第13輪 お困りならシャーロック・ホームズ先生に

 ぼく、しってるよ
 ちちうえは、もうかえってこないんでしょ?
 おばあさまも、どうしてみんないなくなっちゃうの?
 ねえ、ははうえ

          ――ペパーミント

「何してる、グリム! どういうことだ⁉︎」

 リーダーはいった。

「ナポレオン、ぼくはもう、復讐はこりごりだ! こんなことやめて、みんなで暮らそう」

「この裏切り者がァ!」

「おい、うそだろ? おまえ、ナポレオンっていうのか⁉︎」

 オレはひさしぶりにナポレオン・ボナパルドの姿に変身した。
 完全にコピーすると気持ちわるい中年になっちまうし、本人も美化されるのが大好きだったから、あの有名な【ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルド】の姿になった。

(だれでも1度は、この絵画を目にしたことがあるだろう。だが、あれは理想化されていて実際はラバに乗ってたんだ。愛馬のマレンゴには乗っていない。マレンゴはパグのフォーチュンとちがってイイやつだった。軍隊においていかれたナポレオンは、ガイドに案内されながら、けわしい山道をトコトコ移動していた。ま、そのガイドってのはオレだが)

「ブタのクセに余《よ》の名を語るとは、無礼千万《ぶれいせんばん》! 不敬《ふけい》である。余自ら引導《いんどう》を渡してやろう!」

「オレンジ、ぼくを止めるなよ」

 ペパーミントは上着を脱ぎすて、ネクタイとワイシャツ姿になる。
 ニセモノのナポレオンは――オレもニセモノではあるが――さけんだ。

「捕まえろ、バジリコに知られたら八《や》つ裂《ざ》きにされる、最悪殺してもかまわん‼︎」

 ブラスターのビームが怒涛《どとう》の勢いで飛んできた。

 ヴジュンゥンゥン、ヴジュンゥンゥン
 チュチュン、チュンチュン
 チュチュチュチュチュチュチュチュン
 ドガシャァァァァン
 
 光の群れが突進してくる。
 本物のナポレオンは会衆席《かいしゅうせき》を駆けぬけ、巨大な柱のかげにすべりこんだ。
 ラベンダーもどこかへ消えた。
 大人に成長した2人――ペパーミントとティーツリーは、ビームのなかにいた。

「アマテラ・アラメダ 銀河の遊歩道《ゆうほどう》」低く暗い声はとなえた。

 ペパーミントが両手でヒツジの印を組むと、まっすぐ立てた左手の人差し指と中指から、青色にかがやく光の刃が出てきた。
 《天叢雲剣《あまのむらくものつるぎ》》だ。
 自業自得《じごうじとく》とはいえ、オレはブタたちに同情した。ペパーミントは本気で殺すつもりだ。光速で振動する光刃から、ヴォンヴォンと危ない音が出る。
 ペパーミントは《天叢雲剣》を華麗に振りまわし、ブラスターを打ち返した。
 ペパーミントがブタたちとの距離をつめるのに、まだ時間がかかりそうだったが、ティーツリーは、すでに相手のふところに入っていた。
 肉弾戦《にくだんせん》。鬼神《きしん》のごときその巧《たく》みな戦闘技術で、素手のみで相手を戦闘不能にしていく。

 ジャブ、ジャブ、ジャブ――ストレート。ボディブロー、ワンツーパンチ。アッパーカット、顔面パンチ。 
 鉄槌《てっつい》、鉄槌、エルボードロップ、膝蹴《ひざげ》り、ひじ打ち、貫手突《ぬきてづ》き。リバーブローガゼルパンチデンプシーロール――蓮華大脚《れんげたいきゃく》。
 気根脚《きこんきゃく》――回し蹴り。飛び膝蹴り、蹴り、乱れ突き。回転鉄槌、平手打ち。前蹴り、横蹴り――気孔突《きこうづ》き。狐拳《こけん》、掌底打《しょうていう》ち、ビンタ、ビンタ、ビンタ、ビンタ――秘孔突《ひこうづ》き、コークスクリュー・ブロー。
 蹴り上げ、上からドン。毒霧《どくきり》、魔怒女《マドンナ》、大地の極《きわ》み……

