第6輪 夜の来訪者には注意せよ
失望した。UFOも与え、武器も与えたのに、疫病を捕まえられないどころか、連合に捕まるとは。見捨ててもよかったんだ。感謝しろ
――バジリコ
「ベンダー⁉︎」
オレとティーツリーは顔を合わせると、瞬時に協力し、ラベンダーを追いかけた。
ペパーミントは、イスにすわったまま動かない。いまだに処分するのはもったいないと、思ってるのかもしれない。
大人の姿のティーツリーのほうが、少女のラベンダーより足が速かった。もう少しで追いつく。
するとラベンダーは、魔法を躊躇なく放ってきた。
「オクソライト 閃け」
《偉大な雷》だ。指から紫色の雷が放たれた。
石造りの家のなかを走りながら、ティーツリーは何度も放たれる《偉大な雷》の軌道を、念力でそらした。非物質でのできごとだから、ガトフォセこだわりの装飾品や家具に当たっても、壊れることはなかった。
容赦なく攻撃してくるラベンダー。ティーツリーは念力で防ぐだけで、手がいっぱいだった。
それに、ティーツリーの匂いからわかったが、ラベンダーを傷つけることをためらってる。情にもろいやつ。きのうの友が今日には敵になってる。そんなよくあることに、いちいち気持ちを乱すなんて。そんなやつが1万年も生きてることが不思議だ。
(霊には、はっきりとした寿命がない。だから、生きたいやつはいつまでも生きることができるし、死にたいやつのためにも、いちおう、宇宙へ還る仕組みがちゃんとある。
地球大混乱時代というのがあり、高齢の精霊はみんな死んじまった。いまじゃ1万年生きれば、年寄りだといわれる時代だ。
それじゃ、クイズでもするか。この星で1番生きてる霊って、だれだと思う? 答えは次の章のタイトルで教えてやる。ヒントを教えろだと? すべての物質に魂は宿る。勘のいいやつなら、もうわかるな?)
ティーツリーの後ろから、オレは念力でラベンダーの足をすくおうとしたが、苦い香りが胸につまり、当てることがむずかしかった。
ラベンダーは、廊下に毒気のある香りを充満させていた。抜け目ない。
目にしみる。前が見えないし、呼吸が苦しい。体内のエネルギー循環が思うように働かず、念力をうまく飛ばせない。
ほんとうは《地獄の業火》を使ってもよかったんだが、もしビンに当たって割れでもしたら大変だ。疫病のエネルギーがここで解放されれば、次元を超えて、やがてガトフォセの家族が危険にさらされる。
川といっしょだ。上流でゴミが捨てられれば、下流にもゴミは流れてくる。
上の次元で何かあれば、3次元に位置する人間界にも影響があるんだ。
だから、オレもティーツリーも、ていねいに念力でラベンダーからビンを取り返そうとしていた。
(超能力と魔法のちがいが知りたいって?
そうだな……そもそも超能力は、念力や、相手の心を読んだり、霊視して正体を見破ったり、テレパシーで自分の気持ちを伝える能力のことをいうんだが、筋肉っていえばわかりやすいか? 運動やスポーツといっしょで、鍛えれば強くなる。
だが、魔法はちがう。才能だ。人間にも、本を読むのが好きなやつもいれば、苦手なやつもいるだろ? 音楽にしてもスポーツにしても。読者の諸君らの脳みその作りが、みんなちがうように、オレたち精霊も、それぞれ生まれ持った魂の形がある。それに合った魔法が使える。
ただ、なんでもできるやつも、もちろんいる。ちぇっ、うらやましいぜ。オレだって成績優秀だったら、バレンタインデーでチョコレートをいっぱいもらったり、好きな子のラインを教えてもらえるのに! 世の中でいつも得するのは、顔がよくて頭のいいやつだ。ずるいよな。オレも、ラベンダーやペパーミント、ティーツリーみたいに、大人に成長できるやつが、うらやましくてたまらない)
しかし、とうとうラベンダーは玄関のノブに手をかけた。瞬間――。
ちりん、ちりん
玄関の呼び鈴が鳴った。だれかが家の前に立っている。
心臓をつかまれたように、オレたちの時間は止まった。動きを止めて、様子をうかがう。
ラベンダーが恐怖の顔で、こちらを振り返った。口をぱくぱくさせている。金魚みたいなおもしろい顔で。
普段なら笑ってるとこだが、オレも余裕がなかった。
ティーツリーに助けを求めようと思ったが、ティーツリーの姿はすでになかった。いつの間にか逃げたようだ。自分だけずるいぞ、これだから大人は!
