第2輪 友情は時を超え復活する
ちくしょう、イングランドめ、許さねえからな!
――ラベンダー 15世紀にて
オレとラベンダーは隔離病棟にいた。
病室はとにかくうるさかった。いまは9月だから、ついセミが鳴いてるんじゃないかと勘違いしそうになる。だが残念なことに、そんな風情のあるものじゃなかった。患者たちが咳をしているんだ。
(セミが鳴くのは、かわいいメスを呼ぶため。つまり、ナンパだ。この病室も、そんな健康的なエネルギーで満ちていたなら、もう少し居心地が良かったかもしれない。まあ、人間同士の恋愛なんてオレには興味ないね。アリとアリが結婚して、おめでとう! って感動するやつはいないだろ?)
ガトフォセは、他の患者たちと同じようにベッドに横たわり、ずっと咳をしていた。見ているこっちが辛くなる。鼻や耳から流れた血が、シーツに赤い染みを作っていた。
「頭蓋骨が割れそうだ、ぅうッ!」
「なあ、おまえ、まだ37歳じゃないか。人生これからだぞ」
「……」
ガトフォセには、オレの声は聞こえていないようだった。霊感が弱くなっている。
しかし、オレはかまわず話し続けた。
「マノンはどうするんだ? 髪の毛がないことなんかどうでもいい、おまえがいないことのほうが問題だぞ!」
「オレンジ、ラベンダー! あっ、はっ、香りがするのに、見えないよッゴホ!」
ラベンダーが、壁によりかかりながらいった。
「ムダよ、ガトフォセはもうおしまいだわ。スペイン風邪に感染したんだから」
「ここにはオレと、おまえがいる。2人でヒーリングすれば大丈夫だ」
オレとラベンダーはヒーリングを始めた。ガトフォセの胸に手を当てて、エネルギーを送った。
オレの活性化エネルギーと、ラベンダーの癒しのエネルギーがガトフォセの体内をめぐったが、効果はあまりなかった。ガトフォセの自然治癒力がちょっと上がっただけで、ウイルスはビクともしなかった。
オレはあきらめないでヒーリングし続けたが、ラベンダーは手をはずした。
「これ以上は意味ないわ」
「なぜだ、どうして撃退できない?」
「わたしが見たかぎり、これはふつうのウイルスじゃない。誰かが手を加え、進化させたものよ。くやしいけど、わたしでも浄化できない」
「そんなことがわかるのか?」
「ええ。ニンゲンもウイルスも、ずっと観察してきたからね。わたしの見立てでは、運がよくて、あと48時間でガトフォセは死ぬ」
(実際、なぜかやつはわかる。オレが冷蔵庫に入ってたやつのバウムクーヘンを勝手に食べたのだって、証拠もないのにわかるんだ。女の直感は恐ろしい)
「進化させたって、いったい誰がなんのために?」
「さあ。ドラマや映画だと、テロリストや政府が犯人だけどね」
オレは目をとじた。
ガトフォセ。おまえは人間のくせに、なかなかひろい世界観を持っている。
思い出のなかに、オレとガトフォセはいた。
「リヨンへおかえり。戦地はどうだった?」
「ぼくが思うに、この世には悪も正義もない。ただ、人間がいるだけ。人間が勝手にルールを作って、えらそうに誰かを裁いているだけ。所有なんかできないのに、犬みたいにナワバリを作って、俺たちの領土だってさけんでる。おもしろいよね。自分のペットが人にほえたら怒るけど、ぼくたちも同じことをしてたんだ」
「ああ、そうだ」
「オレンジ、ああ、君が理解できたよ。ぼくたちは家賃をはらってるけど、国は地球に家賃をはらってない。何も還元していない」
「おっしゃるとおり。それで、兵士になった感想は?」
「オオカミには天罰なんか当たらないだろ。だから人を殺したって、きっと天罰なんか当たらない。兵士になったとき、そう思わないとやってられなかった。たまに思うんだけど、人間はむかつくね」
現実のラベンダーがいった。
「また新しい霊能力者を探さないとね」
「いや、精油計画にガトフォセは欠かせない。こいつじゃないとダメだ」
「オレンジ、彼はもう死ぬ。救う方法はない」
「いや、1つだけある」
「?」
