第9輪 豚を飼うなら花を隠せ

 ごめんね。リィヴリィ 解放せよ

          ――ジャンヌ・ダルク

 うああぁぁぁぁ‼︎

 ごめんなさい、ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい。
 わ、わたしのせいで! 待って、ゆるして! 
 わぁぁぁぁ‼︎

 ラベンダーが悪夢から目をさますと、全身がぬれていた。汗がびっしょりだ。体は紫色に発電していて、火花をバチバチ飛ばしていた。
 最近は大丈夫だと思っていたのに、わすれた頃に見てしまう。
 ラベンダーは、すぐにあたりを見まわした。
 また壁を壊したり、念力で皿を割ってしまうと、ガトフォセがうるさいのだ。
 そこで気づいた。ここは、ガトフォセ家じゃない。
 白い広々とした礼拝堂。
 たくさん並んだ会衆席。
 金色に光る天使たちの彫刻が乗った、大きな柵。
 その向こうのパイプオルガン。

 ――ここは、教会だ

 どうやら自分はいま、強力なエネルギーで作られた赤いボールに閉じこめられており、礼拝堂の真ん中、会衆席の列と列にはさまれた間の通路にいた。
 となりには、ペパーミントとティーツリーも同じように閉じこめられている。2輪はまだ、意識を取りもどしていないようだった。
 ブタの精霊たちはいなかったが、近くに気配を感じた。
 ラベンダーは魔法で雷や炎を出したり、念力で穴をあけての脱出を試みたが、どれも失敗に終わった。エネルギーのムダだ。
 あきらめたラベンダーは、教会の建築様式を観察することにした。
 通路の左右に配置された、太くて力強い、8本の正方形の柱。柱の造りを見つめながら、思った。
 やはり、コリント式こそ至上。
 ラベンダーは、この空間の建築が好きだった。
 ふつう、バロック様式といえば豪華で過剰な装飾で、目立ちたがり屋なイメージだ。この礼拝堂も、ほかのバロック様式の教会と同じように、柱、壁、天井にいたるまで装飾はされている。しかし、やりすぎた印象はなく、むしろちょうどよかった。絵画、彫刻、建築が一体となった空間は洗練されており、ゴシック様式バロック様式がみごとに調和していた。

 ――美しい
 
 ここは、どこの教会だろうか?
 ラベンダーの正面、通路の最後には白い祭壇があり、そのうしろの祭壇画は、反対側の端にあるパイプオルガンと同じくらい大きかった。天井に届きそうなくらい巨大だ。
 祭壇画のレリーフには、エラそうな人間、助けを求める人間、祈る人間、とにかくたくさんの人間がいてラベンダーは心底イヤな気分になったが、真ん中に彫られたその人を見て、はっと息をのんだ。

 ――メリー……(聖母マリア

 キリスト教の教会だということはわかったが、それ以外は何もわからなかった。
 しばらくすると、ティーツリーとペパーミントが起き上がってきた。

「ここはどこだ?」とティーツリー。体力がなくなり、子どもの姿になっていた。ラベンダーもペパーミントも、みんな子どもだ。

「場所はわからないけど、天国じゃないことは確かね」ラベンダーは笑いながら答えた。「ほんとマジ最悪、死んだかと思った。気絶してる間も、香りを吸ってたから死なずに済んだけど、そうじゃなかったらと思うと……考えたくないわね」

「すまない。私がいながら、ふがいない」

 ティーツリーは、視線をそらしながら申し訳なさそうにあやまった。

「何いってるの? あなたがふせろといってくれなかったら、ほんとに死んでたかもしれないのよ? 自分を責めるのはやめて」

「ああ。そうだな。でも、どうしてアタシたちはまだ殺されていないんだ?」

「さあ。利用価値があるのかも」

「なんだこのボール? こんなので閉じこめたつもりか? ふんッ!」

「そんなことより、オレンジがいない。彼はどこだ?」

 ペパーミントは、不安そうな表情でそういった。となりでは、ティーツリーがボールから出ようとあばれている。オーストラリアが誇る戦闘部族でも壊せないボールに、ペパーミントの不安はさらに増した。

