある。いま聖母ピラール大聖堂にいるってな。もうすぐ来るぞ。いや、実はもういるんじゃないか? 潜伏して見えないだけで、おまえのうしろとかにな。ほら、飛び出すチャンスをうかがってる!」

 バジリコはすぐに振りかえり、うしろを確認した。それからじっと礼拝堂内を見つめ、神経を研ぎ澄まし、霊視した。
 やがて、潜伏している霊がいないことがわかると、とびっきりの笑顔を見せ、ラベンダーを思いっきり蹴り上げた。

「ぅゔッ‼︎」

 フットボールみたいに弧を描いて飛んでいったラベンダーは、パイプオルガンに激突した。ボアァァァンと、くもった音が礼拝堂に響きわたる。
 バジリコが2回指を鳴らすと、ラベンダーは赤いボールに閉じこめられた。

「おどろかせやがって、ヤツは死んだ! それが事実だ」それからオレのほうを見て「その汚い口は、おしおきが必要ね!」

 こっちに近づいて来る。ヤバい、逃げ場がない。
 邪悪な手が、だんだんと伸びて来る。
 目は閉じなかった。
 死ぬときも、男らしくいたい。
 そして手が――

「バジリコ、そろそろニンゲンが集まってくる時間だ」

 ――バジリコの手が止まった。話しかけたのは、いかついブタのリーダーだった。

「ん、そうね。ノージンジャー」助かったと思ったが、バジリコはべタッと、その凶悪な顔――といってもラベンダーの顔だが――をボールにくっつけてきた。「ぼうや、帰ってきたら、たっぷりかわいがってあげる。覚悟しな!」

 しわがれた声がせまいボール内で反響し、頭が割れそうだった。きびしい冬を越すために、葉という誇りを落とした樹木のような声。
 冷や汗が止まらなかった。ひとまず、命びろいした。

 バジリコは聖母マリアレリーフの前に立ち、整列したブタたちに演説を始めた。

「諸君。ニンゲンは自分勝手だと思わないか? 自分に都合の良いように森を焼き、工場から出た化学物質で川を汚染し、毒ガスをほかの生き物に吸わせている。この地球が、まるで自分たちだけのものだと思っている」

 ブタたちは、しきりにうなずいた。
 ころころ音がしたと思ったら、1匹のブタがオレのとなりに、ラベンダーの入ったボールを転がしてきた。顔中に青いアザを作っている。気絶してるかはわからない。
 バジリコは続けた。

「我々は、太古よりずっと耐えてきた。ニンゲンさえいなければ。そう思って耐えてきた。だが、それもおしまいだ。ついに我々は、ニンゲンたちを滅ぼす切り札を手に入れた。そう、スペイン風邪だ」

 ブタたちから、賞賛と歓喜の拍手がわき起こった。

「非常に高貴、王家に忠実、英雄的、敬虔なる、常に英雄的かつ永久不変。
 それが我々の魂に刻まれた文字だ。

(これは、サラゴサ市の紋章に記された言葉だ。フランス軍の包囲を耐え抜いた、サラゴサ住民に贈られた称号。
 いまから100年前のスペイン独立戦争のとき、ナポレオン軍がサラゴサを包囲した。住民たちの激しい抵抗により、サラゴサは守られたが、55000人を超えた人口は、12000人にまで減少した)

 気高き戦士たちよ、その勇姿を見せてくれ! いまこそ地球に、真の平和を取りもどす時である! まず手始めに、フランスを滅ぼす」

 どよめきが起こった。

「どういうことだ? ドイツじゃないのか?」1匹のブタが声をあげた。

「いや、まずはフランスからだ。ヨーロッパの中心であり、人間界でもかなりの影響力を持つフランスを滅ぼせば、ドイツを滅ぼすのもかんたんになる」

「待て、聞いてない。フランスはドイツと戦ってくれてる。俺はフランス人は殺したくない」

 バジリコはリーダーを見た。「ねえ」

 リーダーは躊躇することなく、ブラスターを仲間に撃った。
 ヴジュンゥンゥン。
 1匹のブタが殺された。倒れた体には大きな穴が空いていた。
 静まりかえる面々。ブラスターの音だけが、残響となって教会にこだまする。
 リーダーはいう。

「落ちつけ、同胞たちよ。アイツは考えがニンゲンに洗脳されていた。悪魔に憑依されていたんだ。できれば、殺したくはなかった。だが俺たちには、この地球を救わなきゃならない使命がある! 3次元で生きている同胞たちが、意味もなく、理不尽に処分されることのない星を創る使命が! そのためには、すべてのニンゲンを殺さないといけないし、犠牲もいたしかたない」

 反論する精霊はいなかった。
 それを見て、バジリコはリーダーにいった。

「あなたはここにいて。また反逆者があらわれたら、私たちの崇高なる大義は果たせない。帰ってきたら、あの霊たちを動物界に売りましょう」そして歩き、真ん中の通路を進む。「レオンハート、ゾフィア、いっしょに来なさい。これよりニンゲンを殲滅する! 非物質界に栄光あれ!」

 聖人たちのレリーフを背景に、会衆席のなかを堂々と歩くバジリコと側近たち。
 この瞬間をバジリコは、1万年も待っていたんだ。1歩1歩、かみしめて歩いているように見えた。
 ブタたちは仲間の出発に、遠吠えをあげた。
 祝いと期待、鼓舞、激励をこめて。

(動物界では、オオカミをまねして遠吠えするのが文化なんだ。最初はただの流行りで、馬鹿な動物が、あこがれてまねしてると思われてたんだが、時間というのはおそろしいもので、いつのまにか文化に発展したらしい。
 ほかの世界のオレからいわせれば、体の作りも、のどの作りだってちがうのに、ブタが遠吠えなんて滑稽だね。ブタにはブタの良さってもんがある。オレはもう、自分を捨てて他人になる時期はとっくに超えた)

 滑稽な鳴き声だ。どれだけがんばっても、花が龍になれないように、ブタだって、オオカミになんかなれないのに。

 両手にブタのバジリコは、きたない遠吠えをあびながら、聖母ピラール大聖堂をあとにした。