 オーストラリアが誇る戦闘部族は、つぎつぎに敵をダウンさせていった。なさけ容赦《ようしゃ》はみじんもない。
 オレは思った。
 掃除がうまいってのは、ホントらしい。
 今後、ティーツリーをからかうのはやめよう。
 ティーツリーはあぶなくなると、敵の腕を利用してブラスターを背後の敵に当てたり、たまにペパーミントに向けて撃ち、それを打ち返したペパーミントが、どんどんブタを倒していった。

「チッ、そのまま死ねばよかったのに」

「きみと仲なおりするまで、ぼくは死ねない」

「気持ちわるい‼︎‼︎」

 ティーツリーは敵からブラスターをもぎ取ると、ペパーミントに連射した。「シネェェェェライミィィィィ‼︎」「ライムじゃなくて、ペパーミントですが」「やめよ! いまは仲間同士で争っている場合ではない!」ナポレオンの忠告も聞かず、部下たちは派閥《はばつ》争いを起こした。

 この戦いが終わったら、キツくお説教しなければならない。
 ペパーミントとティーツリーにかなわないと思ったブタたちは、こっちにやってきた。
 ナポレオンはあせった。
 魔法を使うエネルギーも、念力を使う体力もない。絶体絶命のピンチ。
 そのとき、運よく落ちてる爆弾を発見した。こりゃツイてる! 不発弾《ふはつだん》だったみたいなので、エネルギーを流しこみ活性化させる。投げて耳をふさいだ。
 ドバァァァン! 
 教会の柱が1つくずれ、ブタたちを巻きこんだ。手向《たむ》けの花として、2輪も巻きこまれる。だがこれで、20人近くいたブタたちも、残りわずかとなった。
 そういえば、余《よ》のニセモノはどこへ行ったのだろうか?
 チャキ。背後から音が聞こえた。
 居場所はわかった。どうやら、最悪な場所にいるらしい。
 ナポレオンは瞬時に角を曲がり柱の反対側にまわったが、ゴブリンみたいな顔面も偶然そこに来ていた。

「ボ、ボンジュームッシュー(やあ、紳士)」

「死ね!」ヴジュンゥンゥン。

 ナポレオンは、バラのように赤いマントをひるがえし逃げた。

「紳士らしくない言葉だ。ここは上品に、枯れろというべきではないか?」

 柱の角に立ち、両側の角から不敬者が出てこないか見張る。これこそ最強の陣形。
 さあ、どっちから来る?
 しばらく間があった。このまま時間が止まればいいのに。柱で見えないが、向こうからブタたちの悲鳴と、光速で振動する光刃の音が聞こえた。見ないほうがよさそうだ。わるいときほど時間は止まらない。
 右の角からブラスターがあらわれたら左へ、左から来れば右へ、ナポレオンは走った。

「ひきょうものめ! こそこそしないで出てこい。おまえはいつも、ひきょうな戦い方をする」

「こういうのは、頭がいいというのだ。戦術を知らぬわかぞうよ」

「ハハァ! いつまでそうしていられるかな? こうしてる間にも、フランス全土をスペイン風邪がおそっている。急がなくていいのか? フランス人は全滅だ」

 天才ナポレオンは、ただ待っていた。遠くに過ぎ去《さ》りし日々を見つめながら。
 生まれ故郷《こきょう》のコルシカ島のこと。皇帝から失脚《しっきゃく》したあと、島流しにされたセントヘレナ島でのこと。

