第16輪 スウィングしなけりゃ意味ねえぜ ( It don't mean a thing if it ain't got that swing )
そこをどけ!
俺たちはゼンマイ仕掛けの騎士団だぞ!
――ソルト
やっちまった。
こっちの次元でこれだけの被害があったんだ。修復しても間に合わない。人間界のエッフェル塔にも影響が出るだろう。
(今回の事故のせいで、エッフェル塔は予定よりはやく倒れることになるんだが、それはまたべつのお話)
ティーツリーが重傷だ、全身血だらけで意識がない、一刻もはやく治療しないと。
無茶な役を引き受けてくれたティーツリーには、ありがとうしかいえない。
階段をおりようとしたとき、後ろから不穏な音が聞こえた。ふり返る。
展望台のUFOが吹き飛ばされ、アロマ連合の艦隊につっこんだ。いくつかのUFOが巻きぞえをくらい墜落する。
思考が止まった。
なんでまだ生きてるんだ?
黒くあわだったカタマリがもぞもぞ動いてるのが視えると、身の毛がよだった。あれがバジリコのほんとうの姿……。固まる前の核燃料デブリか、プルトニウムのカタマリみたいにドロドロしていて、近くの鉄骨を腐らせていく。見てるだけで魂がおかしくなりそうだ。あれで生きてるといえるのだろうか。
気づくと歯がふるえてた。周囲の空気が急激に冷たくなっていく。吐息は白く、気温が0度より低くなっていた。
低く反響した声が聞こえる。
「ガキドモ ユルサンゾ ガキノクセニ ガキノブンザイデ」
オレは動かなかった。
「何やってんの、はやく!」恐怖でいっぱいのラベンダーがさけんだ。「はやく逃げないと!」
「いや、それはできない」
「は?」
「ここであいつを倒す」
「オレンジ、おまえどうかしてるぞ! 勝てるわけないだろ、もうスペイン風邪は手に入れたんだ、はやく行くぞ!」
ペパーミントも説得してくるが、断固として自分の意見をのべた。
「あいつは、決していってはいけないことをいった。オレたちをガキだといったんだ。わかるか? ラベンダー。オレたちは大人に成長するために必死に訓練してきた。おまえなんて、紀元前からずっと修行してきたのに、それをやつは笑った」
「そんなことどうでもいい、アンタ、命よりプライドのほうが大事なの⁉︎」
「それに地上を見てくれ。ゼンマイ仕掛けの騎士団だ。ここでバジリコを捕まえて無実を証明できなければ、オレたちはオーストラリア送りか、タルタロスに入ることになる」
ラベンダーは恐怖でガタガタふるえていた。
「あ、む、ムリ、わたし、はもう、ムリ!」
オレは背負ってたティーツリーをペパーミントに強引にあずけると、ラベンダーを抱きしめた。自分の香りをかがせる。
「この星で1番おそろしいものは? せーの――」
「「セーヌ川」」
オレたちは声をそろえた。ラベンダーのふるえが止まる。
「それにくらべれば、あんなの宝石さ」
(親切なオレさまが、なんでセーヌ川がおそろしいか説明してやろう。え? トイレの話はもういいって?)
仲間たちに作戦を伝えた。
「オレがヤツを誘いこむ。ペパー、あれは持ってきてるな?」
「ああ、携帯空間にはいってる」
「ラベンダー、ていねいに描けよ」
「指図しないで」
「それじゃあ作戦実行だ」
「ヨォ、お困りのようだな。俺が助けてやろうか?」
バジリコは声をあらげた。
「その声はタバコか⁉︎ 殺してやる、姿を見せろ」
「おォ、怖いねェ。ひさしぶりに会った友人にいう言葉がそれかい?」
「だまれ、この植物の恥さらしが! よくもぬけぬけと私の前に出てこられたな! 姿を見せろ、おまえから枯らしてやる!」
「俺っちはなァ、たよられんのが大好きなのよ。困ってるやつを見るとほっとけないタチでなァ。そうやってどんどんヒトが依存してくのを見るのが、プハァ~、趣味なのさ」
「ゲホッ、ゲホ、き、さま……香りをとめろ」
「あぁ、そうそう。いい忘れてたんだが、どうして軍事拠点なのに重要なエレベーターが壊れてたか、知ってっか?」
「?」
「俺が壊したのよ」
「オノレェェェェェェェェ‼︎‼︎」
階段をおりていく3人を見おくったあと、バジリコを見た。
ラベンダーの話によると、あいつの師匠の銀狐のしわざらしい。霊視すると魂にキズがはいってるのが見える。うわさ以上の残酷さだ。
黒いカタマリからは怒りと怨念のエネルギーがあふれ出ており、カタマリから出た何十本という手が無差別に鉄骨や展望台を破壊していた。
「ドコダ、ドコダ、ドコォォダ」
異常だ。1人でしゃべってる。ダメージで幻覚でも見てるんだろうか? オレをさがしてるみたいだが、ここにいるのが見えないのか?