「もしかしたら、逃げたのかもね。相手はバジリコだもの。わたしだったらそうする」

 ラベンダーはいった。

「ぼくも同意見だ。そうかもしれないな。だけど、助けに来るかもしれない」

「……ペパー、あなた、ずいぶんオレンジを高く買ってるのね。どういう関係?」

「ただのともだちですよ」

「あなたがオレンジとともだちだったなんて、知らなかった。あいつがどういう精霊か、知ってる?」

「ええ、もちろん。彼は勇敢で、頭がキレて(龍の巣に爆弾をつめたイタズラ仲間で)、どんな困難にも負けないし、くわえて皮肉を理解できるすばらしい精霊だ。おまけに人間がきらい。好きにならない理由がない。UKで1番の精霊はぼくだけど、この地球で、1番の精霊になるのは彼だ」

 ペパーミントの強気な言葉に、ラベンダーは香りを悪くした。

「……あなたはだまされてる。ともだちは選びなさいって、いつもいってるでしょ」

 しばしの間があった。ペパーミントは首をかしげ、怒りをおさえてたずねた。

「……ラヴァー。それ、どういう意味?」

「わたしは、あなたのためを思っていうのよ。オレンジは、あなたのともだちにはふさわしくない。ともだちにするなら、『黄金のリンゴ』みたいなバラ族の精霊とか、シュガーとか――そうだ、こないだ番組でシュガーと共演したのよ――彼だったら、あなたにお似合いだわ。紹介してあげる」

 ふだんは冷静で斜にかまえるペパーミントだったが、このときばかりは素直に自分の気持ちをぶつけた。ラベンダーに立ち向かったのは、初めてかもしれない。声はふるえていた。

「ら、ラベンダーおばさん。あ、あなただからいうけど、ぼくはもう子どもじゃない。大人にだって成長できるし、公務にもたずさわってる。あなたと母上はいつもぼくを子ども扱いするけど、いいかげんウンザリなんだ」

「ペパーミント、あなた! だれに向かって――」

「ぼくを聞け!」

「――……」

 ペパーミントは、頭の草かんむりをゆらし、冥界の王ハーデスのような堂々とした態度で大声をあげる。

「ぼくは、あなたたちのラジコンでもなければ、人形でもない! 自分が何をしたいか、自分には何が必要で、だれとともだちになりたいかなんて、ぼくが決める! おばあさまの直系だからなんだ! ミント一族の王位継承権1位に生まれたからなんだ! ミント一族でもオレンジとともだちでいたいし、ぼくがぼくを決める。おばあさま――英雄『征服の草』のように自由に」

「……ペパーミント」

「ラベンダー。ぼくのおばあさまは、だれかの意見にしたがう花だった?」

「ああもう、あなたってほんと、ミントなんだから。わかったわ。でも、1つ訂正がある」

「なに?」

「この地球で1番の精霊になるのは、わたしだから」

「そんなことよりラベンダーこそ、どこでティーツリーと知りあったんだ?」

「そんなことって……」いまの言葉に、少なからずラベンダーは気を悪くした。「わたしとティーの関係?」

 ペパーミントは、はげしい音が聞こえるとなりを見た。まだティーツリーは、ボールから出ようとパンチしたりキックしたり、あばれていた。

「ウアァァァぁ!」

 ペパーミントは、ティーツリーの根性をすごいと思った。尊敬した。だが、何をやってもムダだろう。
 念力をまとって身体能力を強化していても、大人の姿に成長できる体力がないのだ。本気を出せないいま、何をやってもムダだ。
 ペパーミントは不思議だった。どうしてこの2輪がつながっているのか。自分の幼少時代を知るラベンダー。自分にひどい憎しみを持つティーツリー。
 この2輪にタッグを組まれると、あとあと厄介だ。

「わたしがやってる精油プロジェクトは、知ってるわね? でもわたしは――少なくともいまは――精油を広める気なんて、これっぽっちもないの。もちろん愛するエグザゴンヌには清潔になってほしいけど、世界大戦やってる横で、人間界に精油を広めるとかバカみたいじゃん」

 自慢のあわい紫色の髪を、指でとかしながらラベンダーはいった。

「そうだな。そもそもどうして、あなたほどの精霊が衛生班に参加していないんだ? アロマ連合のエースだなんていわれてるのに」

「知らないわよ。上が決めたことだもの。とにかく、やりたくない仕事はやりたくないし、わたしだって自然環境を守りたい。だからこの4年、こっそり各地の戦場で浄化してたの」