「人生はいろいろある。余はおおいにおどろいている。人が空を飛び、よもや爆弾を落とせる時代が来ようとは思わなかった。あと百年早く電報《でんぽう》や電話が生まれていたら、どれほどのことができたであろうか。世界中に友を作ることだってできただろう。もちろん、世界共通語をフランス語にしたあとで。だが1番のおどろきは、ソーセージが言葉を話す時代が来たことだ」

「だまれ! この手でマーマレードにしてやる――グァ⁉︎」骨が折れる音と、床にブラスターが落ちる固い音が響いた。

 ナポレオンは少しだけ迷ってから、おそるおそる顔を出した。すると、ブタのナポレオンがひざをついていた。
 前には金色の髪の天使が立っていたが、ブタのナポレオンの顔は、お祈りって顔でも懺悔《ざんげ》って顔でもなかった。どっちかっていうと、異教徒に改宗《かいしゅう》をせまるキリスト教徒みたいな顔だ。
「グァア、おまえ、よくも――カハッ、もうフランスはおしまいだ、いまごろバジリコたちが、うまくやってるだろう。おまえたちが大好きなフランスも――ヴフッ……」

「うるせェんだよグチグチよォ」天使は凶暴なパンチを腹にねじりこんだあと、腕をかつぐと「フランスじゃなくてよう――エグザゴンヌ(六角形)だろうがァ!」会衆席めがけて背負い投げた。盛大な音をたてて横長のイスがちらばる。ボウリングならストライクだ。

 こっちはかたづいた。
 視線を向けると、ペパーミントが最後の1匹にとどめを刺そうとしていた。腰を抜かしたブタは、必死に命ごいしている。

「し、おれは、しょ、植物の精霊に恨みはない。ナポレオンに命令されただけだ」
「植物じゃなくて、花の精霊だろ? おまえたちのせいで、また地球の発展がおくれた」

(花の精霊。植物の精霊を敬《うやま》ったていねいな言葉)

「ああいつには、逆らえない、し、しょうがなかったんだ」

「香らざる者め。死をもってつぐなえ」

(香らざる者。植物以外の精霊に対する、どぎつい差別用語

 ティーツリーはなぜ止めない?
 どこかと思えば、柱のがれきに埋もれていた。あ。

「ゆ、ゆるしてくれ、たのむ」

「おじいさまによろしくな」

 えげつない冗談をいうと、ペパーミントは《天叢雲剣《あまのむらくものつるぎ》》を大きく振り下げ――

「オラ・グラシアス 燃えよ」

 ――ブタは丸焼きになり、倒れた。
 ペパーミントが、こっちを見る。

「ぼくがやろうとしてたのに」

「もう十分やったろ、オレにもやらせろ。やつらにはむかつくぜ」

 これで殺さずにすんだ。一生障害を持ったり、あるいは体は不自由になるだろうが、生きていくことはできるはずだ。その他のブタに関してはノージンジャー。
 やっとかたづいたな。
 ラベンダーは火だるまになったブタをしばらく見たあと、念力でがれきをどかし、ティーツリーを助けていた。いまちょうど顔が見えてきたところだ。
 ペパーミントも戦闘態勢を解き、《天叢雲剣》を消した。こっちへ来る。

「陛下、バジリコたちを追いましょう」

「だが、どこに行ったかわからん」

「何か思い当たる場所は?」

「うむ、ないな」

「役に立たないナポレオンだな」

「余は皇帝だ。そういうのは探偵《たんてい》にまかせるべきであろう? ――あ。そうだ、あのお方なら!」

 オレは大英帝国が誇るカリスマ探偵、シャーロック・ホームズ先生に変身しようとした。

「ブォオォォォォオ‼︎」

 チュチュチュチュチュヂュン。
 
 一同《いちどう》は完全に油断《ゆだん》していた。
 
 変身中は、ほかのことができない。オレの目の前にはもう残酷な光がせまっていたし、ペパーミントも背中を向けていた。
 ラベンダーは、がれきをどかすことに集中していたので、とつぜん撃たれたビームに対応できなかった。
 オレは人生の最後に、選択をあやまった。
 その行動は、自分でも意外だった。
 力まかせに変身をやめると、念力でラベンダーに当たろうとしていたビームの軌道《きどう》をそらした。自分にもビームがせまっているというのに。
 だから、その、なんというか、オレンジ伝説はここで幕《まく》をとじることになった。