エッフェル塔を包囲しているアロマ連合の艦隊は、ただ様子を見ていた。あんな異形のモンスターがいたら、だれだってたじろぐ。
わが組織ながらなさけない。
あれを、おびきよせないといけないのか。ラベンダーたちはうまくやってるだろうか? 頃あいをみて近づいたオレは、勇気を出して声をかけてみた。
「やあバジリコ、調子はどうだい?」
「シネェエェえェええェエエエエ‼︎」
大絶叫。
必死で階段を駆けおりる。恐怖で足がすくんで何度も転びそうになった。うしろから邪悪なカタマリが追いかけてくる。何十本も足首をはやした邪悪なカタマリが。フェンスや鉄骨を破壊しながら不穏な速度で。
バジリコには同情するよ。
あれが地球のために1万年以上生きた精霊の末路とは。いってみりゃバジリコだって、人間の被害者なのに。世のなかってのはいつも、正直者がバカを見る。得するのはずるがしこいやつらだけ。ちょうど人間みたいにな。おまえらのつくった法律は、おまえらしか守らない。
のびてくる黒い手に捕まりそうになりながら、階段を駆けおりた。このまま行けばゴールだ。
そう思った瞬間、何十本もの黒い手が何十本もの鉄骨を投げるのが目にはいった。考えてるヒマはなかった。鉄の雨が降りそそぐ前に、手すりに手をかけ階段を飛びおりた。
後悔するよりはやく、重力がオレを捕まえた。
第1展望台は近いと思ったが、じっさいそんなことはなく、高さはまだかなりあった。
地面に強くたたきつけられると、肺と内臓が圧迫され、衝撃で鼻血が出た。とてつもない激痛が走り、目玉も飛び出そうだ。
階段からまがまがしいカタマリがジャンプしたのと、降りそそぐ鉄骨の雨が見える。体がマヒして動けない。
ラベンダーがオレを引きずった。
バジリコが着地する直前、ペパーミントが光学迷彩シート――透明マントとも。冥府の科学班が作ったもので、ロンドンでの修行時代、これでよくペパーと遊んだ――を取った。するとペンタクルがあらわれる。古代イスラエルの時代に流行ってた封印のペンタクルで、六芒星や図形が描かれている。
黒いカタマリは落下した衝撃であぶらぎった蒸気になり、その場をただよった。
オレたちは礼名詠唱した。
「『カビキラー』の名において命ず――」
「『社交の草』の名において命ず――」
「『天界の果実』の名において命ず――」
――閉じこめよ
宇宙のエネルギーが流れこむと、ペンタクルは黄金にかがやきバジリコを閉じこめた。
オレは得意げになった。
「地の利を得たぞ」
ペンタクルのなかは霊視しても何も見えなかったが、バジリコは確実に閉じこめられていた。
「バジリコ、おまえの負けだ。あきらめろ」
ペンタクルのなかの反応はなかった。
ため息をつく。
「このままだとあなたは、オーストラリア送りにされて殺される。だから提案がある。オレのもとで働かないか? あなたはひじょうに有能な人材だ。精油計画を手伝ってほしい。そうすれば保護を約束しよう」
ラベンダーが顔をゆがめる。
「冗談でしょ⁉︎ こんなヤツをガトフォセ家に招きいれるつもり⁉︎」
ムシした。
「オレたちの出会いは最悪だった。そう思わないか? 水に流して、もう1度自己紹介から始めよう。同じ花の精霊なんだ。きっとなかよくなれるはず」
空気がうずまきヒトの形を作ると、健常だった頃の女性姿のバジリコがあらわれた。
「紹介しよう。こちら、バジリコ。伝説の至上主義者だ。ミス・バジリコ、GFS(Gattefossé Fragrance Shop ガトフォセ香料店)の面々だ」
バジリコは見た。ティーツリーを。ペパーミントを。ラベンダーを。
「こんなちっぽけなペンタクルで、私を閉じこめたつもりか? おまえたちの礼名詠唱なんて、たかが知れてる」
「それで答えは?」