ちりん、ちりん。
ふたたび呼び鈴が鳴った。
ドアの向こうに立っているのは、もちろん人間ではない。フランスには深夜2時近くに外をうろつくやつはいない。せいぜい犯罪者か、スリルを味わいたい若者か、夢遊病の老人くらいだろう。
つまり、相手は霊だ。アロマ連合がオレを逮捕しに来たんだ。
霊のエネルギーがドア越しに空気を伝ってくる。家のなかの温度が一気に冷えこんだ。吐く息は急に白くなり、振動もないのに、壁にかけられた絵画がカタカタ揺れて音を立てる。
霊なんだから、すり抜けて入ってくればいいのに、呼び鈴を鳴らしてるあたり、気持ち悪いくらい礼儀正しい。
オレはテレパシーで、ラベンダーに語りかけた。
[おい、いまのうちに、裏口から逃げるぞ]
[いいアイディアね。こんなの持ってんの見られたら、いままで築き上げてきたキャリアが台無しになる]
[そうだ。マスターの地位がなくなるぞ。だから、足音を立てず、こっちへ来い]
ラベンダーは近よってきた。このままラベンダーがこっちへ来れば、確実にビンを取り返せる。
音を立てないように慎重に歩いていたラベンダーだったが、急に歩みを止めた。
[……どうした?]
[いや、考えてみれば、犯罪者扱いされてんのはアンタだけだし、アンタからこれを取って、犯罪を防いだってことにすればいいんだ。わたしは助かるし、その後でスキを見て、スペイン風邪をばらまけばいい]
[待て、その作戦には賛成できない。なぁ、オレたち、ともだちだろ?]
ちりちりちりん、ちりん、ちりん
ラベンダーは親しげに微笑むと、ドアをあけた。
しかし、そこにはだれもいなかった。
ドアの向こうには、ただ暗闇が広がるばかりで、しんと静まりかえっている。
ラベンダーは怪訝な顔をして、気味が悪そうにしていたが、やがて「だれもいないなら、チャンスね」というと、家を飛び出した。
「待て――うッ」
頭がしめつけられるように痛い。とつぜんはげしい頭痛におそわれた。視界がゆがみ、意識が遠のく。体が床に倒れた衝撃をかすかに感じた頃、オレの意識は消えた。
ふと気づけば、オレはリビングにいた。さっきと変わらずイスにすわっている。
もちろんペパーミントも、ティーツリーも、ラベンダーも。
ぼーっとしていた気がする。
スパフについての話し合いは平行線だ。
処分したいオレ。
冥府に持ち帰りたいペパーミント。
私物化したいラベンダー。
オーストラリアに上陸させたくないティーツリー。
早くスパフをどうするか、決めないと。もう時間がない。
ん? いや、それはもう話さなかったっけ?
オレは違和感を感じた。
確か、オレは……ラベンダーを追いかけていた!
でも、ラベンダーは目の前にいて、すわってる。なんだ?
オレは違和感の正体に気がついた。
どうしてみんな、動かないんだ?
口を開こうとしたが、しゃべることはできなかった。もっといえば、体が動かない。
急にイスがすすっと、後ろに動いた。真ん中の空席だ。まるで、だれかすわってるみたいだ。
オレの背筋を悪寒が走る。
毛虫か何かが、もぞもぞ体をのぼるみたいな。
テーブルの中央におかれたスパフのビンが、静かに持ち上がると、空席の上でくるくる回った。しばらくの間、オレたちはその光景をながめていた。というか、見ること以外何もできなかったが。
意味のわからない恐怖が、空気を支配していた。まるで、カマを自分の茎に当てられているように、いきなり理不尽に殺されてしまいそうだ。
なんなんだ? 何が起こってる?
