第14輪 エッフェル塔の嫌いな奴はエッフェル塔に行け

 よくも、よくもやったな!
 自然を愛する、良い人間たちだったのに!

          ――ティーツリー

 間に合ってくれ。
 まだ間に合うはず。
 命がけの戦いになるだろう。
 不安でいっぱいだ。
 なにもバジリコを倒す必要はない。
 そんなことできっこないんだから。
 ヤツからスパフを取りもどし、処分すればミッション完了だ。
 花を咲かせるより楽勝。
 Bob's your uncle.

(きみのおじさんはボブ。イングランド英語のスラング。かんたん、問題ない、大丈夫といった意味)

 それで世界もガトフォセも救われる。
 すべてハッピーエンドになる。
 どんよりくもったフランスの空。まだ9月だというのに――きっと日付をかんちがいしたんだろう――今日は11月の寒さが訪れていた。
 これからバジリコと対決する。
 そうなったらもう、あともどりできない。
 聖母ピラール大聖堂で感じたバジリコの怖さを思い出し、不安で押しつぶされそうになる。緊張と恐怖で内臓をギュッとつかまれた気がした。
 いまならガトフォセの命をあきらめれば、自分はぜったい助かる。
 ああもう、気をまぎらわせたい!
 オレとペパーはUFOのなかで肩を組んで、ちょっと気のはやいエピニーキアを歌った。エピニーキアとは祝勝歌――つまり、勝利を祝って歌う歌だ。

 Oh, Oh, オレたちはチリチリバンバン大好き
 Ah, Ah, きれいなバンバンチリチリ大好きよ
 Hi, Hi, どこへ行こうと おまえがたより
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく

 夢おいかけて空へはばたく 世界一の車
 魔法使いのおまえはいつも ステキ おりこう 強い

 オレたちはきれいなバンバンチリチリバンバン大好き
 あっちもこっちが大好きだってチリチリ愛してる
 のぼれおりろどこへ行こうと おまえがたより
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく
 バンバンチリチリバンバン 走れはやく

 歌を歌ってるからって、よゆうそうだと思わないでくれ。せっぱつまってるから、いまのうちに少しでも緊張と不安を解きほぐさないと、いざというとき致命的なミスをする。
 時間は有効に使わなきゃいけない。
 だけどなぜか、ラベンダーとティーツリーは、戦争で負けた国みたいに顔をゆがめて不機嫌だった。かえって不安をあおったようだ。
 パリの上空には、アロマ連合の船が飛んでいた。いまのところ6隻は確認できた。見えないだけでもっといるかもしれない。
 いまだに真犯人がバジリコだとわからず、オレをさがしているようだ。

「ペパー元帥、あの包囲をかいくぐれるか?」

「おまかせを陛下」

 UFOはAUのセンサーに見つからないように、しかしヘビのようにうねり、すばやい動きでエッフェル塔のあるシャン・ド・マルス公園に着陸した。

「作戦実行だ」ナポレオンはいう。

「名前はどうする?」

 ティーツリーの言葉に、しばしなやんだあと、ナポレオンは顔を上げた。

「フランスの悪臭を浄化せよ」

「ハハ、よくわからんが、カッコイイなそれ。気にいった」

「無事を祈る」

「おまえらもな、死ぬんじゃねえぞ!」

 ラベンダーはオルレアン流のビズを4回かわしたあと、ティーツリーとハグをした。
ティー、気をつけて」

「行ってバジリコのやろうをぶちのめしてこい」

「わたしの女神は微笑んでる」

 オレとペパーとラベンダーは、エッフェル塔へ向かった。軍人の姿で。なぜかラベンダーは変身せず、通りを歩く軍人から服をうばって変装した。
 エッフェル塔は軍事拠点の1つとして使われているから、この姿のほうが自然だ。公園内でもフランス軍の兵士がちらほら歩いていた。
 鳥に変身して一気に塔の頂上まで行ければラクだが、鳥は霊視のターゲットになりやすい。どこにAUのナイトやマスターがひそんでいるかわからない上に、逃げ場のない空でねらい撃ちされたら一巻の終わりだ。
 オレたちを人間とかんちがいした悪霊が、憑依しようと近づいてきた。黒い人影をオレはなぐった。