バジリコは憎しみに満ちた目でオレを見たあと、ツバを吐いた。親指を下に向ける。
「話にならないな。面接不合格。とっととお帰りいただこう」
「返せ、それは私のスペイン風邪だ!」
「そうだった。ほら、返してやるぜ」
封霊ビンのコルクを抜く。出現した巨大な赤い鳥と小さな鳥の大群がバジリコをおそった。
「ギャアアアアアアアアス‼︎」
バジリコは逃げることもできず、スペイン風邪のえじきになった。「やめろ――魂に傷を負ってなかったら――礼名詠唱さえできればおまえたちなんか――」全身の骨を折られ、肉を食いちぎられ血だらけになり、虫の息となった頃。
ラベンダーが礼名詠唱する。
「『洗い草』の名において命ず――封印せよ」
スパフはふたたび、ビンに閉じこめられた。
お、おわった。全身から力が抜けた。その場にへたりとすわりこむ。
何も考えられない。
礼名詠唱したせいで、エネルギーがすっからかん。急に眠気がおそってきたが、オレにはまだ最後の仕事が残っていた。
スパフの処分だ。
「ラベンダー、それをこっちへ」
「オクソライト 閃け」
紫の電流がオレの体をこがした。意識がもうろうとするなか、ラベンダーの逃げる音が頭のかたすみで聞こえた。気絶しかけて倒れそうになったとき、だれかに抱きしめられる。ティーツリーだ。
「オレンジ、アタシの香りをかげ。エネルギーをぜんぶくれてやる。あのバカを止めてくれ。たぶんだが、おまえならあいつを救ってやれる気がする」
「……おまえのおっぱい気持ちいいな」――バチン!「アボリジニの言葉では、ありがとうってなんていうんだ?」
「ありがとうを意味する言葉はない。だから感謝はいらない」
「それはかなしくないか?」
「いや、アタシたちは満たされてるから礼はいらないんだ。そのかわり、地球へ還元してくれ」
「OK」
そのとき、ソルト率いるゼンマイ仕掛けの騎士団が第1展望台に上がってきた。
バジリコを見たソルトは驚愕した。
「どうやら俺たちァ、とんでもないあやまちをしてたらしい。手のひらでいいように転がされてたってわけか」
「説明はたのんだぞ」
オレは階段を駆けあがった。
もう体のふしぶしが痛い。痛くないところがない。めまいはひどいし、気持ちわるくてのどまで胃液がこみあげてくる。足は重たすぎてうまく動いちゃくれないし、何度も転んで階段に顔面をぶつけた。それでも激痛――階段を1段のぼるごとに感じるあばらやおなかの痛み――をガマンし、オレは走らなければならなかった。
まったく、あいつは二酸化炭素ばかり出しやがる。せっかく黒幕を倒してハッピーエンドをむかえようとしてたのに。
柑橘系の精霊に生まれたからよかったものの、そうじゃなけりゃとっくにくたばってたとこだ。
第2展望台を超えて、長い長い階段を走る。
いつのまにか腕時計はなくなっていて、時間は確認できなかった。最悪の結末ばかり想像してしまう。
エッフェル塔は完全にアロマ連合のUFOに包囲されていた。下では大勢の連合関係者たちが、エッフェル塔にはいってくるのが見える。
ラベンダー……ラヴァー。
なぜだ。
なぜおまえは、協力してくれたのに、また裏切るんだ?
いっしょにバジリコと戦ってくれたのに。
理由は人間だと思うが、バジリコにしてもラベンダーにしても、こんなことになるくらいなら、もう地球なんていらない。人間に渡してほかの星に住みたいよ。それじゃダメなのか?
(いまのは心の声だ。口がさけてもぜったいにいってはいけない。精霊として精神をうたがわれる。自分の国を捨てられるやつなんて、けっきょくいないのさ)
1350段の長い階段を走りおえ、とうとう第3展望台にたどり着いた。パリ全体が見わたせる高さ。風の勢いが強い。しかし、ラベンダーの姿はどこにも見あたらなかった。
どこへ行ったんだ?
