第8輪 大人になっても、自分の偉大さに気づけない人がいる
上のマスターたちは頭がおかしい
世界大戦やってるのに、なんでわたしに精油を広めろっていうの?
やだよそんなの
若い女が出世してきたのが、おもしろくないんだ
――ラベンダー
あの頃オレはまだ、生まれたばかりだった。
前のオレンジの植物の精霊は、歴史に名をはせるほど有名だったらしいが、不幸な事故で命を落としたらしい。
それが師匠の『真の薫香』から聞いた話だった。
ちょうど【第5次ペスト戦役】のときだったから、ペストに殺されたんじゃないかと。
ジジイは前任者のオレンジと、旧知の仲だったらしく、オレはアロマ連合の代表であるジジイの弟子として、迎え入れられた。
精霊によっては、アカデミーに何百年と通わなければいけなかったが、さいわいなことに、オレには才能があり、修行を終えるのにそう長くはかからなかった。せいぜい100年ぐらいだ。
ラベンダーは、オレが修行の身だった頃から追いかけていた花だった。というか、地球に誕生したとき、死にかけていたオレを救い、ジジイに会わせたのがラベンダーだった。
そういうわけで、オレが初めてかいだ香りは、ラベンダーの香りだったんだ。
初めてかいだときから、頭にしみついてずっとはなれない。
だから、いつも追いかけていた。
あいつはイヤがったけどな。
あこがれのフラワーヒーローだった。
動画はいつも、やつのインタビューや、学生時代にやってたバンドのライブ映像を見ていた。
オレの頭のなかに、UKの当時の風景がよみがえる。風も、人や街の匂いも、温度も、色も。何が流行ってて、何がダサいかもぜんぶ覚えてる。食べ物やファッションのことだって。
石やレンガ造りのロンドンの街並み。キスをかわす恋人たち。テムズ川のそばにある怨霊の根城ロンドン塔。そして、ウェストミンスター宮殿。
オレはいつも、逃げるラベンダーを追いかけていた。有名人への純粋な好奇心から――いや、もっと香りを吸っていたいという気持ちを、抑えられなかった。
「おい、待ってくれよ。どうしていつも逃げるんだ?」
「追いかけてくるから」
「は?」
「どうして追いかけてくるの?」
「いや、それは…………宣戦布告だ、老害。おまえみたいなマイナーな植物が、調子に乗るなよ。草がフルーツに勝てると思ってるのか? イングランドで1番の精霊になるのはオレさまだ!」
サイアク。
ひどく後悔した。
とうぜんラベンダーは、差別されたと思い怒りくるった。ふだんはフランス語でしか話さないラベンダーだったが、このときばかりは、故郷の古いエジプト語(新エジプト語)でまくしたててきた。
いまでこそ女に長けてるオレだが、そのときはまだ、自分のほんとうの気持ちをいうことができなかった。いや、いまもだ。
ラベンダー。紀元前から活躍する大精霊。
エジプト、イスラエル、ジャパン、ローマ帝国、UK、フランス。
世界中で活躍してきたラベンダーは、オレにとって、あこがれの花なんだ。
(ローマ帝国ってなんのアニメだって? ……まったく、これだから最近の若者は。ちっとは歴史を勉強しろ。どれどれ、ふむ、そこのおまえの時代だと、おすすめ教材はテルマエ・ロマエだな。オレは当時を生きてないから知らんが、だいたいあんな感じじゃないか?
イヤな顔するな。くわしく知りたかったら、霊能力でも鍛えて、夢のなかでラベンダーに聞け)
だから、いまこうやってひとつ屋根の下でくらして、いっしょに仕事してるのが信じられない。夢みたいだ。
性格は最悪だったけどな。
もの忘れもはげしいし、こだわりだって強い。絵はうまいのに、文字は暗号みたいにへたくそ。そうそう、それに意地はってフランス語しか話そうとしない。
最初はコミュニケーションに苦労した。こいつと関わると、オレは苦労してばかりだ。2人でやってる精油プロジェクトの仕事だって、ほとんどオレがやってるようなもんだ。
そんな日々が、やっと手に入れた日々が、終わろうとしている。
バジリコを止めなければいけない。
だが、バジリコたちはどこまで行ったんだ?
あいつらは無事だろうか?