「調子にのるなよ。皿も割れねえ悪霊が」

 シャン・ド・マルス公園の並木道を走りながら、ラベンダーはいう。

「おぇっ、サイアク。わたしいま、エッフェル塔見ながら走ってる」

「おまえ、エッフェル塔アレルギーだっけ?」

「あの鉄骨の野蛮なカタマリのせいで、パリの景観はぶちこわし!」

「あの塔の独自の美しさがわからないなんて。建築学的に見て、すごい建物なんだぞ。風圧への抵抗とか、頂上へ続く4つの曲線美なんて、力強さすら感じる」

「アンタは若いから、流行りに流されてるだけでしょ! なにあの高さ? ニンゲン風情が、神にでもなろうとしてるのかしら? 悪魔の建物め」

「おまえの故郷のエジプトでは、絶賛されてる」

「あそこのニンゲンには、美的センスってもんがないから」

「口じゃなく足を動かせ!」ペパーはどなった。

 空ではティーツリーの操縦するUFOが、AUのUFOから逃げていくのが見えた。

「はやくも作戦失敗ね」ラベンダーはいった。

 いまのは見なかったことにしよう。
 それにしても、木々の多い公園のなかでさえひどい匂いだ。フランス人はその国民性ゆえ霊を信じないやつが多いけど、それはしょうがないかもしれない。
 これだけクサかったら、精霊だって近づくわけないんだから。
 その点、ジャパンはなんであんな霊が多いんだろうな? 人間の霊だけじゃなく宇宙人とか、異世界とか異次元とか、そういうたぐいのやつらが多い。不思議だ。あの島国は、上の次元では非常にグローバル化が進んでいる。

(ああ、そうそう。上から――というか作者からお達しがあって、どうしても伝えなきゃいけないことがあったんだった。21世紀初頭のジャパンでは〝異世界転生モノ〟というファンタジーのジャンルが確立してるが、おまえたち、地球の問題を解決せずに、そうかんたんにラクなほうに転生できると思うなよ? 宿題をやってこなかった生徒には、あたりまえだが重い罰が待ってる。
 それに異世界人もいってるぞ。
「ありがとう、ぼくたちの世界を救ってくれて。でも、どうしてきみたちは自分の星を救わないの? 何か理由があるんでしょ?」ってな。
 地球をなんとかするために転生してきたのに、なにやってんだ? え? 不倫すんな! 2次元ばっか見てないで、地球を見やがれ‼︎)

 エッフェル塔の入り口にはアロマ連合のナイトが2人いたので、ひと芝居打つことにした。

「よォ! ちょっとそこをどいてもらおうか」

「――おまえ、オレンジだな⁉︎」すらっとした女が答える。

「おっと、手を出すなよ? 少しでもおかしなことをしてみろ、こいつの頭がふっとぶぞ! こいつがだれだかわかるよな?」

 子ども姿のペパーミントを見せ、鉄砲の形を作った指を頭に押し当てる。

「た、助けてくれ」

「ペパー皇子⁉︎ きさま、植物のくせに恥ずかしくないのか!」

「さあ、はやくエレベーターを使わせろ。さもないと――」

「わかった、はやまるな、いうとおりにするから。ただ、あー、ちょっといまメンテナンス中で、稼働させるから待っててくれ」

「ねえアイリス、エレベーターっていまぜんぶ壊れてるから、階段しか使えないって話でしょ?」

 チビの女がいった。

「ユリのパセリ!」

 アイリスは怒った。

「ほう、なるほどな。そいつはありがとう。おかげでだまされるとこだった。いいか、もし追いかけてきてみろ! ペパーミント皇子の命はねえからな!」

 階段をのぼりやつらから見えなくなったところで、オレたちはハイファイブ(ハイタッチ)した。

「持つべきは親友だな」

「ぼくたちはツイてた。もしエレベーターが使えてたら、とっくにスペイン風邪をばらまかれてた」

 急いで階段を駆け上がる。

 