「スペイン風邪の霊を倒す。それしかない」
オレはエアリスで、ローブをまとった黒髪の青年と会話していた。オレの師匠の『真の薫香』。こんな姿だが、1万年以上も生きてるジジイだ。アロマ連合で1番えらい。
(エアリスってのは、空中に表示される透明なディスプレイのこと。自分の意思でひらいたりとじたりできるため、ケータイとちがって持ち運ぶ必要がない)
「陛下、緊急事態です。あなたの助けが必要です」
画面のなかの青年は答えた。
「社交辞令はよせ。わしとおぬしはそんな関係ではない。用件はなんだ?」
「ジジイ、大変だ! ガトフォセがスペイン風邪にかかった。一刻も早く、スペイン風邪の霊を倒す必要がある。至急、衛生班を編成してくれ」
「それはできん」
「なぜだ? 人間がたくさん死ぬぞ」
「そのとおりだが、植物界はスペイン風邪に関与しないことになった。これを見なさい」
エアリスに、各国の人口のグラフが表示された。スペイン風邪によって削減される人口の予想も。
「3次元にいる優秀な調査員たちが、集めてくれた情報の結果だ。人類の多くが死ぬことになるが、しかたない。戦力を失った各国は、やがて兵を引き上げるだろう」
「それじゃ、精油計画は? ガトフォセが死んだら、精油計画に障害が出る。フランスの衛生状態をなんとかしないと、ペストが復活するぞ、また中世の暗黒時代が来る!」
「ペストなぞ、また倒せばいいだろうに。我々は霊だ。精油を普及させる時間なんて、いくらでもある。それより、泥沼化した世界大戦を終わらせることのほうが重要だ」
「しかし――」
「オレンジ、これは精霊界全体の決定だ。衛生班は送らない。スペイン風邪にはぜったい関わるなよ。精油計画には、また新しい霊能力者を探せ」
「おい、どうしてそんなにまくし立てるんだ? 待ってくれ、スペイン風邪を倒せば――」
「この『真の薫香』に意見する気か? ナイトのくせに、えらくなったもんだのう。よいか? よく聞け、おまえは現時点をもって除籍だ。アロマ連合のナイトとしての地位を剥奪する。いままでよく働いてくれた。ナンパでもゲームでも、好きなことをして生きればよい。わしもそろそろ引退したいよ。こんな形になってしまったが、我が愛しの弟子よ。よい人生を」
いっぽう的に通話を切られたオレは、信じられなかった。
たった数分で、地位も仕事もうしなった。
そして48時間後には、ガトフォセもうしなおうとしていた。
「ありえない。クソッ、意味がわからねえ! 応援を要請しただけだ、何が起こってる?」
オレが蹴った霊体のバケツが看護師にあたった。
「キャァあ⁉︎」
なんのバックもない、ただの浮遊霊になってしまった。
しかし、オレはあきらめきれなかった。きっと、なんとかなる。そんな柑橘系らしいポジティブ思考が、ほんとイヤになる。
「老いぼれめ! 何かスペイン風邪を倒す方法があるはずだ」
人間がTレックスを倒そうとするようなもんだ。伐採のような絶望感がただよう。どうすればいい?
「落ちこんでるとこ悪いけど、わたしも手伝わないわよ」
「……そうだ。ラベンダー、おまえがいるじゃないか。そうだよ、あの大ペストを浄化した、マスター・ラベンダーがいる」
「だから手伝わないってば」
なんとしてでも、おまえを引きずりこむぞ。
「どうして? おまえがいてくれれば、ガトフォセを助けられる。スペイン風邪を倒せるかもしれない」
「あなた、『真の薫香』の話をちゃんと聞いてた? スペイン風邪に関わるなって。植物界だけじゃない、非物質界全体の決定よ。反逆者になりたいの?」
「おねがいだ、オレといっしょに来てくれ」
我ながら、なんてなさけない頼みかただ。ナンパするときはもっとスマートなのに。
ラベンダーはキレた。
「おねがいってなに? わたしはニンゲンを殺したい。たくさんのニンゲンに死んでほしい! 3次元の植物も動物も、言葉はしゃべれないけど、気持ちはある。彼らがおねがいしたとき、ニンゲンが助けてくれたことはあった? 平気で殺したでしょ!