やがて、ビンは空中に吸い込まれるように消えた。そして、声が部屋に響いた。
「素晴らしい。あのスペイン風邪を、これほどきれいにビンに封印できるなんて。並はずれたセンスね」
女性の声だった。ハスキーで、なまめかしい。声はするのに姿はまったく見えなかった。
「きのうは部下たちが、世話になったわ。あいつらと来たら、せっかく怨霊になりかけてたところを、拾ってやったっていうのに、役立たずのパセリなんだから。まあノージンジャー。相手が花の精霊だったんだから、がんばったほうかな」
オレたちは、だれもしゃべってない。空席から声は聞こえる。
「不思議そうな顔、どうしてここがわかった? っていいたいみたい。簡単な話よ、私も花の精霊だから、香りをたどって来たの」
香りをたどって来ただって?
デトロイトからここまで、かなりの距離があるんだぞ。UFOに乗って北大西洋を超えて来たのに、香りをたどるなんてできるのか?
それに、若者らしい口調で話してるのに、雰囲気がやけに大人びてるところが怖かった。
質問もできないどころか、動くことすらままならない。
こいつはいったい、何者なんだ?
オレの心を読んだのか、そいつは答えた。
「ああ、挨拶がまだだった。チャオ、私はバジリコ。それだけいえば十分かしら?」
緊張が走った。空気が張りつめる。
バジリコっていえば、伝説の精霊じゃないか。アトランティス滅亡後の地球大混乱時代、ジジイ――オレの師匠の『真の薫香』や、ペパーミントの師匠のシナモンが活躍した時代の精霊だ。
バジリコだったら、香りをたどってここまで来れても不思議じゃない。
有名な植物至上主義者で、1万年以上も指名手配されてる精霊が、こんなちっぽけな香料店に。
(植物至上主義者。植物の精霊が1番偉いし、優れてる。だから、それ以外はどうなってもいいという、危険な思想を持つ精霊たちのこと。差別行為やその残虐な行いは、特に人間に向けられることが多い)
こいつが、裏で糸を引いてたのか。
「あなたたちには、金縛りをかけさせてもらった。私は用心深い性格でね。そのおかげで、いまもこうして、愚かなアロマ連合から逃げのびている」
オレは心で念じた。とびっきりていねいにな。
[女王陛下。もしよろしければ、お姿を拝見してもよろしいでしょうか? どうしても、あのアトランティス滅亡を経験した、伝説の花であらせられる女王陛下を、ひと目みたいのです]
しばらく間があった。こっちは相手の表情が見えない。やりすぎた表現だったかとあせったが、バジリコは笑い声をあげた。
「アハッハ、フッ、ッハハハ! ベーネ(いいよ)。ヒトには姿を見せないことにしてるの。だけどあなた、女性の扱いを知ってるわ。あなたに免じて、ここは乗ってあげる。私も、あなたたちになら姿を見せてもいいと思ってたしね」
出現したバジリコの大人姿は、ひとことでいえば、イタリアかギリシャ系の美人だった。
スレンダーだが体格もよくて、金髪にメッシュがかった緑色の髪をしてる。目の周りをダーク系のアイシャドウでかこんでいて、ミステリアスな印象だ。
バジリコは1人でしゃべり続けた。
「ああ、落ち着いて。念じられても、この人数じゃ質問には答えられない。それにしても、そうそうたる顔ぶれね、社交界にいるみたいに豪華。あなたたちがだれかは、香りでわかる。マスター・ラベンダー。お会いできて光栄よ。心に響く、素晴らしい香り。あなたがケメトのアカデミーの生徒だった頃から、うわさは聞いてた。ずっと会いたいと思ってた。本当よ。いつか有名になると思ってた。【第5次ペスト戦役】では、ついに、あの大ペストを浄化する偉業を成し遂げた。おめでとう。できることなら、その才能を人間のためじゃなく、植物のために使って欲しかった。ノージンジャー、あなたが選んだ道だもの。あなたは知らないだろうけど、あなたのお姉さんとは、古い友達だったの」
ラベンダーが、カッと目を見開いた。こわっ!
