第11輪 あなたの服も、ちゃんと用意されている

 ナンダ、フルーツダッタノカ

          ――レオンハート

 目をさますと、そこは赤いボールのなかだった。
 オレは元の少年姿にもどっていた。
 急いで時間を確認しようとしたが、腕時計は取られていた。携帯空間も取りあげられており、武器を使うことはできなかった。
 ブタの霊たちが近くにいたが、ペパーミントとティーツリーも近くにいる。
 子ども姿の2人は、長時間ずっと閉じこめられているせいで、憔悴しきっている。ぐったりと背中は丸まり、力なく頭をたれ、死人みたいに目はうつろだ。危険な状態であることは明白だ。早く助けないと。
 そしてオレのとなりには、例の性格のわるい紫の花がいた。もっと性格の悪い緑の霊もいっしょにいる。
 ラベンダーとバジリコだ。
 バジリコは、ヒョウの顔がプリントされた黒いワンピースを着ていた。アメリカンなファッションからは自信があふれ出ており、いかにもよゆうそうだ。何もかも自分の思いどおりにいってるから、楽しいんだろう。
 バジリコはなぜか、ずっとラベンダーの香りをかいでいた。
 そう遠くない古代。1万年以上は前。
 優れた核技術と霊能力で、自然やほかの民族を搾取し続けたアトランティス文明が滅び、地球はついに平和になるはずだった。
 精霊界中が、このまま人間を根絶やしにして、人間の魂もろとも地球から追放しようという流れになっていた。
 しかし、それに異をとなえる世界があった。
 植物界だ。
 いや、正確にいえば、植物界出身の7輪の精霊だ。いまでは神格化されている、地球を代表する大神霊。
 オリバナム、ミルラ、ミンテ、カモミール、シナモン、サンダルウッド、ユーカリ
 地球に住む精霊のだれもが、平和になる、そう思っていた。両手をあげてさけび、歓喜していたのに。
 むかえたのは地球史上類を見ない暗黒時代。
 地球大混乱時代。
 地球人類を滅ぼそうとするグループと、存続させようとするグループに分かれての超戦争。おまけに、この混乱に乗じて、外から地球を侵略しようとする敵性宇宙人まであらわれた。
 だが最終的には、覇権をにぎったのは植物界だった。地球の代表世界として、天の川銀河のほかの惑星から認められたのも植物界。
 そして。
 地球人類は第七文明期に突入。現在にいたる。
 オレはバジリコを見た。
 人間を滅ぼしたい。その一心で、ずっとずっと暗躍してきたんだ。その野望がついに叶う。さぞうれしいだろうな。
 人間界は世界大戦で疲弊。スパフも手に入れた。人間を滅ぼす絶好のチャンスだ。
 バジリコはラベンダーの髪をさわり、顔を近づけ、香りを堪能していた。

「ウゥ~んっ、はぁッ、芳醇な香り。まだ若いのに、あなた、どうしてこんなステキな香りをお持ちなの? あと何千年かしたら、もっと熟成して、私好みのヴィンテージワインになるのに。殺すなんてもったいない」

 やけにテンションの高い声。
 ラベンダーは、赤いボールには閉じこめられていなかった。
 その代わり、床に転がっていた。強力な金縛りをかけられており、たよりなくあいた口元からは、よだれをたらしてる。白目をむいてた。
 なさけない姿だ、見ちゃいられない。おまえは、オレのあこがれの花なんだ! いつもみたいに、よゆうを見せてくれ。

「はっはっは! おもしろい顔だなラベンダー。今度のかくし芸大会の練習か? おまえのブサイクなツラを見れば、人間は笑いすぎて世界大戦どころじゃないぞ。平和になる」

 オレは、わざとらしく大笑いした。
 バジリコは不快そうだった。

「なんて下品な。その口を、つぐめ!」

「ほがっ⁉︎」バジリコがジッパーをしめる仕草をすると、オレの口は閉じてしまった。「もがっもはふ」

 しかし、効果はあったようだ。意識を取りもどしたラベンダーは口を開いた。

「わた、しも、至上主義者、よ、ニンゲン、が、憎い、殺したい。だか、ら、あなたの、あなたの弟子にして」

「王子さまの声で目覚めるなんて、ロマンティックね」

 いまの発言は、ラベンダーの木にさわった。怒りのパワーが炸裂し、口だけだが、ラベンダーは自由を取りもどした。

「わたしを弟子にしろ、有望株だぞ。オリバナムやミンテみたいな精霊になれる。もちろんバジリコ、あなたにその気があればだけど。アロマ連合の機密情報だって知ってる。いいスパイになる」