「ガァ! ア! ァッ」

 そのとき――いきなり反対側の会衆席《かいしゅうせき》のほうから、大きなかたまりが飛び出してきたかと思うと、みじかい悲鳴が聞こえた。見えたのは大きな背中だった。ビームの集中砲火をくらったグリムは、倒れた。

「キャァァァァァァ⁉︎」

 かなきり声のほうを見ると、人間の形をした泥が列柱廊《れっちゅうろう》に立っていた。力なくたれた手には、ブラスターを持ってる。
 異形のモンスターの正体に気づいたオレは、そいつがペパーミントに殺される前に――なかなかの距離を疾走《しっそう》して――一瞬で背後にまわった。首に会心《かいしん》の一撃をあたえる。

「ウッ――」

 泥人間は気絶した。倒れた衝撃で顔の泥パックが落ちる。
 正体はやはり、クララだった。
 オレのすぐとなりに来ていたペパーミントは、笑っていた。大人の足の速さには、イヤになるね。

「やさしいんだな」

「おまえほどじゃないさ」オレはイヤミをいった。

「ノージンジャー」

「ノージンジャー」

 グリムに近づき、霊視してみる。
 体には小さな穴がいくつもあいてるし、全身血まみれの大やけどだ。
 かすれ声が聞こえる。

「……オレンジ、きみの、授業は、おもしろかった……」

「しゃべるな、助からなくなるぞ!」

「もう、死ぬんだ……またぼくに、授業してくれ……」

 正直いって、助かる見こみはなかったが、考えてるヒマはない。事態は1分1秒をあらそう。

「だれか、ヒーリングを手伝ってくれ!」

 ラベンダーもペパーミントも、そっぽを向いた。

「グリムがいなかったら、オレたちはあのボールから出られなかったんだぞ! 保護するって約束したんだ」

 反応はなし。こっちを見もしない。

「ラベンダー」

「……」

「ラベンダー!」

「絶対イヤ‼︎」

「こっちを見ろ、ラベンダー‼︎」

「オレンジ、私が手伝う。ラベンダーは、いえばいうほどガンコになる」

 がれきから脱出したティーツリーが、手を貸してくれた。
 ティーツリーの的確な指示のおかげで、オレは大手術を成しとげることができた。ティーツリーはどうも、この手のことに慣れてるらしい。
 オレがまちがったことをしようとすると、そうじゃないと、ていねいに教えてくれた。流すエネルギーの量とか、こまかい位置、かがせる香りの種類とか。オレの香りの特性を考え、瞬時にアドバイスしてくれた。
 おかげでグリムは、なんとか一命を取りとめた。永眠《えいみん》している仲間たちの横で、おだやかに寝息をたてている。
 せっかくエネルギーがたまってきていたのに、まったく、とんだむだづかいだ。また、すっからかん。

「ごめんな、ティーツリー」

「そこはおまえ、ありがとうだろ。それより早く、バジリコを追わないと」

 オレは今度こそ、シャーロック・ホームズ先生に変身した。

シャーロック・ホームズというのは、アーサー・コナン・ドイルが書いた小説に登場する名探偵で、このシリーズは第七文明史上初のラノベ小説といわれてる。あともう少しだけ世に出るのがおそかったら、もっとハチャメチャな設定になっていたことは、よういに想像できる。
 たとえば、ホームズに恨みを持つ者に異世界転生させられたが、そこで事件を解決し、転生して人間界にもどってくるとか。ジャパンの格闘技バリツを使い、ドラゴンと素手で戦い生きのびるとか。犯人をさがしていたら、たどり着いたのが宇宙で、じまんの推理と武術で地球侵略を止めるとか。アベンジャーズの一員とか。最終話で、じつは人間じゃなかったことが明かされるとか。もう推理《すいり》しなくても、犯人がわかっちゃう能力があるとか。
 ホームズはやっぱり、この時代に生まれてよかったな)