この前のブタ処分のニュース、見た? 悪とか正義とか大義名分とか、意味わかんない! たとえば宇宙人が人間を育てて、人間を食べたら、地球人類はどう思う? ヤツらは悪だ、滅ぼせっていうでしょ。どうしてそんなクズを助けないといけないの?」
「正論すぎて、ぐうの音も出ないな」
ラベンダーを味方につける口説き文句をいくつも考えたが、ここまでいわれたら、オレは何もいえなくなった。
「それに、わたしたちはもう、パートナーじゃない。一般霊と、アロマ連合のマスター。精油計画はわたしが引きつぐから、荷物をまとめて、とっとと植物界へ帰りなさい」
「冷たいんだな」
味方にしたいけど、これがせいいっぱいの言葉。
「ちがう、合理的なの。ソロモン王にも会ったことがあるわたしから、200歳の若者へのアドバイス。別れは手早くすませること。じゃないと、かなしくなる」
オレはヒントを見つけた。
「なんだ? もしかして、さみしいのか?」
「馬花《ばか》いわないで、そんなわけないでしょ」
形勢が逆転しそうな気がするぜ。オレはテキトーなことをいって、こっちのペースに引きずりこむ作戦に出た。
「いや、そうだ。おまえはさみしいんだ。紀元前の頃から、いつもいつも戦いばかり。人間とちがってオレたちの寿命は長すぎるし、家庭だってほとんど持たない。なあラベンダー? この4年、オレたちはそれぞれちがうことをしてたが、それなりに楽しんでた。それが終わっちまうんだ。かなしくないわけないよな」
ラベンダーは、感情をたかぶらせた。
「おい愚草! わかったようなことをいうな、テキトーなこというとブッ枯らすぞ! おまえにわたしの心が読めるわけない」
こうなればこっちのもんだ。ラベンダーが図星かどうかは、どっちでもいい。相手のペースを乱したほうが勝ちなんだ。
オレは開心術や閉心術が得意だが、ラベンダーの心は読めない。実力のケタがちがいすぎる。だが、オレにはラベンダーのような高い霊力はなくても、持ち前の機転とナンパ力がある。
「いや、読めなくてもわかるね。オレさまはオレンジの精霊だ。ヒトの心は手に取るようにわかる。おまえの本心がわかるぞ。怒りのおくに、深いかなしみが視える」
そして、いらついたラベンダーは話題をムリヤリ変えようとした。
「そもそも、どうしてそんなにガトフォセを救いたいの? ガトフォセだって、ただのニンゲンでしょ」
「それは――」一瞬だけ考えた。ここが勝負だ。だけど、正直に答えることにした。
「ともだちだからだ」
すぐに後悔した。大切な場面で、ぜったい選択をまちがえた。
ラベンダーは、「は?」って顔をしている。
「ともだち……だから……」
終わった。もう、荷物をまとめて帰ろう。オレはガトフォセを見た。これだから人間はいやなんだ。こんなやつを助けようとしたせいで、師匠も、仕事も、地位も、全部うしなっちまった。何もかも忘れたい。しばらくジャパンへ旅行しよう。
「わかったわ、助けてあげる」
「へ?」
「木が変わったっていってんの! 浄化するんでしょ、スペイン風邪!」
「そうか。……なんで怒ってるんだ?」
「べつに! 怒ってない!」
「怒ってるだろ」
「わたしの木がまた変わらないうちに、さっさとブッ殺しにいくわよ!」
「ほんとにいいのか? 連合に逆らうことになるぞ」
「ただ、考えが変わっただけ。スペイン風邪を浄化すれば、世界大戦が長引く。そっちのほうがニンゲンがいっぱい死ぬ、そう思っただけ」
(木が変わる。植物界のスラング。植物界には英語みたいにスラングがいっぱいある。だからオレは、皮肉的なイングランドが好きなのかもしれない)
「植物なのに、ロックだな」
「アンタわかってる? スペイン風邪は強敵よ、ペストなんてくらべものにならない。アロマ連合の応援が期待できない以上、状況は絶望的」
オレは不敵に笑い、ラベンダーを見た。
「でも、勝つつもりなんだろう?」
「馬花ね、仲間が必要よ。信頼できる仲間がね」