 アイリスはあわてた。

「大変だ、パリ班に伝えないと」

 エアリスをひらいたところで、両手でパンッと、とじられた。

「安心して。わたしがヤツらを捕まえる」

「『洗い草』さま! え、さっき上に――」

 ラベンダーは考えるヒマをあたえず、まくしたてた。

「いい作戦があるの、わたしがヤツらを捕まえる。集中したいしジャマされたくないから、報告は待って。あの柑橘やろうはスペイン風邪を持ってる、だから慎重にならないといけない。もしジャマが入ってスペイン風邪をばらまかれでもしたら……わかるでしょ? あなたはここでだれも入らないよう、見張ってて。30分待ってわたしが出てこなければ、応援を呼んで。わかった?」

「い、イエス

 駆け上がっていくラベンダーを見て、アイリスは思った。カッコイイ。

「持つべきは権力ね」

 ラベンダーは先を急いだ。

 

 時計を見る。あと18分しか時間がない。
 いつ戦闘になってもいいよう変身を解いたオレとペパーは、息をつまらせながら全速力で階段をのぼった。猛ダッシュだ。
 せまい階段だ。オレとペパーがならんで走ったらもう、ぶつかりそうになる。
 鉄製の階段がけたたましく鳴り響き、階段をのぼっていた軍人が振り返る――あまりに力を入れて走ってたからか、音が次元を超えて3次元近くまでとどいたようだ――霊感があるらしい。だれもいないのに、どんどん音だけが近づいてくるから恐怖で顔が青ざめている。かわいそうに。かまえられた腕と体をすり抜けて上をめざす。一般公開されていたときには、あんなに観光客でにぎわっていたのに、いまじゃ不気味なくらい物静かだ。

 ――間に合ってくれ!

 ラベンダーに変身したということは、バジリコも鳥に変身する危険性をわかってるはずだ。アロマ連合に怪しまれないように、ラベンダーの姿で階段をのぼってるはず。頂上までは300メートルもあるんだ、間に合うはずだ。

(いま人間界は、国家の威信をかけた高層建築ブームの真っ盛りで、どの国が1番高い建物を建てられるか競い合っていた。
 1位はフランスのエッフェル塔――300メートル。2位はアメリカのワシントン記念塔――169メートル。そして3位がドイツのケルン大聖堂――157メートル。
 精霊界からみたら、うーん、おおげさにいって、よくがんばってるほうかな。次元がちがうから精霊界の建物とは比較できないな。
 あといまさらだが、オレたちの次元は霊界とかあの世とか、天界、神界、人間からいろんな呼びかたをされてる。でもだいたいの霊は精霊界とカジュアルに呼んでる。非物質界はフォーマルないいかた。演説とか会議では、こっちの言葉がよく使われる)