おでこに青筋を浮かべて金縛りをむりやり解こうとしてる。だが、バジリコは1万年以上も生きてる。霊としての強さは、次元がちがった。
やがてラベンダーは、あきらめた。
「フフ、その話は長くなる。またいつかね。そしてあなたは、あの冥界のペパー皇子。ハーデスとミンテの孫。あなたの顔はミンテに似て、とても凛々しい。ミンテの弟子や孫に会えるなんて、長生きはするものね。ウフフ」
バジリコは何かを思い出すように、遠い目をしていた。反対にラベンダーは、また金縛りを解こうと体をふるわせている。顔を真っ赤にして、興奮状態だ。恐ろしい顔をしてる。これは不倫が発覚したときの女の顔だ。
「……ミ、ンッ、テ」
「おどろいた。しゃべることができるなんて。じゃあ、これはどうかしら?」
バジリコが指を鳴らすと、ラベンダーはいっさい動けなくなった。
「さて、と。うっ、この香りはいやな思い出しかない。いや、あなたの香りは洗練されたすてきな香りよ、オーストラリアの管理者ティーツリー。ただ、『ガソリンツリー』の匂いがついてる。地球大混乱時代に、『ガソリンツリー』には痛い目にあわされてね。ヒトはなかなか理解しないけど、私はあなたの仕事を尊敬する」
そして最後にバジリコは、オレを見た。
美人すぎて、ドキドキしちまう。それにこのミステリアスな雰囲気。結婚したら、さぞ楽しいだろうな。
「ミスター・オレンジ。この華々しい香り、まるでフルーツの王様ね。柑橘系の精霊を差別する花も多いけど、私は『黄金のリンゴ』みたいなバラ族の精霊より、パワフルな柑橘族のほうが大好きよ」
[それはうれしいね。そこのラベンダーはケンカするたびに、『黄金のリンゴ』だったらそんなこといわないとか、『黄金のリンゴ』だったらこうするとか、いやなこといってくるんだ]
(『黄金のリンゴ』。植物界で神格化されてるリンゴの精霊。伝説の精霊ってのはいっぱいいるが、ヤツは別格。第七文明期の人類にとってのイエスみたいな存在で、どんな問題でも奇跡を起こして解決しちまうらしい。ふーん。興味ないね)
「ウフフ、私たち、仲良くなれそうね。それとオレンジ、あなたを犯人にしてごめんなさいね。ニンゲンを滅ぼすためだもの。ね、許して?」
オレはレモンよりすっぱい顔を作った。やっぱり、この女とは仲良くなれそうにない。離婚届を叩きつけてやる。
「ウフフ。あなたってほんとにおもしろい。さて、時間もない。本題に入りましょうか。スペイン風邪は私が頂いていく。私は同じ花として、あなたたちには敬意を払いたいと思ってる。予定だとあと10分もすれば、アロマ連合が到着するはずだけど、逮捕されないように、金縛りを解いてから帰ってあげる。逃げるなり、頑張って誤解を解くなり――無理だと思うけど――好きにしなさい」
そこでバジリコはひと息入れると、恐ろしい顔で低いうなり声をあげた。
(どんな顔だと思う? 美女と野獣は同一人物だった)
「だけどもし私の邪魔をするなら、容赦なく枯らす‼︎」
「うがあ!」
バッキーンと、錠前が割れるような硬い金属音が響くと、ラベンダーが動いた。金縛りを破ったのだ。ラベンダーは猛獣のごとくバジリコを殴ろうとしたが、よけられ、イスといっしょに盛大に床に転んだ。
「私の金縛りを、子どもが!」
「ミンテとどういう関係だ、教えろォォォ!」
怖い顔で絶叫するラベンダーをよそに、バジリコは逃げていった。
ラベンダーのおかげでバジリコは動揺し、オレたちの金縛りも解けた。
「ヤツを追うぞ」