ここにいなかったとしたら、ほかにどこへ……?
そういえばエッフェル塔の頂上には、エッフェルの私室があると聞いたことがある。
ようやくその部屋を発見してなかへはいると、ラベンダーはいた。落ちついたブラウンのこぢんまりした部屋だ。
ここなら、スペイン風邪をばらまいてもアロマ連合から見えない。計算高い行動だ。
「よぉ、調子はどうだい?」
時限爆弾を解除するように、慎重を心がけた。
ラベンダーは何も答えなかった。ただ、児童文学ではぜったいにしてはいけない残忍な笑みを見せた。顔に暗い影を落としている。
「これでやっと、ニンゲンを根絶やしにできる」
「待て。はやまるな」
コルクに手をかけたラベンダーと見つめあう。時間がとまる。ピアノを弾いてるときみたいに、世界にオレたちしかいないみたいだ。
「待つことなら、もうずっとしてきた。十分すぎるほどに」
ふるえた声に空気が波打つ。
「なぜだ。理由を教えてくれ」
ラベンダーは涙をながした。きれいなしずくが、ほおをつたっていく。こんな美しい香りはかいだことがない。
「なぜだかわからない……なぜだかわからないの。でも、どうしてもやらなきゃって。なんでわたしはこんなことしてるんだろう……?」
「落ちついてよく考えよう。オレたち友だちだろ? 相談してくれなきゃ――待て待て‼︎」
「あなた、わたしにこれ以上待てっていうの? いつ終わるかもわからない人生で。いつになったら地球は平和になるの?」
慎重に言葉をえらんでる時間はない。もう核爆発寸前だ。
「それをすれば、愛するエグザゴンヌも滅ぶぞ」
「できれば最後にしたかったけど、おそかれはやかれ滅ぶ運命にはちがいないわ。ほんとはドイツでぶちまけたかったけど、連合に包囲されたいま、しょうがない」
「バジリコをいっしょに倒したじゃないか」
「こんなことになるなら、向こうの味方になるべきだった……断られたけど」
あのラベンダーが、オレに協力してくれただけでも奇跡だったんだ。最初からバジリコに味方していても、おかしくはなかった。
ラベンダーが手に力をこめる。
オレにはもうエネルギーがない。念力も魔法も使えない。立っているのもやっと。考えろ、考えろ、頭を使え!
「出でよスペイン風邪」
「おまえの友だちはどう思う?」
「――!」
それは当てずっぽうだったが、効果があった。
「人間ぎらいのおまえが、エグザゴンヌにこだわり続ける理由をずっと考えてたんだ。人間の友だちがいたんじゃないか? だから、オレが最初におまえを説得したとき、協力してくれた。ちがうか?」
「……」
「ほんとうにエグザゴンヌを滅ぼしていいのか? 思い出もなくなるぞ。思い出がなくなったら、おまえはおまえでいられるのか?」
「うっ、うっ、ぁ」
ラベンダーはかっとうしていた。目も当てられないくらい苦しんでるのに、それでもまだ手に力を入れてる。
もうひと押しだ。混乱してるいまがチャンス。
オレはとどめをさした。
「ゲームをおぼえてるか? ガトフォセの家のキッチンでの」
「?」
「勝ったほうが、相手のいうことをなんでも聞く。さあ、それを渡せ」
「……」
ラベンダーは、ふだんのあいつならぜったいにしないことをした。感情が乱れてることもあって流されたんだろう。ビンを投げた。
受け取ると、スパフと目があう。
そんな顔しないでくれ。オレだって好きでこんなことするわけじゃない。
スパフは、自分の運命がわかってたんだろう。これから出荷されるヒツジみたいにおとなしくちぢこまってる。
自分の命を燃やし強引にエネルギーを作ると、オレは手から浄化の炎を出した。
「ぴぎゃぁぁぁ!」
「ごめんな」
涙で顔を赤くしたラベンダーが自分の重大なミスに気づいたとき、すでにスパフはこの次元を去っていた。
「ちょっと待って、あのとき食器を多くかたづけたのは、わたしでしょ!」
「そうだったかな? 昔のことは忘れた」
「ヒドい男! そうやってたくさんの女の子を泣かせてきたのね」
オレは悪びれる様子もなく答えた。
「ああ。そうだ」