 ベージュがかった茶色の鉄骨の間から、シャン・ド・マルス公園全体と陸軍士官学校――当時ナポレオンが通っていた――が反対側に見えた。なつかしい日々を思い出す。あいつが応援してくれてるようだ。
 いまは高層ビルで、10階ほどの高さだろうか?
 どこを見ても鉄骨しかないが、その計算されて組み立てられた鉄骨の織りなすカッコよさ。
 男心をくすぐられる。
 幾何学的に組み立てられたほそい鉄骨は、まるでレース細工だ。刺繍を想像させる。少女のようなやわらかさがあるのに、華奢な感じはなく、むしろ鉄骨と曲線美の女性的な魅力のおかげで、こざっぱりとシャレた力強さがある。
 パリジェンヌとは何かと訊かれたら、オレはエッフェル塔だと答えるね。
 この細部の美しさが、外からエッフェル塔全体を見たときの優美さを演出してるんだろう。
 ラベンダーみたいにケチつける連中もかなり多いが、それでもエッフェル塔は1889年の一般公開第1週目だけで、すでに2万8922人が階段で塔にのぼったんだ。
 その役割はたんなる観光名所だけにとどまらず、塔の頂上には気象観測所が設置されたり、空気力学、電信、物理実験など、さまざまな科学分野で研究や実験に使われていた。
 エッフェル塔は軍事においても活躍した。頂上に軍事用無線アンテナを設置することで、この世界大戦ではドイツ帝国の無線を傍受して侵攻を阻止したり、ジャミングして通信を妨害したり、ドイツの悩みの種となっていた。
 自由の女神――アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスが贈った――とエッフェル塔は、いってみれば姉妹だ。どちらもパリで完成してるし、ギュスターヴ・エッフェル始め、多くのフランス人が設計、建設に関わってる。
 エッフェル塔は、フランスにとっての自由の女神。どうか、ドイツのブタどもからフランスを守ってくれ。
 精霊のオレが、人間の造ったものに祈るなんて不思議な気分だが、いまはカエルにもてつだってもらいたくなるくらいよゆうがない。だれでもいいからすがりたい気分。おぼれたとき、ついワラでもつかんでしまうように。
 ふとオレは止まった。音がない。振り返るとペパーミントは、1つ下の踊り場で立ち止まっていた。

「なにしてる?」

「……オーレ、もう手おくれじゃないか?(このままバジリコが、ニンゲンを滅ぼしてくれたほうが……)」

「Bob's your uncle!」
「Bob's your uncle」
「Hades's your grandad!」
「Hades's my grandad!」

 オレは弱気なペパーミントを、おまえのおじいちゃんはハーデスだから大丈夫だと元気づけた。

「全身全霊で走れ! 突撃、突撃! オレに続け! おまえのことはオレが守る、ぜったいに枯らしはしねえからな!」

「フッ、ぼくはもう大人だよ、オーレ」

 

 バジリコはいった。

「ウフッ、じつに至福……。この階段を一段のぼるごとに、ニンゲンどもの消滅を味わっている気分になる。気がはやいかしら?」

 骨頭で紫色の体のブタがいう。

「ナンドモキイタ。ハヤクイク」

「待って、レオンハート。このよろこびをたっぷり味わいたい。あなたにわかる? 1万年もずっと、この瞬間を待っていたのよ? オリバナムにも銀狐にもずっとずっとジャマをされ、ポテトには裏切られ……ニンゲンを存続させたアロマ連合のヤツらが地球の代表ヅラしてるのが許せない!」

「カテバカングン」

 ピンクのブタはいう。

「ねぇ、それよりアタシおなかへってきちゃった。この仕事が終わったら、ニンゲンの霊をいっぱい食べたいわ」

「聞いてるの? ゾフィア」

「もうその話は何度も聞いたわ、バジー。ニンゲンを消滅させたいんでしょ? ならはやく行きましょう」

「あなたたちは、おいしいものがあったら何度もかんで味わいたいと思わないの?」

「イケメンとなら、ずっとズッコンバッコンしてたいわ。1万年やり続けるのもいいかも」

「マルノミスル」

「……アトランティスが滅んで、やっとニンゲンが絶滅すると思ったのに、あの雑草たちは正気のさたじゃない、ニンゲンを存続させるなんて! 私はもうクローン奴隷、原発汚染、核戦争なんて嫌だ‼︎ なのに! 歴史はまた繰り返そうとしてる!」