 頭には鹿撃《しかう》ち帽《ぼう》。ヤニのしみた古いクレイパイプをくゆらせながら、ホームズ先生は敬虔《けいけん》なクリスチャンのように、会衆席に深く腰かけた。

「バジリコとスペイン風邪。この件《けん》は迅速《じんそく》に動かねばなるまい」

 ティーツリーは、けげんな顔をした。

「その格好《かっこう》は? シカでも狩るのか? 何をするつもりなんだ?」

 子供の文化を保護者は理解できないのだ。これがだれだか、わからないなんて。ティーツリーには、ほんとにこれがハンターに見えるのか?

「煙草《タバコ》を吸《す》うんだ」ホームズ先生はいった。「パイプでたっぷり三服《さんぷく》ほどの問題だな。悪いが五十分ほど話しかけないでくれたまえ」ホームズは椅子《いす》のなかで身体を丸め、鷹《たか》を思わせるとがった鼻の先へやせた膝《ひざ》を持ち上げて、黒いクレイパイプを怪鳥のくちばしのように口から突き出して目を閉じた。彼はねむった。人間の姿というものは、前世のヒツジより寝心地がいい。

「オレンジ」

「……」

「オレンジ!」

「……――ふぐっ⁉︎」

 とつじょとして頭にゲンコツが落とされた。

「起きろ、ふざけてる時間はないぞ! あと、ここは禁煙だ、人間界の教会ではよくても、精霊界ではダメだからな!」

 痛《いた》ッ、ティーツリーの馬鹿力め!

「信ずべからざる低脳《ていのう》さだ。ちょうどゼンマイ仕掛けの騎士団ぐらいにな」

「何かいったか?」こぶしを振りあげるティーツリー。

 頭をおさえながら、ホームズ先生はいった。

「バジリコのゆくえを知るためにも、まずは諸君の話を聞こう。何か手がかりはあるか? 気がついたことでもいい」

 1人の精霊が手をあげる。

「答えたまえ、ワトスン君《くん》」

「ワトスンじゃなくて、ペパーミントです。先生」

「そうだったのか。僕《ぼく》はワトスンだと思うがね」

「バジリコは、フランスを滅ぼすといってました。だからきっと、フランスにいるはずです」

「それはもっともらしい考えだが、フランスのどこにいるかが問題だ」

「フッフッフ。そんなこともわからぬとは、ちょっと見ない間に耄碌《もうろく》したな。ホームズ君」

 しわがれた低い声。キツネを思わせる老獪《ろうかい》さ。ワトスンの様子がおかしい。

「君はワトスンじゃないな? 何者だ」

 ワトスンは変身を解き、正体をあらわした。

「私だよハニー」

 すこぶる高い長身。長年の研究で曲がった背。
 あらわれた老人は、宿敵ジェームズ・モリアーティ教授だった。

「お前《まえ》……な、なんだって――生きていたのか⁉︎」ホームズ先生は歓喜した――いや、興奮をかくしきれなかった。これで事件が起こるぜ!「スイスにあるライヘンバッハの滝《たき》で、死んだはずだ」

「格式《かくしき》あるバリツを扱えるのが、君だけかと思ったかね?」

「なんだって⁉︎」

 モリアーティ教授は爬虫類《はちゅうるい》のように奇妙《きみょう》に、ゆらゆらと左右《さゆう》に動いていた。

「言《い》ったはずだ。私は決して君に打ちのめされない。君にもし私を破滅させるだけの知力があるならば、私にもまた君を破滅させるだけの知力があるのだ」

 オレはこの展開に、非常にわくわくした。
 だけど、女たちは腕を組んでつまらなそうな顔をしていた。ラベンダーなんか貧乏《びんぼう》ゆすりしてる。「なんかドラマ始まった。ティー、ここ」2人はイスにすわった。