オレが生きてたんだから、ペパーもティーツリーも死んでないよな? きっと生きてるはずだ。だが、もし当たりどころが悪くて死んでいたら……。オレはぞっとした。
たいせつな親友を、オレが誘ったばっかりに、死なせてしまった。
いつ終わるかもわからない、はてしない人生で、オレは後悔し続けることになる。
ティーツリーだってそうだ。オレがバジリコを追いかけなけりゃ、命を落とすことはなかった。
たかだか200歳の子どもが、バジリコに挑むなんて、ハナから勝ち目はないとわかってたのに、若者のなんでもできるという傲慢さで死なせてしまった。
オレは、なんてことを。
いや、弱気になるな。オレは自分の香りを吸って、勇気をふるい立たせた。
きっと生きてる、大丈夫だ。
それに、あのラベンダーがそうかんたんに死ぬはずない。あいつはずるがしこくて、抜け目がなくて、腹黒くて――
――強いんだ。ぜったいに生きてる
ただなんとなくだったが、うしろを振りむいた。
岩や木のかげから、あるいは暗闇のどこかから、魔物が急に飛び出してくるイメージが頭のなかに広がった。
注意深く霊視して観察したが、やはり何も見えない。
オレは弱気な自分に嫌気がさした。心臓の鼓動が早くなり、落ちつかない。先を急ぐ。しかし、どうしてもまた、気になってしまう。うしろをどうしても振りかえりたい。何かおそろしいものを見てしまうような、そんな恐怖が胸にわき上がるのに。
オレはリビングでの会話を、思い出していた。
もし、OBAKEがいたとしたら。
バカな。そんなものいるわけない。〈ダレカさん〉みたいにセクシーなら大歓迎だが、もし、もし、〈スットコドッコイ〉みたいに危険なやつだったなら、オレはどうすればいい?
こんなとき、ラベンダーがいてくれたら。〈ドコドコさん〉の対処方法は、現在地のアドレスをいえばいい。ファンであるラベンダーがいつも熱心に、うんざりするオレに教えてくれていたが、他のOBAKEの対処方法なんて知らない。
過去にタイムトラベルして、自分の頭をぶったたいてやりたいくらい後悔する。
オレはなんてバカなんだろう!
これじゃ、宇宙人や霊の存在を否定する人間と同じじゃないか! ふだんからもっと、勉強しておくべきだった。
いいかげんにしろ、クソッタレ! もやもやと悩むのは性にあわん!
こんなとこで死ぬわけにはいかないんだ。
人間も霊もOBAKEも、同じ電気信号やエネルギーのかたまりなんだ。光をパンチすれば影ができる。つまり、相手が量子なら影響できるはずだ。
ぶっとばしてやる!
(上には上がいる。物理法則が量子力学に通用しないように。もし量子力学が通用しない法則があったら……。このさい、それは考えないことにした)
「おい、そこにいるのはわかってるんだ。いいかげん出てきたらどうだ? ストーカーめ、警察を呼ぶぞ! ちょっと姿をかくすのがうまいからって、調子に乗ってるんじゃないか?」
オレの大声が、山に響きわたる。
うでを組んで、いかにも迷惑そうに立ちつくしてみる。
しばらく待ってみたが、何のアクションもなかった。やはり、何もいないんじゃないかと思うが、ホラー映画だと油断したり、ほっとしたときにおそわれるのが定番だ。オレはもう1度大声を出した。
「かなしいな。こうやって話し合いの場を設けているのに、無視するのか。それとも英語がわからないだけか? まあいい、5秒かぞえよう。それまでに出てこないなら、ここの環境と生態系を破壊してやる。5……4……3、2、1、オラ・グラ――」
「ノーノーノーノーノー! 待て、わかった!」
十字架型の光がいくつもまたたくと、精霊が10体ほど出現した。
オレはよゆうの表情をうかべていたが、内心ではあせっていた。とてもじゃないが、落ちついてなんかいられない。
まさか、かこまれていたなんて。
正直な話、OBAKEが出てきてくれたほうが、まだよかった。われらがアロマ連合だ。
どいつもこいつも大人の姿で、いつでも全力を出せるように臨戦態勢になっていた。こっちは子どもなのに、ひどい連中だ。よってたかって、弱いものイジメする気かよ。
しかし、よくよく見てみれば、まわりの精霊は花の精霊もいるが、国際色が豊かだった。
人魚、牛、オーガ、天使、花、妖精、ニンジャ、サンタ。
(人間だって神になれるんだ。ニンジャの精霊がいても不思議じゃない。それにしてもこいつら、ピクニックにでも行きそうなメンバーだな)
こいつら、アロマ連合の追っ手じゃないのか?