 ゾフィアはあきれた。

「だったら走りましょうよ」

 バジリコは自分の感情をおさえきれず、ヒステリックにわめきだした。

「どうしてわからないの? いままでたくさんのいろんなことがあった。だから、自分の気持ちを整理したいの。すぐに滅ぼしてしまったら、きっと私が私でなくなってしまう。いつもアロマ連合に出し抜かれてきた! この日のために、ニンゲンを根絶やしにするためだけに、休むヒマなく1万年もの間、死に物ぐるいでずっとずっと動いてきた! タラゴンさま亡きあと、地球中の植物至上主義者たちをまとめようと努力した! 連合の目を盗んでほかの星に救援を求めてきた! すべてはニンゲンを根絶やしにするために‼︎ たとえ銀狐に魂を破壊されようと! だから、これは自分へのごほうび。勝利を味わわせて。走るなんてもったいない。私はいま、達成感で満たされてる。こんな心地よい感覚、ひさしぶり。長いこと忘れてた気がする。子どもの頃にもどったみたい」

 ゾフィアとレオンハートは、だまった。いまのバジリコには、きっと何をいってもムダだろう。1万年。その長さを自分たちは想像もできない。転生することなく、また、とほうもない時間を休むことすらできず、つねに命をねらわれながら、バジリコは生き抜いてきたのだ。ニンゲンを地球から追い出すために。
 その信念と勤勉さにひかれ、ゾフィアとレオンハートはバジリコについていくことを決めたのだった。バジリコが自分たちを、いつか捨てるとわかっていながら。
 自分たちにはバジリコのような正義感はないが、バジリコについていけば、確実にニンゲンに復讐できる。
 ゾフィアは、階段にいるフランス軍の兵士を見た。

「ねえレオン、あのニンゲンのガイド(守護霊)、おいしそう」

「オトコカ……オンナ、オレモラウ」

 バジリコはスペイン風邪のビンを取り出した。

アメリカ政府を使って強化したまでは良かったけど、強化しすぎて脱走されるとは思わなかった」バジリコはビンにキスをした。「またもどって来てくれてうれしい」

 そのとき、下からけたたましく階段を上がる音が聞こえてきた。

 

 ラベンダー姿のバジリコたちがいた!

「オラ・グラシアス 燃えよ!」

「チッ……(あいつら、信じられない。何をもたもたしてるんだ?)」

「わっ⁉︎ ヤバッ」おどろいたバジリコは、あやうくビンを落としそうになる。「やつらを止めろ!」走って逃げる。

「マカセロ」

「きゃああ! ミントのイケメン、アタシに会いに来てくれたのね!」

 ペパーミントは顔を引きつらせた。

「殺す!」

 ブタたちは逃げながら、《仔牛の解体》をとなえた。

 ドナドナ 解体せよ
                       
   ドナドナ 解体せよ
                      ドナドナ 解体せよ
                              ドナドナ 解体せよ
            ドナドナ 解体せよ

      ドナドナ 解体せよ     ドナドナ 解体せよ
   ドナドナ 解体せよ
 ドナドナ 解体せよ         ドナドナ 解体せよ
            ドナドナ 解体せよ    ドナドナ 解体せよ

                           ドナドナ 解体せよ
   ドナドナ 解体せよ
                 ドナドナ 解体せよ    ドナドナ 解体せよ
       
 ドナドナ 解体せよ   ドナドナ 解体せよ   ドナドナ 解体せよ

         
     ドナドナ 解体せよ
             ドナドナ 解体せよ

 エッフェル塔を構成する鉄骨がつぎつぎにはずれ、階段に落ちてくる。うぉっ、なんだこのドナドナ戦法は⁉︎ ひきょうにもほどがある! この魔法にこんな使いかたがあるとは。

「やめろ、きちょうな文化遺産なのに!」

「アタシたちには関係ない」

「あぶない!」

 ペパーミントがオレをかばってくれた。さっきまで立っていた場所に鉄骨がつき刺さる。

「サンキュー」

「はやく大人に変身しろ!」

「いや、大人になるにはまだはやい。相手はバジリコだ、体力を温存しとかないと」

 逃げ場のない階段でうまく鉄骨の雨をかわしながら走り、ようやく1階にたどりつく。第一展望台だ。

(フランスのフロアの数え方は英国と同じだ。地上階の1つ上が1階。2階ではなく1階。次の階が2階となる)