「ペパ――ワトスンはどうした?」

「彼には死んでもらったよ」

「僕《ぼく》の友達《ともだち》といえば彼しかいないのに」

「どうやらお困りのようだね。犯罪界のナポレオンとまで言われたこの私が手を貸してあげよう」

「どこだよ犯罪界って」

「人間界の別名だ。どうかね。私の知恵《ちえ》が必要だろう?」

「何を企《たくら》んでいる?」

「今後《こんご》私がおこなう全ての犯罪に関わらないこと。それを保証してくれたら、バジリコの居場所《いばしょ》を教えてしんぜよう」

「できるわけないだろう、そんなこと!」

 ホームズ先生は立ち上がり、こぶしをにぎりしめた。

「では、1人で頑張《がんば》りたまえ」

 バジリコはフランスのどこへ行ったんだ? フランスを滅ぼすには、どこへ行けばいいんだ? ドイツ軍にスペイン風邪を流行《はや》らせるのか?

「……」

「手を借りたくなったらいつでも言ってくれ」

「窮地《きゅうち》を脱《だっ》するには、気力あるのみだ」

「そうかね」

「……………………」

「バジリコを捕まえなければ世界は滅ぶ。しかし私を捕まえなくても世界は滅ばない」

「……ぐっ、いいだろう。話してみろ」

 モリアーティは狡猾《こうかつ》に微笑《ほほえ》んだ。

「君ならそう言うと思っていた」

「どこにいるんだ?」

「そもそも彼女は何故《なぜ》ラベンダーに変身したかわかるかね?」

「いや、わからん」

「ホームズ君。君は今ホームズなのだから、もっと頭を働かせたまえ。君がいつも変装する時はどういう時だ?」

「……あ、潜入《せんにゅう》したい時。だから、アロマ連合か? フランスを滅ぼすって言ったのは嘘《うそ》だったのか! 連合に潜入したのか」

「それは良い推理《すいり》とは言えない。彼女が言ったことは恐《おそ》らく本当だ。今フランスにはAU(Aroma Union アロマ連合)が来ているだろう? 君を逮捕するために。だから彼女も身を隠《かく》す必要があった」

「……そうか。なるほど。じゃあ、オレの生活拠点《せいかつきょてん》のリヨンにいるのか」

「それもちがう。残念だよ。私の知る稀代《きたい》の名探偵はもうどこにもいないようだ」教授はため息をついた。「君はどうやら隠居《いんきょ》生活が長かったせいで勘《かん》を失っているらしい。田舎《いなか》でミツバチと暮らしているのがお似合《にあ》いだ」

「なんだって⁉︎」

「彼女は今、スペイン風邪を持っているのだぞ。もし私がスペイン風邪をばらまくとしたら、フランス全土《ぜんど》に影響《えいきょう》を及《およ》ぼせる場所を選ぶね。同時に政府も陥落《かんらく》できて、レピュブリク・フランセーズ(フランス共和国)の機能の全てを破壊できる場所」

「あ」わかった。

 シャーロック・ホームズは、この快感が忘れられなくてきっと、探偵になったのだろう。

「どこかね?」

「パリだ」

「何故そうだと考える?」

「あそこには、エッフェル塔がある。いま、世界でもっとも高い塔が。あそこからばらまけば政府をつぶせるし、フランス全土にだってスペイン風邪を感染《かんせん》させられる」