 ラベンダーは、ナイショできらきら光るものを道でひろっては家に持ち帰っていたことがバレた子どものように、白いワンピースのすそをいじりながら、いうのだった。
 ペパーミントは、自分よりもずっと年上であるはずの女性のその仕草に、笑った。

「あなたなら、やりそうだ」

ティーとは戦場で、ともだちになったの。おたがいイングランドに不満があったから、すぐに意気投合した」

「やっぱり聞かなきゃよかったな」

「あなたのミスも、いっぱい聞いた」

「最悪なヒトに、ぜったい渡したくないものが渡ってしまった」

「それはバジリコにいって」

 ペパーミントはとなりを見た。
 ティーツリーはあいかわらず、ボールを壊そうとしていた。呪文をとなえている。ティーツリーの体から、ビリビリとエネルギーが駆けめぐる音が聞こえた。

「ドッドッドー 限界突破」

「イピリアウリカントゥス 歌え雷鳴」

「プリミラユルングル 来たれ大波」

「ぶは、ふはっ、息ができない、ヒッグス・バルーセム 急速膨張」

「ドナドナ 解体せよ」

 ボールのなかに豪雷や煙、水があらわれたが、ボールは少しサイズを膨らませただけで、すぐ元の大きさにもどった。
 やがて魔法は消えた。
 状況はさっきと変わらなかった。
 ただ、黒コゲの髪に、ぼろぼろの服をぬらしたティーツリーが、しょんぼり肩を落としている点を除いては。
 見かねたラベンダーがいった。

ティー、エネルギーのムダよ。わたしの見立てでは、これはなかからの攻撃にクソ強い。外から破るしかないのよ」

「だが、何もしないわけにもいかないだろう? さいわい、見張りもいない」

「何もしないことならできる。いまは体力を温存すべきよ。助けが来るのを待つの」

「助けって? オレンジが来るのをか?」ティーツリーは目をぱちくりさせた。「ほんとうに来ると思うか? 死んでる可能性だってあるんだぞ」

 ラベンダーは、イジワルそうに笑った。

「あいつは、後世に名を残すストーカーよ」

 この先どうなるかわからない未来。でもラベンダーはどこか、よゆうそうだった。いくつもの死線をくぐり抜けてきたのだ。
 今回だって、きっと大丈夫。
 ペパーミントは、天井近くの窓を見た。

「外が明るい。ケータイもエアリスも没収されて、時間がわからない。あと何時間で、ガトフォセを助けられなくなるんだろう?」

「ガトフォセなんか、どうでもいい」ティーツリーは顔をゆがめた。「問題は、最悪なヤツに最悪なものが渡っちまったってことさ。オレンジを待つのは最後の方法だ、早くここから出る方法を考えて、バジリコを止めるぞ。ヤツの気配を感じる。まだここにいるんだ」

 ペパーミントは、自分は頭がいいと自信があったが、ボールから脱出する良い方法は思いうかばなかった。その代わり、ある疑問がわいた。

「あいつら教会を隠れ家にして、イエスの天罰でも当たらないかな。ま、人間には期待してないけど。ラベンダー、建築様式を見て何かわかることは? どこの教会かわかる?」

「うーん、この造りは、フランスじゃ見ないなぁ。あ、でも、あの天井に書いてあるスペル、スペイン語じゃないかしら?」

「ぼくたちはスペインにいるの?」

「いや、わからない。スペイン語を話す国はいっぱいあるし。ヨーロッパの国だとは思うんだけど、実はアメリカだったりして」

「そんなバカな」

「ほら、いまって、いろんな文化が世界へ羽ばたく時代じゃない? 自由の女神の設計がフランス人だったように」

「バジリコはスパフを手に入れたのに、何をぐずぐずしてるんだろう? どうして、まだ教会にいるんだ?」

「調教してるんだと思う。自分に従順なしもべにして、ニンゲンを滅ぼすつもりなのよ。わたしもしたことあるからわかるけど、調教って、時間かかるから」

「なあ、アタシゃ不思議なんだが、天使たちはどこなんだ? ここは教会だろ、なぜいない?」

 ティーツリーの疑問に、うしろから声がした。

「天使たちなら、出ていってくれたわ。友好的に話しあったら」

 バジリコだ。武装したブタたちもいる。20人くらいおり、近よられると迫力があった。
 ラベンダーはストレスを感じた。どいつもこいつも、ニタニタ笑って気持ちわるい。自分たちのほうが、優位に立っているとでもいいたげな顔だ。
 霊視して気づいていたラベンダーは、おかしそうに笑った。