龍がいないのが、ゆいいつの救いだった。
それでも、サンタや天使みたいに強力な精霊がいる。まともにやりあって、勝ち目はないだろう。
1人の精霊が前に出た。プラチナ・ブロンドの男性だ。スーツを着てる。
「まさか、見つかっちまうたァな。俺としちゃ、できればこのまま仲間のところまで連れてってもらいたかったが、しょうがねえ。マヌケそうなツラして、意外とやるじゃねえか」
「おまえら、自分の姿を鏡で見たことがないのか? いまはまだ9月だ、ハロウィンには早い。しかも、そんなかっこうで山奥を歩くなんて、頭お花畑なんじゃないか?」
男性は、怒ってしょっぱい香りを出した。
「その汚い口をつつしめ、俺たちは霊だ! 自分の立場がわかっていないようだな。俺はソルト。ゼンマイ仕掛けの騎士団のものだ」
(ゼンマイ仕掛けの騎士団。界際警察のこと。精霊界全体の治安を守る警察組織。読者諸君らの世界でいう、国際警察だ。トップは植物界出身だから、植物界には甘い顔してるとか、動物界にだけきびしいとか、悪口をよくいわれる)
「ソルト? 塩の精霊なんているのか? なんで塩の精霊が、香りを持ってるんだ?」
「俺のことはどうだっていい。おまえを連行する、抵抗してもムダだぞ」
そういうと、ゼンマイ仕掛けの騎士団の面々は、じりじりと距離をつめてきた。
オレは時間をかせぐ作戦に出た。
もうちょっと香りで、体力を回復させたい。
「ちょっと待て、逃げるつもりはない。だから教えてくれ。アロマ連合が追ってきたのならわかる。だがなぜ、ゼンマイ仕掛けの騎士団が、オレを捕まえようとするんだ?」
「おまえ1人で、スペイン風邪を捕まえられるはずがない。仲間がいるはずだ。それから、動物界の軍用UFOに、よく搭載されているタイプのビーム砲で撃たれたような跡が見つかった。この件はどうもキノコくさい。こっちで取り調べてから、おまえを連合に引き渡す」
「誤解だ。オレは、スペイン風邪を捕まえていない」
「よくもそんなうそがいえたな。おまえのせいで、第七文明史上最大の戦争が続くことになるんだぞ。人間が死ぬだけじゃない、汚染地域が増えて、生態系だって狂う。いろんな世界に迷惑かけて、恥ずかしくないのか? せっかく人間と協力して地球を発展させようとしてるのに、おまえみたいなヤツのせいで、星論が反人間派に傾いたら、どう責任とってくれるんだ! あ⁉︎」
警察は、すぐヒトを犯人にしたがる。だからダイキライなんだ。
どれだけ多くの犯人を捕まえられるかにこだわり、あげくのはてには受験間近で夜おそくまで塾で勉強して、家でもなお勉強しようと家路を急ぐ学生を捕まえては、尋問して勉強時間を減らすんだから、おそろしいモンスターだ。
英国が誇るカリスマ探偵、シャーロック・ホームズ先生のような知性が端々からうかがえる行動を、少しは見習ってほしいもんだ。
それに、オレはうそはいってない。
確かに弱らせたのはオレだが、捕まえたのはラベンダーだからな。しかも1人で。あいつもそのうち、伝説の花とかいわれたりするのかな。
「もうとっくに、地球から人間を追放しようって流れに傾いてるだろ」
「なんだと⁉︎」
「それに聞いてくれ、税金ドロボウよ。誤解だ、オレはスペイン風邪を捕まえてない。この件には、バジリコがからんでる」
「ほう、バジリコだって?」
ムリだと思うが、心をこめて、誠意を持って、オレは説得を試みた。
「そうだ。真犯人はバジリコと、ドイツ人に殺されたブタたちの霊だ。おまえたちも、アロマ連合も、みんなヤツらにだまされてるんだ。非物質界は、疫病を利用して世界大戦を終わらせようとしてるが、うまくいかないだろう。バジリコがスペイン風邪を調教し、あやつろうとしてるんだから。戦争が終わるだけじゃない。そのまま人類が滅びるぞ」
「じゃあ、おまえはいま、スペイン風邪を持っていないのか?」
「ああ。それに、ともだちがヤツらに捕まってる。オレは香りをたどって、バジリコたちのアジトに行くことができる。たのむ、ついてきてくれ。そうすれば、真実がわかる」