「Mint, Brilliant(いいね、優秀だ)」

 変身を解いたオレとペパーは、抱きあった。ペパーは子ども姿になってくれた。

「もう時間がない、急ごう!」オレはいった。

「待て。ラベンダーはおいていくべきだ」ティーツリーはいった。「ラベンダーは人間への恨みが強すぎる。また裏切るぞ」

 天使は自分のことをいわれてるのに、他人事のように柱やレリーフ、天井をながめていた。

「ニンゲンはきらいだけど、ねらわれてるのがエグザゴンヌだもん。協力するよ」

 なぜかこいつは、フランスに強いこだわりを持ってる。故郷のエジプトではなく、フランスに。
 いろんな言語を使えるのに、ぜったいフランス語でしか話さないし、価値観もまるっきりフランス人。
 人間をきらっていて、あわよくば復讐さえしようとしているのに、どうしてフランスについてしゃべるときは、いつもきげんがいいのだろうか? 
 フランス人が戦争に勝ったら、まるで自分の応援しているフットボールチームが勝ったみたいに、よろこぶんだ。
 不思議《ふしぎ》な女だ。
 ラベンダーという女について、考えれば考えるほど、わからないことが増えてくる。

「いや、バジリコはアトランティス経験者だ。ラベンダーが欠《か》けたら、ぜったいに倒せない」

「だが――」ティーツリーは、しぶい顔をする。

「それに、パリではAUの追っ手がオレをさがしてるはずだ。いい考えがある」

ティーツリー、彼はミント(すばらしい)だから心配いらない」ペパーミントはいう。

「何いってる? オレンジはミントじゃないだろ」

「そういう意味じゃないんだけど」

 まじめなティーツリーはオレを見た。

「アタシは、おまえがいいのならそれでいい。さあ急ごう! 近くにブタたちのUFOの気配を感じる」

「あ、ちょっと待ってくれ」

 オレは寝ているグリムのそばへ行き、名刺《めいし》を胸《むね》においた。これでよし。
 オレたちは出口をめざした。ドームとアーチ状《じょう》の天井《てんじょう》が交互《こうご》に続く、長い列柱廊《れっちゅうろう》を走った。

「これでパリにいなかったら、おもしろいよね」

 ラベンダーが、よけいなことをいってくる。

「いまは聞きたくない」

「そういえば、ここってどこの教会なんだろ?」

「ここは、カテドラル―バシリカ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール・デ・サラゴサ――聖母《せいぼ》ピラール大聖堂《だいせいどう》だ」

「え⁉︎」

 ラベンダーは、急に来た通路を引き返していった。

「お、おい⁉︎ 何やってんだ、時間がないっていってんだろ! 2人とも、先に行っててくれ!」

 聡明《そうめい》なペパーは危険を察知《さっち》した。

「ぼくがラヴァーを連れもどす!」

 引き返そうとした子ども姿のペパーは、背中をティーツリーにつかまれ宙《ちゅう》に浮いた。

「待て。おまえがいないとUFOの離陸準備《りりくじゅんび》ができない」

 ペパーミントは、おそろしい部族に誘拐《ゆうかい》された。

「た、たすけて」

 オレはペパーに同情しながら、ラベンダーを追いかけた。
 自分勝手にもほどがある! 団体行動って言葉を知らないのか?
 やっと列柱廊を抜けて、さっきの礼拝堂《れいはいどう》までもどると、ラベンダーは天井をながめていた。

「おい、何やってるんだ!」

 肩をつかむと――

「ジャマしないで‼︎」

 ――怒られた。

「一刻《いっこく》をあらそうんだぞ!」

「……美しい」

「は?」

「あれは、ゴヤの描いたフレスコ画《が》よ。ゴヤはああいうふうに描いてたんだ」

 イカれてる。空気が読めないとか、そういうレベルじゃない。頭がおかしい。

「いいかげんにしろ! そんなのいつだって見れるだろ!」

「うるさい! アンタには、あの価値がわかんないの⁉︎ いまは世界大戦中なのよ! もし爆弾が空から降ってきたら、もう2度と見れないかもしれない! スペインは中立国だけど、何があるかわかんないでしょ!」