 階段から出ようとしたところで――ピュン、ビームだ――顔を引っこめる。ピュンピュン飛んでくるビームのせいで、階段から出られない。
 あのブタ、待ちぶせとは淑女のすることじゃない。どこまでひきょうなんだ。もうソーセージにするしかないな。

「アマテラ・アラメダ 銀河の遊歩道」

 《天叢雲剣》を出したペパーミントはビームを打ち返した。ペパーミントの後ろで、姿の見えないもう一体の骨顔のブタが来ないか、気をくばりながら進む。

「あのブタたちの目的は時間かせぎだ、ここはぼくにまかせろ、先へ行け」

「恩にきる」

 〝ブタにミント〟ってことわざを広めようと思ったのは、このときだった。
 オレは2階への階段を駆け上がる。
 とたん、上からビームを撃たれた。踊り場の下へ逃げる。

「シネヒツジ」

 骨顔のブタだ。皮膚のない顔は見るからに凶悪で、犯罪者らしい。

「オレンジだ」

 ヤツはビームを撃ちながら、しかしせめては来ず、じりじりと後退して、オレと一定の距離をたもち続けた。
 マズい、これじゃ先へ進めない。バジリコを追いかけられない。

「オラ・グラシアス 燃えよ」

 階段がジャマで魔法も当てられない。

「まるで獣だ、男らしくない。どうどうと戦ったらどうだ? それともこわいか?」

「キョーミナイ」

 挑発にも乗ってこない。くそっ、こんなせこい手口でフランスが滅ぼされるなんて。
 困っていると、いきなりレオンハートが階段から転がってきた。新しい戦いかたかと思ったが、蹴られただけらしい。踊り場に倒れたレオンハートには残酷な運命が待っていた。

「ドイツのブタめ、オクソライト 閃け」

 電撃で穴があき、レオンハートは地上へ落下した。ガンガン鉄骨にぶつかって、大きかった体は最後は点になった。
 オレはただ、ぼうぜんとそれをながめていた。穴をヒョッと飛びこえ、ラベンダーに近づく。

「どうやって上に行ったんだ?」

 ラベンダーは微笑んだあと、オレを蹴り飛ばした。

「ぐッ⁉︎」

 体が宙をまい、階段の外へ出た。エッフェル塔の1番外側の鉄骨に叩きつけられる。なんとか鉄骨をつかみ落下はまぬがれたが、死に直面して心臓の鼓動が一瞬とまる。パリの街並みが視界にはいる高さ。

「ハハ、そのまま死ね!」

 ラベンダー姿のバジリコが念力で、オレの足をつかんだ。下へひっぱられる。レオンハートの最期が頭をよぎった。内臓が痛い。全力で走ってきたせいで変身する体力なんてない。落ちたら終わりだ。
 念力の力がどんどん強まってくる。
 もう——限界だ。

「シャーペクト・シルヴァーナ 神風よ吹き滅ぼせ」

 下のほうから飛んできたするどい風の刃が、階段を切り落とした。切り取るというより、空間を丸ごと消滅させるのに近い。
 バジリコはすんでのところでのがれた。あわい紫の髪がひとすじ、宙に散る。
 ラベンダーが階段を上がってくる。たぶん、こっちが本物。

「その魔法――おまえ!」

「ヒッ——あっ、あなた、その姿⁉︎」

 バジリコはラベンダーの顔で憎らしげな顔をすると、すばやく階段を駆けのぼっていった。

「助かった。おい、ここだ」

 下からやってきたラベンダーに、オレはいった。

「…………」

 ラベンダーは、オレを助けることをためらっていた。しばらくの間、とまってしんけんに考えている。
 もう手が限界なんだ、はやいとこ地に足つけたい。

「オレを助けないと、エグザゴンヌは滅ぶぞ」

 この言葉が効いたらしい。

「飛んで」

「は?」

「いいから。わたしを信じて」

「地球で1番信じられない言葉だ」

「ほかに方法ある?」

 なんでいつも、あいつのほうが立場が上なんだろうな?