ソルトは考えるそぶりを見せた。
「時間がない、こうしてる間にも、ともだちの香りはなくなってる。香りが完全になくなれば追えなくなる、協力してくれ」
ソルトはだまっていたが、やがて、かわいた笑い声をあげた。
「くくっうはっハッハッハッハ。おまえ、小説家になれるぞ。俺はおまえみたいな甘ちゃんが大嫌いなんだ」そして、片手をあげて合図した。「捕まえろ」
精霊たちは、ゆっくり、ゆっくりと近づいてきた。
「失礼、卿は今、なんて言ったんだ?」
上流階級の使う英語、キングス・イングリッシュの発音が、自然と口から出た。
「いったい誰を捕まえようとしているのか、分かっているのか?」
オレ様は、キレていた。自分でもおどろくほど静かに。
「本当に、このオレンジを捕まえられる気でいるのか?」
牛の精霊が目の前に来た。無駄にデカい図体だ。
「おまえ、英国出身らしいな。俺もサッカーが大好きなんだよ」
牛が肩に手をおいた瞬間。彼はみじかい悲鳴をあげた。がっくりとうなだれ、肩を落とす。
「ブホッ……」
ぴくりとも動かない牛の精霊に、ソルトは首をかしげた。
「どうした?」
目にも止まらぬ超人的なスピードで、牛のお腹にねじりこんだこぶしを抜いてジャンプすると「サッカーじゃなくて――フットボールだろうがァ!」その大きな体に蹴りを入れた。牛が一直線にふっとぶ。ゼンマイ仕掛けの騎士団の何人かは、惜しいことにパスを受け止めきれず、失点を許した。
「アデュー(フランス語。永遠にさようなら)」
会話中ずっと自分の香りを吸って、すでに体の活性化を終えていたオレは、ヒツジに変身した。ヒツジは、かつてエチオピアに存在した伝説の羊飼い、カルディも不安がるほど不吉にスピードをあげると、全身全霊で走った。
(なんでもコーヒー豆は、カルディが発見したらしい。真実かどうかは、コーヒーに聞かなきゃわからない)
「ソルト少将、どうしますか⁉︎」
「撃て、撃てェ! ぜったいに逃がすな!」
銃弾の音が森にこだました。
うしろから怒声が聞こえ、イヤな感じがした。魔法の気配だ。直感で横にそれると、すぐとなりを小さなブラックホールが通過し、木々の霊体をめりめり飲みこんだ。殺す気だ。
ブラックホールに気をとられたスキをついて、残酷な光のわっかが3本、オレのまわりに出現して高速でちぢんできた。
《天使のわっか》だ。高度な魔法で、これに捕まると逃げられない。
ヒツジは脱兎のごとく、かろやかにジャンプしてかわした。かなりすれすれだったが、この記録ならオリンピックヒツジの部、走り高とびでも金メダルまちがいなしだ。
魔法や銃弾が、オレの背中をねらってくる。もこもこの毛は防いじゃくれない。森には死の匂いが充満した。
直線に走るのはマズい、曲がりながら、ときにフェイントをかけながら、ヒツジは山中を走り抜けた。
それでも何発かかすったし体に当たったが、痛みをガマンし、オレは足を動かし続けた。うでを思いっきり振り抜き、足を高速で回転させ、歯を食いしばり、根性を見せた。
ここで捕まったら、ラベンダーたちを助けられない。一生後悔するんだ。そんなのヤダね。
だんだんと音が小さくなり、どなり声も、ヤツらの気配もなくなった頃。
「はぁ、はぁ、やった、やったぞ! オレが、子どものオレが! 子どもなのに‼︎ 大人の精霊から、逃げきってやったんだ! うっはは! あっはは、やったぞ、ッはぁはぁ、あいつらはオレより魔法も、超能力もうまいのに、へへっ」
ヒツジはよろこびのあまり、飛びはねた。
自分の力では、決してできないと思ったことができたのだ。自信があふれてくる。
うれしすぎて、笑いがとまらなかった。
けれどもヒツジは油断しなかった。
うれしさのエネルギーをパワーに変えて、仲間たちを救うため、夜の町を走り続けた。
人間たちは、ただ寝ていた。
そして。
とうとうヒツジは国境を越え、スペインに入った。