「人の命がかかってるんだぞ!」

「柑橘《かんきつ》、アンタがさっき投げた爆弾のこと、ティーにいうわよ。ちょっとだけだから」

 これにはだまるしかなかった。
 ティーツリーはこわい。
 天使は羽ばたくと、ドーム型の天井に近づき、じっくり絵画を観察し始めた。
 信じられない。
 せっかくバジリコの居場所がわかったっていうのに、こんなことで時間をロスするハメになるとは。
 オレは、戦闘で破壊された礼拝堂を見わたした。文化的に見ても価値が高いのに、ひどいありさまだ。早く修復しないと、3次元にも影響が出るな。
 バサッと、ラベンダーが降りてきた。

「もういいのか?」

 1分もたってないぞ。

「見る部分は決まってたし、記憶したから」

「じゃあ、早く行くぞ」

 列柱廊を走りながら、ラベンダーはイヤなことをいってきた。

「アンタが爆弾投げたこと、ティーにいっちゃおっかな~」

「ふざけんな、ぶっとばすぞ!」

「アンタしだいね」

「そもそも、なんで爆弾が落ちてたんだ? 不思議だ」

「わたしの記憶が正しければ、あれはエグザゴンヌ製の爆弾ね。【サラゴサ包囲】のときのじゃない? スペイン人が不発弾を記念に飾りたがる習性《しゅうせい》で、よかったね」

「そんな習性はじめて聞いた」

 ティーツリーの香りを追いかけて、オレたちは動物界製のUFOに乗りこんだ。
 腕時計も携帯空間もケータイもエアリスも、ぜんぶそこにあった。
 ガトフォセ死亡ルート確定への午後2時まで、もう30分をきってる。

「動物界のUFOは、操作がむずかしいな。勝手がわからない」

 操縦席にすわるペパーミントが、文句をいった。

 上昇するUFOのなかから、オレはあの、ピラール広場にあった地球のモニュメントが目に入った。 
 かくれるのに、役に立たない物体。
 オレの心を読んだラベンダーが、教えてくれた。

「あのオブジェ? あれはたしか、クリストファー・コロンブスが、地球を丸いと信じて航海したのを記念して、造られたんだよ」

「地球が丸いなんて、あたりまえなのにな」

 なるほど。そいつはいいアイディアだ。
 この戦いが終わったら、オレさまも記念にパリの大通りに【栄光をつかみとるオレンジ像】を建てよう。
 ちょうどピラール広場には、ゼンマイ仕掛けの騎士団員たちが到着した。
 オレはUFOのなかから、こっちを見るソルト少将に、いやらしく満面の笑みを浮かべた。おまけに手だって振ってやった。やつの霊視なら、こっちの様子が見えてるかもしれない。

「やつらときたら、信ずべからざる低脳さだ」

 パリにはすぐ到着するだろう。
 バジリコと戦うのを想像すると、恐怖で心がくじけそうになる。
 オレは、バジリコの言葉を思い出していた。

 非常に高貴、王家に忠実、英雄的、敬虔《けいけん》なる、常に英雄的かつ永久不変《えいきゅうふへん》

 サラゴサ市の紋章《もんしょう》に記《しる》された言葉。
 フランス軍の包囲《ほうい》を耐《た》え抜いた、サラゴサ住民に贈《おく》られた称号《しょうごう》。
 どういうつもりでその言葉をいったか知らないが、そっちがその気なら、こっちはフランス代表として戦ってやる。
 オレは自分を奮《ふる》い立たせるため、ナポレオンに変身した――無敵のナポレオンよ、力を貸してくれ――心と体に、たちまち勇気と自信がみなぎった。

(わるいな、スペインのみんな!
 それにドイツのみんなも!
 気分がわるくなっちまったら、あやまるが、ナポレオンは古い友だちなんだ。ゆるしてくれ。
 いつかは、きみたちの国の精霊チームの一員として、活躍してみたいと思ってる。そのときは、よろしくな)

 フランスを守るため復活をとげた悪友ナポレオンは、勝利を祈った。

 どうか、落とし穴だけはありませんように。