「アハッハ~! おもしろい提案ね。興味ある」

「もげもぉおぉ‼︎(やめろ)」

 ラベンダーはニヤリと笑った。「交渉成立?」

「でも、けっこう」

「なんで? ニンゲンを追放して、この地球に、ふたたび黄金時代を取りもどしたいと思わないの?」

「スパイならもう間に合ってる。あなたよりもっと優秀なね。それに、スペイン風邪を手に入れたいま、私の夢は達成されたも同然」

「陛下、うまくいくとは思えません。そのスパイはほんとうに信頼できるのでしょうか? アロマ連合を甘く見てはいけません。オリバナムやカモミール、シナモン、それに、特に銀狐は油断できません。仲間を増やすべきです。わたしは植物界の最高意思決定機関、『日の昇る評議会』にも出席しております。どうか、ご検討を」

 ラベンダーは必死に、バジリコに取り入ろうとしていた。本気かどうかわからない。
 しかし先方は、横に首をふった。

「ダ~メ!」

「なぜ?」

「おまえはアロマ連合のマスター。それにミンテの弟子。信用できない」

「そ、それなら、わたしの心を読んでください、そうすればきっと、本心がわかるはず!」

「ハッ、だまそうとしたってムダよ、おチビちゃん! 私はそれで痛い目を見た。自分の心を見せようとするやつは、気持ちや精神状態をコントロールするのがうまい」

「そんな……ほんとなのに」

「それに、自分より才能のある若い芽は、摘み取ることにしてるの」

「…………」

 演技してだまそうとしてたのか。でもなぜか、ラベンダーは意気消沈していた。

「もういいわ」バジリコは立ち上がると、変身した。その姿を見て、オレは息をのむ。

 あわい紫の髪に、野心的でクールな顔立ち。すらっとした手足。

「ウフ~フ、完璧なコピーね。4時間も吸い続けた甲斐があった。この姿なら、アロマ連合にもバレない」

 ラベンダーがもうひとり。魂の周波数や香り、口調、邪悪な笑みまでそっくりだ。霊視しても見破れない。
 床に転がるラベンダーはたずねた。

「教えて、ミンテとはどういう関係なの? ミンテがどこにいるか知ってるの?」

 もうひとりのラベンダーは目を丸くして、きょとんとした。どこか怯えた様子だ。

「恐ろしいことをいうんじゃねえよ、愚草! ミンテが生きてるわけねえだろ、紀元前に死んだんだ!」

「ぜったい生きてる! だって、ペストと戦ってるとき見たんだから」

「……まさか。『征服の草』が生きてるって⁉︎」

「あの花が、そうかんたんに死ぬと思う?」

「いや、だって、そんなばかな!」

 ラベンダーとラベンダーが言い争ってる。
 この光景は、ちょっとおもしろかった。
 バジリコが動揺してくれたおかげで、オレの口を閉じていた念力は弱まった。
 バジリコにはやられてばっかだったし、ヤツのいばった態度にもそろそろ飽きてきたオレは、ちょっかいを出した。

「そうだ。ラベンダーは知らないが、『征服の草』にはオレから連絡してある。いま聖母ピラール大聖堂にいるってな。もうすぐ来るぞ。いや、実はもういるんじゃないか? 潜伏して見えないだけで、おまえのうしろとかにな。ほら、飛び出すチャンスをうかがってる!」

 バジリコはすぐに振りかえり、うしろを確認した。それからじっと礼拝堂内を見つめ、神経を研ぎ澄まし、霊視した。
 やがて、潜伏している霊がいないことがわかると、とびっきりの笑顔を見せ、ラベンダーを思いっきり蹴り上げた。

「ぅゔッ‼︎」

 フットボールみたいに弧を描いて飛んでいったラベンダーは、パイプオルガンに激突した。ボアァァァンと、くもった音が礼拝堂に響きわたる。
 バジリコが2回指を鳴らすと、ラベンダーは赤いボールに閉じこめられた。

「おどろかせやがって、ヤツは死んだ! それが事実だ」それからオレのほうを見て「その汚い口は、おしおきが必要ね!」

 こっちに近づいて来る。ヤバい、逃げ場がない。
 邪悪な手が、だんだんと伸びて来る。
 目は閉じなかった。
 死ぬときも、男らしくいたい。
 そして手が――

「バジリコ、そろそろニンゲンが集まってくる時間だ」

 ――バジリコの手が止まった。話しかけたのは、いかついブタのリーダーだった。

「ん、そうね。ノージンジャー」助かったと思ったが、バジリコはべタッと、その凶悪な顔――といってもラベンダーの顔だが――をボールにくっつけてきた。「ぼうや、帰ってきたら、たっぷりかわいがってあげる。覚悟しな!」