「友好的? みな殺しのまちがいでしょ? 空気中に天使たちの血が流れてる」

「ええ、ほかの世界の言葉では、そういうかもしれない」バジリコは歯を見せ、残酷に笑う。

「わたしたちも、殺す気?」

「まさか。同じ花だもの。そんな残酷なこと、しないわ」

 バジリコは芝居がかった口調でいい、間をおくと、ラベンダーたちのまわりをゆっくり、歩き始めた。高級品の値踏みでもするように、目を細め、じっくりと。
 しびれを切らしたティーツリーがいった。

「アタシゃ、待たされるのがダイキライなんだ。早くいえ、ポテトやろう!」

「ポテト? なつかしいお名前だこと」

 ゆっくりと、何かを味わうように上品にいった次の瞬間。
 高速でバジリコは手のひらを動かしティーツリーのボールを解除すると、反対の指で鉄砲の形を作りティーツリーを念力で撃った。肩から血が流れ、ふたたびティーツリーはボールに閉じこめられた。

「フン、かわいくない女!」かん高い声が教会に響いた。

ティー⁉︎ よくもティーを!」ラベンダーがさけぶ。

 一瞬のできごとだった。

「いけないわ。私としたことが、商品を傷つけるなんて。そこのペパー皇子は、ハーデスへの交渉材料として利用価値が高い。残りの2輪も、ビン詰めにすれば良い香水になるんだから」

 ペパーミントは、実力差にあぜんとした。呪文の詠唱なしで、これほどすばやく動けるとは。
 ラベンダーは怒った。

「おいクソババア、許さねえからな! アトランティス大陸みてえに、テメェのことも海に沈めてやる!」

「ウフフ、あなたとしゃべってると、ミンテを思い出すわぁ。彼女にやられた傷がうずくの」

 猫なで声みたいに甘いトーン。バジリコの声には、砂糖にまぎれて毒もたっぷりふくまれていた。

「こっちには、最強の精霊がいる。おまえみたいなスパイスやろうや、わたしみたいな草とはちがう、最強のフルーツが! あいつが来れば、おまえなんかボコボコだ!」

「もしかして、オレンジのことをいってるのかしら? 確かに彼、良い才能をお持ちなようだけど――」そこでバジリコは言葉を切った。ニッタリと嫌な顔で笑い、「ゼンマイ仕掛けの騎士団に捕まったみたいね。いま頃は拷問されてるはずよ」

 ラベンダーは、伐採のような絶望にのまれた。

「アッハッハ~、その顔が見たかったァ! いくら拷問されたって、仲間がどこにいるかなんて知らないのにね! 教会って便利だわ」

 集団のなかで、ひときわ大きなブタのリーダーは、落ちつかない様子だった。まるで喫煙者のように、そわそわしながら低い声でうなる。

「バジリコ、もうガマンできない。そろそろ香りをかいでも? 俺たちは仕事をはたした。いいだろう?」

「ええ、私のかわいい子ブタたち。好きにしなさい」

 イェエエェェェェィ‼︎

 とたん、歓声がわき起こり、教会全体を揺るがした。
 3つの赤いボールのまわりにブタたちが群がった。ラベンダー、ティーツリー、ペパーミントの視界は押しよせてくる大きな鼻でおおわれ、それ以外何も見えなくなった。耳も、ブヒブヒという鳴き声以外は何も聞こえない。ねっとりぬれた気味のわるい鼻がヒクヒク動く。ボールがあっちこっちに転がり、花たちは背中や顔を打った。自分の香りをかがれる恐怖は、苦痛で、おぞましく、頭がおかしくなりそうだった。

「おい、どけよ! 俺が先にかいでたんだ!」

「おまえは女にモテるからいいだろ!」

「アンタたち、そのミントのイケメンは、アタシがもらうんだからね!」

「ゾフィア、強く抱きつくな、壊れるぞ!」

「ムラサキ、オレガモラウ!」

「順番を守れ、レオンハート! このうす汚いキツネめ! 返せ!」

「よくも殴ったな、こいつ!」

「やめろ、ブラスターを向けるな!」

「俺の腕を切ったな! 殺してやる!」

「は~、この茶髪の娘、すげぇいい香りだぁ」

「ミヒャエル、こっちの列にならぼう」

「それはかしこい選択だ、グリム」