「だましたら承知しないぞ」

「いいから」

 どう考えたって階段にはとどかない。下を見ればブタの死体。

「ガトフォセの命がなくなるまで、あと何分かしら?」

 オレには選択肢がなかった。体勢がキツかろうが体力がなかろうが、近くの鉄骨の壁をけってムリにでもジャンプする。
 カエルみたいなあわれなジャンプは、思ったよりすぐ落下を始めた。重力がオレを殺そうとする。
 しかし地球の引力とはべつに、もう1つオレをひっぱる力があった。ラベンダーの念力だ。
 なんとか、オレの体は階段に転がり落ちた。

「ふう、枯れるかと思った。メルシー(ありがとう)。ペパーはどうした?」

「まだ下でブタと戦ってる」

「そうか、でもおまえが来てくれて助かった。ペパーがいないのは心ぼそいが、おまえさえいてくれればなんとかなる」

「はやく追いかけよう!」

「だけどそのまえに、ラベンダー、大人になれ」

「ふんッ、バジリコなんて、わざわざ大人にならなくてもよゆうだね。子どものままで十分」

「威勢がいいのはありがたいが、ヤツはアトランティス経験者だ。出し惜しみしてる場合じゃないぞ、はやく大人になれ」

「……大人になったって、あいつには勝てないよ」

「おい、さっきまでの威勢はどうした?」

「あ、アンタ、わからないの? さっきあいつのほんとの姿が視えた、あの黒いカタマリは、ヤバいなんてもんじゃない、ば、バケモノよ! 魂があんなグチャグチャになってて、生きてるのが不思議。もうムリ、ふるえが止まらない、近づけないよ」

 オレは香りを出して勇気づけた。

「いいか、『洗い草』? おまえはエジプトやイスラエルだけじゃなく、ローマ帝国でも活躍してきた由緒ある花だ。大ペストを浄化したおまえを、いまや地球中が注目してる。自信を持て。おまえが大人になってくれさえすれば、勝機はかならずある。倒さなくていい、スパフを取り返すだけでいいんだ」

「……」

「さあ、はやく!」

「……わたし、大人に成長できない」

「は……?」

「だから、大人になれないんだってば!」

「おい、ふざけてる場合じゃ――」

「ほんとだってば! わたし、大人になれないの。いつもよゆうぶってるのは、大人になれないのをかくしてるからなの」

「大人になれないのに、どうしてアロマ連合のマスターになれたんだ? じゃあ、ペストを浄化したってのはうそだったのか?」

「ペストの話はほんとう。あのときの1回きりしか、大人になれなかったの。そのあといくらがんばっても、大人にはなれなかった」

「天使に変身できるのに、なんで大人になれないんだ?」

「あれは、100年以上練習したから。ほんとは変身術も苦手で、あれ以外には変身できない」

「うそだろ……ふつうとまるっきり逆だ」

「アンタこそ、さっさと大人になりなさいよ!」

「……オレもだ」

「え?」

「大人になれない」

「ちょっとかんべんしてよ⁉︎ 大人になれないやつが、どうしてアロマ連合のナイトになれんのよ!」

「うるさい、師匠のコネだ。それに、おまえとちがってオレは変身は得意だ」

「さいっあく! サイアクよ! 子どもが2人で、どうやって大人を倒すのよ⁉︎ 相手は伝説の精霊なのよ、アトランティスを経験してる!」

「ラベンダー、落ちつけ、いいか、よく聞け。おまえはまぐれでも、1度は大人になってるんだ。つまり、必死になりゃできるはずだ、ここで大人になれなけりゃ、オレたちはおしまいだ」

 白いワンピースの少女は目をつむり、神経を研ぎすませた。ラベンダーの香りとエネルギーが活性化し、周囲の空気は表情を変える。

 ――そして、ラベンダーは目をあけた。

「そうかんたんに大人になれたら、みんな苦労しないわ」