 しわがれた声がせまいボール内で反響し、頭が割れそうだった。きびしい冬を越すために、葉という誇りを落とした樹木のような声。
 冷や汗が止まらなかった。ひとまず、命びろいした。

 バジリコは聖母マリアレリーフの前に立ち、整列したブタたちに演説を始めた。

「諸君。ニンゲンは自分勝手だと思わないか? 自分に都合の良いように森を焼き、工場から出た化学物質で川を汚染し、毒ガスをほかの生き物に吸わせている。この地球が、まるで自分たちだけのものだと思っている」

 ブタたちは、しきりにうなずいた。
 ころころ音がしたと思ったら、1匹のブタがオレのとなりに、ラベンダーの入ったボールを転がしてきた。顔中に青いアザを作っている。気絶してるかはわからない。
 バジリコは続けた。

「我々は、太古よりずっと耐えてきた。ニンゲンさえいなければ。そう思って耐えてきた。だが、それもおしまいだ。ついに我々は、ニンゲンたちを滅ぼす切り札を手に入れた。そう、スペイン風邪だ」

 ブタたちから、賞賛と歓喜の拍手がわき起こった。

「非常に高貴、王家に忠実、英雄的、敬虔なる、常に英雄的かつ永久不変。
 それが我々の魂に刻まれた文字だ。

(これは、サラゴサ市の紋章に記された言葉だ。フランス軍の包囲を耐え抜いた、サラゴサ住民に贈られた称号。
 いまから100年前のスペイン独立戦争のとき、ナポレオン軍がサラゴサを包囲した。住民たちの激しい抵抗により、サラゴサは守られたが、55000人を超えた人口は、12000人にまで減少した)

 気高き戦士たちよ、その勇姿を見せてくれ! いまこそ地球に、真の平和を取りもどす時である! まず手始めに、フランスを滅ぼす」

 どよめきが起こった。

「どういうことだ? ドイツじゃないのか?」1匹のブタが声をあげた。

「いや、まずはフランスからだ。ヨーロッパの中心であり、人間界でもかなりの影響力を持つフランスを滅ぼせば、ドイツを滅ぼすのもかんたんになる」

「待て、聞いてない。フランスはドイツと戦ってくれてる。俺はフランス人は殺したくない」

 バジリコはリーダーを見た。「ねえ」

 リーダーは躊躇することなく、ブラスターを仲間に撃った。
 ヴジュンゥンゥン。
 1匹のブタが殺された。倒れた体には大きな穴が空いていた。
 静まりかえる面々。ブラスターの音だけが、残響となって教会にこだまする。
 リーダーはいう。

「落ちつけ、同胞たちよ。アイツは考えがニンゲンに洗脳されていた。悪魔に憑依されていたんだ。できれば、殺したくはなかった。だが俺たちには、この地球を救わなきゃならない使命がある! 3次元で生きている同胞たちが、意味もなく、理不尽に処分されることのない星を創る使命が! そのためには、すべてのニンゲンを殺さないといけないし、犠牲もいたしかたない」

 反論する精霊はいなかった。
 それを見て、バジリコはリーダーにいった。

「あなたはここにいて。また反逆者があらわれたら、私たちの崇高なる大義は果たせない。帰ってきたら、あの霊たちを動物界に売りましょう」そして歩き、真ん中の通路を進む。「レオンハート、ゾフィア、いっしょに来なさい。これよりニンゲンを殲滅する! 非物質界に栄光あれ!」

 聖人たちのレリーフを背景に、会衆席のなかを堂々と歩くバジリコと側近たち。
 この瞬間をバジリコは、1万年も待っていたんだ。1歩1歩、かみしめて歩いているように見えた。
 ブタたちは仲間の出発に、遠吠えをあげた。
 祝いと期待、鼓舞、激励をこめて。

(動物界では、オオカミをまねして遠吠えするのが文化なんだ。最初はただの流行りで、馬鹿な動物が、あこがれてまねしてると思われてたんだが、時間というのはおそろしいもので、いつのまにか文化に発展したらしい。
 ほかの世界のオレからいわせれば、体の作りも、のどの作りだってちがうのに、ブタが遠吠えなんて滑稽だね。ブタにはブタの良さってもんがある。オレはもう、自分を捨てて他人になる時期はとっくに超えた)

 滑稽な鳴き声だ。どれだけがんばっても、花が龍になれないように、ブタだって、オオカミになんかなれないのに。

 両手にブタのバジリコは、きたない遠吠えをあびながら、聖母ピラール大聖堂をあとにした。